最近よく腰痛を起こす。
歩き過ぎたときとか、働きすぎた時に…。
大概は、しばらく休むと回復するが、ここ数日は、ずっと痛い。
認めたくないけれど、これも年齢のせいだと思う。
ほんの四年前まで母の老いと付き合っていたのに、母が亡くなると急に自分の老いが顕になってきた。
耳はもともと難聴だが、近視の目もますます見えにくくなってきた。
見えず聞こえずだから、この世が朧になってきた。
趣味の短歌も斬新な歌を詠うより身の回りの諸々を詠うほうが好ましく思えるように。
人の歌を読ませてもらうときも、そういう歌を好むようになってきた。
これが年をとるということと、身を持って学ばせてもらっている最中である。
腰痛も、その中の一つである。
若い頃は鈍臭いお年寄りを軽蔑したこともあったかもしれない。
が、今自分自身が過去軽蔑したこともあったかもしれない老人になってしまったのである。
腰痛を起こしているときは歩くのも颯爽とはいかない。
なにかにつかまりながら歩いたりすることもある。
立ち上がるときもそうである。
なにかに掴まらないと立ち上がれないときが…。涙
ああ、完全に老人だ。
しかし自分では老人と思っていないところが可笑しい。
今はたまたま腰痛を起こしているけれども、また颯爽と歩けると信じ込んでいるのである。
ハイヒールの靴も置いてある。
おしゃれするときにはハイヒールを履かなくちゃあと思っているのである。
が、たぶんもう履くことはないだろう。
しかし、老け込みたくはない。
★ハイヒール今も履かむと大切に仕舞つてあるよ七十路(ななそじ)なれど
★流行に乗り遅れむと服を買ふこともあるわれ老いを忘れて
★老い忘れゐるから老いに兆したるもろもろ認めがたきわれかも