今朝の、「団塊シニアのひとりごと」さんの記事を読ませていただくと認知症はかかった当人も辛い病気のようで、シニアさんのご両親も苦しまれたと書かれています。
我が家の義母も晩年認知症になりましたが、そこまで辛い思いをしていたとは気づきませんでした。
ただ、認知症になる前は非常に気位の高い、棘のある人でしたが、認知症になってからの義母は、その棘がなくなっていました。
嫁の私としては、若い頃の義母のような棘のなくなっていたことは有り難かったです。
ですから比較的楽にお世話させていただくことができました。
が、この記事を読ませていただくと、本人の義母は密かに苦しんでいたのでしょうか。
なら、かわいそうでしたね。
もう最後は嫁姑の恩讐を超えてお世話させていただきましたが、嫁の私は不覚にも、そこまでは思いがいたりませんでした。
実の娘だったら思いやれたかというと、否だったと言わざるを得ませんでした。
その証拠に義妹は私達が義母の世話をするために引っ越してきてから一度も来なかっただけではなく、それ以前も、来ると義母と喧嘩になっていたと聞いていましたから。
義妹は義妹で義母に対しては恨みつらみがあったようでした。
まだ義娘の私のほうが割り切ってお世話をさせていただけたかもしれません。
あれほど気位の高い人だったから、認知症になり始めの頃はさぞ辛かったことでしょう。
しかしそんな素振りも見せなかったことは、やはりそれが義母の矜持だったでしょうか。
ということは、矜持がありながらも、己の認知症に対峙しなければならなかったわけで、これはこれでとても辛いことだったかもしれませんね。
だからこそ最後は物わかりのよい人になってくれたのかもしれません。
最初からこんな人だったら私も苦労しなかったのにと何度も思いました。
認知症は、どんなに頭のよい、気位の高い人でもなることが怖いですね。
私は、認知症になりかけたら、いの一番に安楽死させていただきたいです。
そのためにも安楽死の法制化を望みます。
★安楽死いちばん欲るは認知症なりかかりたる人かもしれぬ
★難聴の孤独の老後よりさらに怖いは認知症かもしれぬ
★安楽死誰(た)がさせるかと問ふ人よそれはこれから考へること