神鳴り3

後期高齢者になりましたが、ますます若々しくありたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

スクワット

2021-12-28 06:57:16 | 日記

Blog友さんがスクワットがダイエットに効果的と書かれていたから、私も真似してみようと一番簡単そうなユーチューブを拝借した。



これは簡単そうに見えて体力が要る。

だからこそ効果があるのでしょうが…。

私の腰痛にも効きそうな感じだが、体力ない私にやれるかどうか、それが問題だ。

To be or not to be, that is the question.

To do or not to do, that is the question.


★やれるのかやれないのかの問題のあるスクワットそれが問題

★ダイエット効果があるとスクワットするがすぐ果つ体力足りず

★腰痛をまず治さねばならぬゆゑするスクワット治れ腰痛

認知症は、なった人も辛いんですね

2021-12-26 11:56:32 | 日記
今朝の、「団塊シニアのひとりごと」さんの記事を読ませていただくと認知症はかかった当人も辛い病気のようで、シニアさんのご両親も苦しまれたと書かれています

我が家の義母も晩年認知症になりましたが、そこまで辛い思いをしていたとは気づきませんでした。

ただ、認知症になる前は非常に気位の高い、棘のある人でしたが、認知症になってからの義母は、その棘がなくなっていました。

嫁の私としては、若い頃の義母のような棘のなくなっていたことは有り難かったです。

ですから比較的楽にお世話させていただくことができました。

が、この記事を読ませていただくと、本人の義母は密かに苦しんでいたのでしょうか。

なら、かわいそうでしたね。

もう最後は嫁姑の恩讐を超えてお世話させていただきましたが、嫁の私は不覚にも、そこまでは思いがいたりませんでした。

実の娘だったら思いやれたかというと、否だったと言わざるを得ませんでした。

その証拠に義妹は私達が義母の世話をするために引っ越してきてから一度も来なかっただけではなく、それ以前も、来ると義母と喧嘩になっていたと聞いていましたから。

義妹は義妹で義母に対しては恨みつらみがあったようでした。

まだ義娘の私のほうが割り切ってお世話をさせていただけたかもしれません。

あれほど気位の高い人だったから、認知症になり始めの頃はさぞ辛かったことでしょう。

しかしそんな素振りも見せなかったことは、やはりそれが義母の矜持だったでしょうか。

ということは、矜持がありながらも、己の認知症に対峙しなければならなかったわけで、これはこれでとても辛いことだったかもしれませんね。

だからこそ最後は物わかりのよい人になってくれたのかもしれません。

最初からこんな人だったら私も苦労しなかったのにと何度も思いました。

認知症は、どんなに頭のよい、気位の高い人でもなることが怖いですね。 

私は、認知症になりかけたら、いの一番に安楽死させていただきたいです。

そのためにも安楽死の法制化を望みます。

★安楽死いちばん欲るは認知症なりかかりたる人かもしれぬ

★難聴の孤独の老後よりさらに怖いは認知症かもしれぬ

★安楽死誰(た)がさせるかと問ふ人よそれはこれから考へること

散歩も迷惑になることがあるんですね。

2021-12-25 15:54:00 | 日記
Blog友さんの記事を読ませていただいて今日は気づかせていただきました。

その方のご近所には、それ程のお年でもないのに、よろよろと歩かれる方がいらっしゃるそうです。腰が曲がっているから前を見ないで俯き加減に…。

それだけならまだしも、その広くもない道を一日10回も散歩をなさるのだそう。

それでそのブロガーさんはひやひやしながら運転しないといけないのだそうです。

なるほど!

私は自分が運転しないから、そんなことは思いもしませんでした。

が、怠け者で、散歩はほとんどしないから、その点だけはご迷惑にはなっていないかもしれません。

自分のためには好ましくないことですが…。

それにしても、年を取ると、思わぬことで人様にはご迷惑がかかるのですね。

歩くことではありませんが、そういえば、私も大阪に住んでいたころ、梅田に出たときなどには、安いランチを食べて帰ることがありました。

あるとき地下街のサラリーマン達がよく利用する安い値段のランチを食べていると、ご亭主から、「そんなにゆっくり食べられると商売にならない」と言われてしまいました。

私は割合時間をかけて食事します。

それで回転数で儲けを出しているようなお店でもゆっくり食べてしまったのでした

一方、私の夫は早食いです。

テーブルに並べてあるものであっという間に食事を終わらせてしまうから、私が温め直して出そうとしていたものを食べないまま上に上がってしまうこともあります。

それが私には不満なのですが、仕事する人はそうでなければならないのでしょうね。

Blog友さんの記事は歩きについてでしたが、人はどんなことで人に迷惑をかけるか、わからないと気づかせてもらいました。

★食べるのが遅いわたしは食堂で早く食べよと叱られたりき

★歩くこと遅くなりせば回数を増やすべからずのろのろ散歩の

★嗚呼やはり歳はとりたくあらざるよ歩くにしても食べるにしても

★おそらくは迷惑かけてゐるなどと思ひもせずに老いたち歩く

★年寄りになることますます怖くなる記事を読ませていただきました

国は安楽死を法制化して

2021-12-25 06:21:45 | 日記
死刑を廃止してほしいと思う。

これからの老人問題が話題になることが多いが、老人が減ったほうが国のためによいというのなら私は進んで安楽死を希望する。

私は子育ても終えて、あとは死ぬのを待つだけの老人である。

老人になっても役に立つ人は長生きすれば良いと思うが、難聴で身体も丈夫でない私は役にも立たない。

その上、鬱病み人間である。

私自身のためにも、安楽死をさせてくれたほうが好都合である。

安楽死であるからには苦しまずに死ぬことを希望する。

その代わりにというと変だが、死刑は廃止にしてほしい。

人を殺したからといっても、死にたくもない有意な人間を絞首刑などという残酷な方法で殺さないでほしい。

死刑を執行する刑務官のためにも…。

「人を殺してはいけない」と言いながら真面目な刑務官にその過酷な仕事をさせるのは何故?

先日も書いたが、人は懲らしめられて更生をするわけではないだろう。

まして死刑で殺してしまったら、更生する機会すら奪うことになる。

殺人犯といっても、せっかく生まれてきているのだから、社会の役に立つよう更生させたら良いではないか。

犯罪人は刑を終えても働き口がないというのなら社会構造を変えたらいいではないか。

このたび大阪北新地で大事件を起こした男性も、死ななければ死刑になることは必須だと思うが、聞くところによれば、彼は優秀な板金工だったと。

たぶん繊細な神経をもっていたのだろう。

だからこそ精神を病んでしまったのかもしれない。

あれだけの犯罪を犯したのだから、世間の人達は殺すのが当然と思うだろうが、しかし、恵まれた境遇であれば、犯罪など犯さずに、持て囃された人だったかもしれない。

犯罪人には案外そういう繊細な神経をもった人が多いのではないかと私は思っている。

アメリカで終身刑の刑に服している郷隼人という歌人がいる。

終身刑ということは、彼もたぶん殺人を犯したのだろう。

が、彼の短歌に接するとその才に感嘆する。

人を殺した人も、適材適所におかれていたら犯罪など犯さずにいられただろうと思うのである。

こんな人達は、本人が望むのであれば、生かせてあげたらいいと思う。

もちろん再犯しないよう万全の対策はとって…。

話をもとに戻すが、私のように生きていても役に立つこともなく、かつ、当本人が死にたいのなら、安楽死させてやることを政府は検討したらよいと思うが、どうだろう。

そして、若い人達に子供を産んでもらって、日本を栄えさせてほしいと思う。

クリスマスの朝、私はそんなことを思った。

★わたくしの命さしだし殺人を犯した人の命生かして

★十分に生きたと思ふこのわれの代はりに生きてほしい人達

★老人の命やしなふ食料で新たな生命を養ひたまへ

★老人が生きて新たな国民の生まれ難かることを憂ふる

★人は生き死ねば黄泉路で蘇るならば恐れること何もなし


きよしこの夜

2021-12-24 17:00:00 | 日記
私はクリスチャンではありませんが、クリスマスの今日は子供の頃から馴染んできたこの歌を聞いて敬虔な気持ちになりたいと思います。


この英語のSilent Nightは、中学に入学してから、英語の先生が教えて下さいました。

考えてみれば、今から60年前!

あの頃、こんなおばあさんになるまで生きているなど考えもしませんでした。

この歌を聞くと、あの頃生きていた殆どの人達を思い出します。

この歌を聞いていると走馬灯のように昔の日々が思い出されます。

父、母は言うに及ばず、兄、母方の祖父母、父方の祖父、義祖母、母方の叔母、叔父、父方の伯父二人などなど。

どちらかといえば、母方の親戚の人達を思い出すのは、それだけ母方の親族のほうに縁があったというか、可愛がってもらったからでしょうか。

父方親族には、可愛がってもらったというよりも、躾けられた記憶のほうが勝っているかも。

が、父方祖父の後妻さんは本気で私を可愛がってくれましたから、これは父方親族が情に溺れない人達であったからだったかもしれません。

そんな父方親族も含めて懐かしく思い出されます。

私達の結婚式も、みな羽織袴の正装して参列してくれました。

厳しかった伯父達だったかもしれませんが、伯父達なりに私を愛してくれていたと思います。

すべては遠い彼方の事になってしまいました。

今夜はSilent Nightを歌いながら亡くなった親族たちに思いを馳せたいと思います。

★Silent Nightの歌をわたくしに教えてくれし英語の先生

★中学の先生われに優しくて依怙贔屓されゐると友らは

★学校の先生たちも親族の人たちも皆あいしくれにき

★しあわせな娘時代でありにしと七十超えて思ひ出だせる

★結婚をするまで虐められることほとんどなくて幸せなりき

★父母ふたり祖父母よにんに愛されてその上叔母、叔父、ふたりの伯父にも

★クリスマスきよしこの夜Silent Night歌はむ乙女に戻り