今日はさらの幼稚園の卒園式だった。
先週の月曜日にさらがインフルエンザA型と診断され、火曜日にだんなさん、菌がなくなったと思った頃の金曜日にさあやがインフルエンザにかかり、色んな予定をキャンセル。子ども会の運動会はまだしも、卒園式と春休み入ってすぐの旅行だけは何としてでも行かないとーと思ってた。
さらは、引っ越して来て、ここの公立幼稚園に通ったのは2年だけど、前に住んでいた所では0歳児から市立保育園に4年通っている。
だから、私達親子にとっては6年間の集大成となる。
私もマスクをして、私だけは最後の砦、かからないようとしていた。
私はインフルエンザにはかからなかったけど、今週火水と花粉症でダウン。熱が出たくらい。
ちゃんと出たいところには出れて良かった。
私、そういうとこは強運持ってる。
要はキャンセルしたとこ、全部いらないとこ、あんまり気が進まなかったとこなんやろうな。(心の小声)
さらが生まれてからと、6年間の園生活を振り返ると、
生まれてからすぐ小児科に入院になったさら。車椅子に乗ってやっとの事で見に行くと、生まれたてのさらは頭の真ん中がぺこんぺこん動いてて(これはお母さんの骨盤から出る時に、頭の骨を重ねて出るためと後から知る)、柔らかくて、壊れそうで、大切過ぎて、だっこするのが落としたらと思うと恐かった。
恋人同士がかけがえのない相手になるのには時間がかかるけど、この赤ちゃんに対しては病院で1週間もしないうちに「この子なしでは生きていけない」と思った。
生まれてから、こんなに予防接種打つんだという事にびっくり。私もそんなにして守られて来て今があるのかと思ったな。
(予防接種の数は時代によって違うだろうし、母親の方針によって打つ・打たないも違うだろうけど、それはまた別の話。)
幸せすぎて、頭おかしくなりそうだったり(笑)。
ずっとこの幸せが続いてほしいと思った。
0歳児で保育園入園。私はお母さんは専業主婦だから、共働きが考えられなかった。ましてかわいい赤ちゃんを置いて、仕事に出るなんてつらかった。1歳になる前に子乗せ自転車に載せる事になるとは思ってもみなかった。
保育園では、預ける時は必ず泣いて、電車の時間もあるから、先生に無理矢理預ける形で出て来るという毎日。
「子どもは柔軟性あるから、すぐ慣れる」という友達もいたけど、3-4ヵ月は泣いてた。
やっと泣かなくなったのは、デザートでマカロニきな粉が出て気に入った時とか、夏にプール(その時はまだたらいに入るだけ)があってからだった。
熱が出すぎて(さらが)、仕事復帰と言っても、仕事してるのか休んでるのか分からんという状態の時もあった。
今日はよく泣くなと思った朝、普段通り保育園に預けたら、電車のホームに行く階段で電話があり、「熱が出たからお迎え来て下さい」の連絡だったり。それから、朝の大泣きはただの甘えじゃない時もあるって何となく悟った。
さらがNHK朝の連続ドラマを見るようになったのは、熱になったらばあばに来てもらってたから。
女の一生を扱う事が多いから、赤ちゃんが出て来るシーンがよくあり、そこから興味を持ってった。
さらには「おかあさんといっしょ」とかあんまり見せた事なかったし、いつやってるのかも知らなかった。
会社で、「問題があるから、倉庫見に来て下さい」と電話があって、その直後保育園から「さらちゃんが熱があるから迎えに来て下さい」って言われた時には、会社で思わずうなだれた。
(倉庫は家とは反対方向に電車乗り継いで1時間半。この時は、もちろん、帰る事を選んだ。)
さらが薬をなかなか飲まなくて、熱の治りが悪い時は、家に帰ったら毎日小児科に通って点滴した。
毎日針を入れたり抜いたりするのは体に負担になると言われて、これ以上続いたら入院となった。
入院が決まった時に、大きな病院に移って、椅子で待ってる時、「仕事が溜まるー」と思ってた自分が嫌だった。
仕事を辞めた方がいいのか、何が子どものためにいいのか考えた。
考えて考えて、同じ所をぐるぐるぐるぐる回ってた。
子どもにとって何がいいか、子どもは喋らないから分からない。
でも、分かったのは、お母さんが笑ってたら、子どもも笑うし、喜んでくれるんだろうなという事。
私がしたいようにすればいいって事。
2人目妊娠したいけど、なかなかできないのを気にしてたら、後から考えるとさらがおまじないしてくれた後にさあやを妊娠した。
家を買う事になって、引っ越す事になって、子ども部屋ができるとか喜んでくれると思ったけど、子どもにはそんな事どうでも良かったみたいで、おともだちと離れるのが嫌ですごい抵抗してた。
引っ越して来て、姉妹2人とも順番に1週間ずつ熱が出た。
さらは集団生活に慣れてるから、幼稚園にすぐ慣れるかと思ったら、引っ越して環境が変わったし、幼稚園から保育園、市立から公立でまた雰囲気が変わって、意外と慣れなかった。
近所の家に同じクラスの子がいて、仲良くなったら、ここも好きになって来た。
子育てって、自分の人生を生き直すなとつくづく思う。
幼稚園では、自分の子ども時代の事を思い出すような出来事も沢山あった。
幼稚園のお母さん達の出来上がった感も入学当初から苦手だった。
幼稚園終わって、放課後遊ぶ友達を必死で探す人がいるのもイヤだった。
そこまでして、あぶれないようにする?と。
公立幼稚園の、みんなで同じ事を同じ時に、同じようにしないといけない感じが苦手だった。
ああ、小学校からかと思ってたけど、この時期から「みんなと同じにしないといけない。他の人と違う事をしてはいけない」という価値観・先入観が芽生えるのかと思った。
参観日に、先生が「友達と2人でペアになって」と言って、さらが探してペアになろうとした相手は別の子とペアになりたいと探しに行って。
私は、小学校の時に「仲の良い子とグループになって」と言われるのが嫌だった。あぶれるのが嫌だった事を思い出した。
その時さらは、先生が間に入って残った子3人くらいでグループになってた。
私だったら、残り物、選ばれない人同士でまとめられたと、劣等感を感じるところだったけど、その光景を見て、そこは傷付くところじゃないんだと、さらから学んだ。
子育てって自分の嫌な所と向き合う。
私達は幼稚園、途中からほぼ毎日遅刻で。
遅れて行ってるの見ては、笑う人もいれば、ムッとしたような表情をする人もいる。
どっちもされてイヤだった。後者の方がより。
さらに、なんでそんなにゆっくりするかと苛立つ事もあったけど、子どもはゆっくりするものだから、親がその分もっと余裕を持たないといけないというのも感覚的に分かってた。
でも、自分の時間ないし、子どもが起きる前に自分の時間(PCなど)取ってて、さあやが起きて来てもおっぱいしてたり、さらも起こすのが遅めになったら、そうなるのも仕方ない。
遅刻ばっかりさせる自分がイヤ―、と思った。
そこで急いでくれないさらにも苛立った。
最近は、さらは口もきつく、悪くなって。腹立つ所が多くなった。
かわいさあまってにくさ100倍(までは行かないけど)。
世界一かわいくて、世界一にくたらしい子。
最近ムカつくのは、
ワガママで。
自分さえ良ければよくて。
まず自分で。
我が強い。
言い出したらきかない。
遅刻しまくりのとこ。
すぐ怒る。
負けず嫌いでにくたらしい言い方をする。
口悪い。
全部、私だーーーっっっ。
私がダメと思ってるとこ、×つけたとこ、
まだそれが悪いっていう概念(先入観)がないから出してるだけ。
諦めよう。
観念しよう。
ずっとこの性格はついて回る。
ジャッジするな。
ジャッジしないでおこう。
子どもの性格に、良い悪い、○×をつけない。
幼稚園の舞台とか、人前で声が小さくても、他の子に比べて自分出せてなくても。
心配するな。
心配してる姿を見て、子どもが「こんな自分じゃいけない」と思う。
ジャッジをしない。
ただ今のそのままのさらを見る。
優しくて。
さあやに優しく声かけて。
さあやが危ない事してたら、危なくないようにしてあげて。
さあやが何かできない事があったら、手伝ってあげて。
「お母さんがしたい事して」と言ってくれて。
好きな事には集中力がすごくて。
いつまでもあきない。
物をずっと大切にする。
そんな面もある。
失敗しても、傷付いても、うれしいも、楽しいも、そのまま近くで見る。
小学校行ったら、また別の悩みが出て来る、悩みが多いって聞く。
でも、いつでも、私は、近くで子どもを見たい。成長を見て行きたい。
喜びの歌。
卒園式で、親子でかけ合いで歌う。

歌は何曲か歌ったけど、「さよなら ぼくたちのようちえん」も歌ってた。
これはさらが保育園の時に、上のクラスの子が卒園するのに、卒園式の練習に参加して、「さよなら ぼくたちのほいくえん」というのを覚えて来てた。これをさらが歌ってるのを聞いた時、泣きそうになった。
さらが保育園で覚えて来た時は4歳くらいだったから、「チャントセルのいちねんせい」と歌ってて、「ランドセルの一年生、じゃないん?」と私は言ってた。
幼稚園では練習してると聞いてなかったから、まさか幼稚園の卒園式でも歌うとはと、また感動。
さら、卒園、おめでとう。
卒園式後、ホールでクラスごとに子ども、先生、保護者で集合写真。
その後、クラスの教室に行き、担任の先生はみんなを1人1人だっこでおめでとうと言ってくれる。


家族で。
下の子は卒園式には入れないということで(これには最初不満もあったけど、それはまた別記事で書く)、母に見に来てもらい、後から連れて来てもらった。

先生と園庭で。

2人とも、もう紅白まんじゅう食べてる。家に帰る前に開けたのはうちくらい?

お昼ご飯は、一度帰ってからだんなさんは着替えてから、回転寿司屋さんへ。
ばあばからのお祝い。
同じ幼稚園の子がうち含めて5家族もいた。


先生と私達親からの手紙。
先生は、子ども30人弱もいるのに、よく子どもの性格見てくれてる。

卒園記念品。
漢字辞典もあった。
私は幼稚園の卒園記念は国語辞典だった。結構長い事使ってたから、さらもこれから長い事大事にするのかな。

英語教室行って、帰りにちょっとファミリア入ってみたら、そこから買って買ってとわがままになって、どっと疲れた。
家帰ってから、話の流れで、ばあばんとこ泊まりに行くかと行ったら「行く!」と喜ぶので、用意させて行かせる事に。
私も、身近におりすぎると、落ち着いて諭すとかできなくなって来る。たまにはいい。
晩ご飯を食べて、家を出る前、さらが「よろしくー」やって。
何をよろしくなんか、家の事?と思ったら、
「さあやをよろしく」やって。

さあやは卒園式には入れなかった訳だけど、夜家で「中、入りたかった。おねえちゃんのうた、ききたかった」と言ってた。さあやにも、そんな気持ちがあるんやなと、成長を感じた。
今回は入れなかったから、さらに「また卒園式ごっこしてあげてな」と言ったら、ばあばのとこから帰って来てから翌日、してあげてた。
先週の月曜日にさらがインフルエンザA型と診断され、火曜日にだんなさん、菌がなくなったと思った頃の金曜日にさあやがインフルエンザにかかり、色んな予定をキャンセル。子ども会の運動会はまだしも、卒園式と春休み入ってすぐの旅行だけは何としてでも行かないとーと思ってた。
さらは、引っ越して来て、ここの公立幼稚園に通ったのは2年だけど、前に住んでいた所では0歳児から市立保育園に4年通っている。
だから、私達親子にとっては6年間の集大成となる。
私もマスクをして、私だけは最後の砦、かからないようとしていた。
私はインフルエンザにはかからなかったけど、今週火水と花粉症でダウン。熱が出たくらい。
ちゃんと出たいところには出れて良かった。
私、そういうとこは強運持ってる。
要はキャンセルしたとこ、全部いらないとこ、あんまり気が進まなかったとこなんやろうな。(心の小声)
さらが生まれてからと、6年間の園生活を振り返ると、
生まれてからすぐ小児科に入院になったさら。車椅子に乗ってやっとの事で見に行くと、生まれたてのさらは頭の真ん中がぺこんぺこん動いてて(これはお母さんの骨盤から出る時に、頭の骨を重ねて出るためと後から知る)、柔らかくて、壊れそうで、大切過ぎて、だっこするのが落としたらと思うと恐かった。
恋人同士がかけがえのない相手になるのには時間がかかるけど、この赤ちゃんに対しては病院で1週間もしないうちに「この子なしでは生きていけない」と思った。
生まれてから、こんなに予防接種打つんだという事にびっくり。私もそんなにして守られて来て今があるのかと思ったな。
(予防接種の数は時代によって違うだろうし、母親の方針によって打つ・打たないも違うだろうけど、それはまた別の話。)
幸せすぎて、頭おかしくなりそうだったり(笑)。
ずっとこの幸せが続いてほしいと思った。
0歳児で保育園入園。私はお母さんは専業主婦だから、共働きが考えられなかった。ましてかわいい赤ちゃんを置いて、仕事に出るなんてつらかった。1歳になる前に子乗せ自転車に載せる事になるとは思ってもみなかった。
保育園では、預ける時は必ず泣いて、電車の時間もあるから、先生に無理矢理預ける形で出て来るという毎日。
「子どもは柔軟性あるから、すぐ慣れる」という友達もいたけど、3-4ヵ月は泣いてた。
やっと泣かなくなったのは、デザートでマカロニきな粉が出て気に入った時とか、夏にプール(その時はまだたらいに入るだけ)があってからだった。
熱が出すぎて(さらが)、仕事復帰と言っても、仕事してるのか休んでるのか分からんという状態の時もあった。
今日はよく泣くなと思った朝、普段通り保育園に預けたら、電車のホームに行く階段で電話があり、「熱が出たからお迎え来て下さい」の連絡だったり。それから、朝の大泣きはただの甘えじゃない時もあるって何となく悟った。
さらがNHK朝の連続ドラマを見るようになったのは、熱になったらばあばに来てもらってたから。
女の一生を扱う事が多いから、赤ちゃんが出て来るシーンがよくあり、そこから興味を持ってった。
さらには「おかあさんといっしょ」とかあんまり見せた事なかったし、いつやってるのかも知らなかった。
会社で、「問題があるから、倉庫見に来て下さい」と電話があって、その直後保育園から「さらちゃんが熱があるから迎えに来て下さい」って言われた時には、会社で思わずうなだれた。
(倉庫は家とは反対方向に電車乗り継いで1時間半。この時は、もちろん、帰る事を選んだ。)
さらが薬をなかなか飲まなくて、熱の治りが悪い時は、家に帰ったら毎日小児科に通って点滴した。
毎日針を入れたり抜いたりするのは体に負担になると言われて、これ以上続いたら入院となった。
入院が決まった時に、大きな病院に移って、椅子で待ってる時、「仕事が溜まるー」と思ってた自分が嫌だった。
仕事を辞めた方がいいのか、何が子どものためにいいのか考えた。
考えて考えて、同じ所をぐるぐるぐるぐる回ってた。
子どもにとって何がいいか、子どもは喋らないから分からない。
でも、分かったのは、お母さんが笑ってたら、子どもも笑うし、喜んでくれるんだろうなという事。
私がしたいようにすればいいって事。
2人目妊娠したいけど、なかなかできないのを気にしてたら、後から考えるとさらがおまじないしてくれた後にさあやを妊娠した。
家を買う事になって、引っ越す事になって、子ども部屋ができるとか喜んでくれると思ったけど、子どもにはそんな事どうでも良かったみたいで、おともだちと離れるのが嫌ですごい抵抗してた。
引っ越して来て、姉妹2人とも順番に1週間ずつ熱が出た。
さらは集団生活に慣れてるから、幼稚園にすぐ慣れるかと思ったら、引っ越して環境が変わったし、幼稚園から保育園、市立から公立でまた雰囲気が変わって、意外と慣れなかった。
近所の家に同じクラスの子がいて、仲良くなったら、ここも好きになって来た。
子育てって、自分の人生を生き直すなとつくづく思う。
幼稚園では、自分の子ども時代の事を思い出すような出来事も沢山あった。
幼稚園のお母さん達の出来上がった感も入学当初から苦手だった。
幼稚園終わって、放課後遊ぶ友達を必死で探す人がいるのもイヤだった。
そこまでして、あぶれないようにする?と。
公立幼稚園の、みんなで同じ事を同じ時に、同じようにしないといけない感じが苦手だった。
ああ、小学校からかと思ってたけど、この時期から「みんなと同じにしないといけない。他の人と違う事をしてはいけない」という価値観・先入観が芽生えるのかと思った。
参観日に、先生が「友達と2人でペアになって」と言って、さらが探してペアになろうとした相手は別の子とペアになりたいと探しに行って。
私は、小学校の時に「仲の良い子とグループになって」と言われるのが嫌だった。あぶれるのが嫌だった事を思い出した。
その時さらは、先生が間に入って残った子3人くらいでグループになってた。
私だったら、残り物、選ばれない人同士でまとめられたと、劣等感を感じるところだったけど、その光景を見て、そこは傷付くところじゃないんだと、さらから学んだ。
子育てって自分の嫌な所と向き合う。
私達は幼稚園、途中からほぼ毎日遅刻で。
遅れて行ってるの見ては、笑う人もいれば、ムッとしたような表情をする人もいる。
どっちもされてイヤだった。後者の方がより。
さらに、なんでそんなにゆっくりするかと苛立つ事もあったけど、子どもはゆっくりするものだから、親がその分もっと余裕を持たないといけないというのも感覚的に分かってた。
でも、自分の時間ないし、子どもが起きる前に自分の時間(PCなど)取ってて、さあやが起きて来てもおっぱいしてたり、さらも起こすのが遅めになったら、そうなるのも仕方ない。
遅刻ばっかりさせる自分がイヤ―、と思った。
そこで急いでくれないさらにも苛立った。
最近は、さらは口もきつく、悪くなって。腹立つ所が多くなった。
かわいさあまってにくさ100倍(までは行かないけど)。
世界一かわいくて、世界一にくたらしい子。
最近ムカつくのは、
ワガママで。
自分さえ良ければよくて。
まず自分で。
我が強い。
言い出したらきかない。
遅刻しまくりのとこ。
すぐ怒る。
負けず嫌いでにくたらしい言い方をする。
口悪い。
全部、私だーーーっっっ。
私がダメと思ってるとこ、×つけたとこ、
まだそれが悪いっていう概念(先入観)がないから出してるだけ。
諦めよう。
観念しよう。
ずっとこの性格はついて回る。
ジャッジするな。
ジャッジしないでおこう。
子どもの性格に、良い悪い、○×をつけない。
幼稚園の舞台とか、人前で声が小さくても、他の子に比べて自分出せてなくても。
心配するな。
心配してる姿を見て、子どもが「こんな自分じゃいけない」と思う。
ジャッジをしない。
ただ今のそのままのさらを見る。
優しくて。
さあやに優しく声かけて。
さあやが危ない事してたら、危なくないようにしてあげて。
さあやが何かできない事があったら、手伝ってあげて。
「お母さんがしたい事して」と言ってくれて。
好きな事には集中力がすごくて。
いつまでもあきない。
物をずっと大切にする。
そんな面もある。
失敗しても、傷付いても、うれしいも、楽しいも、そのまま近くで見る。
小学校行ったら、また別の悩みが出て来る、悩みが多いって聞く。
でも、いつでも、私は、近くで子どもを見たい。成長を見て行きたい。
喜びの歌。
卒園式で、親子でかけ合いで歌う。

歌は何曲か歌ったけど、「さよなら ぼくたちのようちえん」も歌ってた。
これはさらが保育園の時に、上のクラスの子が卒園するのに、卒園式の練習に参加して、「さよなら ぼくたちのほいくえん」というのを覚えて来てた。これをさらが歌ってるのを聞いた時、泣きそうになった。
さらが保育園で覚えて来た時は4歳くらいだったから、「チャントセルのいちねんせい」と歌ってて、「ランドセルの一年生、じゃないん?」と私は言ってた。
幼稚園では練習してると聞いてなかったから、まさか幼稚園の卒園式でも歌うとはと、また感動。
さら、卒園、おめでとう。
卒園式後、ホールでクラスごとに子ども、先生、保護者で集合写真。
その後、クラスの教室に行き、担任の先生はみんなを1人1人だっこでおめでとうと言ってくれる。


家族で。
下の子は卒園式には入れないということで(これには最初不満もあったけど、それはまた別記事で書く)、母に見に来てもらい、後から連れて来てもらった。

先生と園庭で。

2人とも、もう紅白まんじゅう食べてる。家に帰る前に開けたのはうちくらい?

お昼ご飯は、一度帰ってからだんなさんは着替えてから、回転寿司屋さんへ。
ばあばからのお祝い。
同じ幼稚園の子がうち含めて5家族もいた。


先生と私達親からの手紙。
先生は、子ども30人弱もいるのに、よく子どもの性格見てくれてる。

卒園記念品。
漢字辞典もあった。
私は幼稚園の卒園記念は国語辞典だった。結構長い事使ってたから、さらもこれから長い事大事にするのかな。

英語教室行って、帰りにちょっとファミリア入ってみたら、そこから買って買ってとわがままになって、どっと疲れた。
家帰ってから、話の流れで、ばあばんとこ泊まりに行くかと行ったら「行く!」と喜ぶので、用意させて行かせる事に。
私も、身近におりすぎると、落ち着いて諭すとかできなくなって来る。たまにはいい。
晩ご飯を食べて、家を出る前、さらが「よろしくー」やって。
何をよろしくなんか、家の事?と思ったら、
「さあやをよろしく」やって。

さあやは卒園式には入れなかった訳だけど、夜家で「中、入りたかった。おねえちゃんのうた、ききたかった」と言ってた。さあやにも、そんな気持ちがあるんやなと、成長を感じた。
今回は入れなかったから、さらに「また卒園式ごっこしてあげてな」と言ったら、ばあばのとこから帰って来てから翌日、してあげてた。