Hi!みんな元気?毎日うだるような暑さダネ。夏休みに入って超多忙で、kinoppyもバテ気味です。この暑さに身体もまいっているのかも。この夏日に入る前台風雨が結構降った。暑い中にも涼しかった。そんな涼しさを思い出して書いてみようと思う。みんなも一息入れて、元気出してネ!
ある雨上がり、kinoppyは散歩に出かけたよ。さて、ここはどこでしょう?わかる人にはすぐわかる。わからない人はもう少し見てね。憧れのアテネフランセ、懐かしいレモン画廊、カフェがなくなってからどのくらいになるのだろう?中央線と丸ノ内線が地下にもぐるトンネル、総武線の走る緑の陸橋も見えます。
そしてこの橋を渡ります。左上に東京医科歯科大学が見えます。もうお分かりですね。今日はお茶の水にやってきました。橋の反対側にはニコライ堂があります。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶから聖橋(ひじりばし)って言うんだよね。
まずは湯島聖堂に行きますよ。中国語だと孔子廟ダネ。
江戸時代1632年に尾張中納言 徳川直義は儒学を重用し、徳川幕府の儒臣 林羅山のために、羅山の上野不忍池の邸内に孔子廟を建てた。その後1691年に将軍 綱吉の命により現在の湯島に聖堂が完成した。この時林家塾も同時に移転し、聴堂、学舎が幕府により建設され、林家が管理した。約100年後の1797年11代家斉が儒学振興を図るため、聖堂学舎の敷地を拡張、昌平坂学問所を開設、林家管理の学寮を幕府直轄地とし、名実ともに漢学の学問所となった。2年後の1799年老中 松平定信の寛政の改革により、朱子学が官学となり、聖堂も重視され、明の朱舜水が制作した孔子廟模型によって、新廟が建造され、これまで朱、緑、青、朱漆などで彩色されていた建物全体を黒漆塗りとした。(公益財団法人 斯分会 湯島聖堂より)
6000坪(約2万㎡、東京ドームの半分位か?)もの広い敷地に、聖堂や、学舎、学生寮、文庫、教官住宅等があり、直参旗本の子弟48名が学んだらしい。現在でいうとICU(面積では比較にならないけど)とか、そんなキャンパスライフ?贅沢!!たった48名で6000坪だよ~。その後書生寮を設けて、陪臣(藩士、郷士)浪人などの入学が許されたらしい。超エリート集団がここで育成されたということね。
先を進もう。外から見るとこんな感じ。中に入ったことはなくても、外観は見たことあるでしょう?上は塀の中をのぞいたところ。
聖堂入口はこの塀に沿って右へ下がった所。
江戸時代には道路の向こうに船着き場があったらしい。明治に入ると、現在の、順天堂大学、東京医科歯科大学辺りに高等師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)が開設され、そうそうたる文京地区を形成していたようです。写真にはっきり残されています。(斯分会資料)
さあ、いよいよ聖堂に入りますよ。仰行門です。一般見学者の入口になる門です。
仰行門右隣にある斯分会の建物の上にある動物、1935年の復興聖堂の設計者である伊東忠太博士(築地本願寺、平安神宮、明治神宮等の設計者)の考案した屋根飾り。名前もなく意味も今はあきらかでないそう。でもとても可愛い。
ご存知孔子銅像。1975年(s50年)台北市ライオンズクラブからの寄贈。
このすぐそばに、楷樹(ウルシ科)がある。楷は中国曲阜にある孔子の墓所にある名木で、枝や葉が整然としているので、書道の楷書の語源になったといわれています。ここにあるのは曲阜の樹の種子を持ち帰った聖木だそうです。残念ながら画像は間違って消失。ゴメン。
ウルシ科だからこんな木かな?だんだん大成殿に近づいてきますよ。
入徳門です。聖堂内唯一の木造建築。杏壇門の奥に大成殿が見えますね。
杏壇門に向かいます。杏壇とは孔子の教授堂の遺趾のことだそうです。教壇と関係あるのかな?
外国人の方が多いですね。
やっと杏壇門に辿り着きました。前の広場は結構広いです。
緑の多い堂内。こんな都心にこんな自然が・・・。自然は守らねば残らないのだと実感。
杏壇門から入徳門を眺めて見ます。駅前の高層ビルに江戸時代から引き戻されてしまいました
そして最後に大成殿。間口120m、奥行き14m、高さ14m。入母屋造り。大成とは孔子廟の正殿の名称。殿内には孔子像、左右に四配として孟子、顔子、曽子、子思の4賢人を祀っている。孔子を祀る祭典は毎年4月第4日曜日に行われる。以前中国語を学習していた時、麗澤大学のN教授とそのお仲間に誘われたが、機会を逸してしまった。一人では多分行かないだろうな。興味のある人は是非行ってみて。
大成殿屋根に鎮座する鬼頭(きぎんとう)鋳銅制637㎏。水の神、火災よけ。鯱型、龍頭魚尾、2脚双角、頭より潮を噴き上げている。屋根4隅角に鎮座するのが鬼龍子(きりゅうし)。猫型蛇腹で牙がある。鋳銅制、93kg。様態は狛犬に似ており、顔は猫科の動物似、だそう。こんな重い物、地震で落ちてきたらどうするんだろうね?
西出口に向かいます。階段を登って本郷通り方面に出ますよ。御茶の水は樹木が多くてきれいな街だね。湯島聖堂を参観してつくづくそう思いました。
こちらからも入れるので、地図があります。今日は地図右手正門からご案内しました。
まだまだ続くよ。お茶の水散歩。みんな最後まで見てくれてどうも有難う。
ある雨上がり、kinoppyは散歩に出かけたよ。さて、ここはどこでしょう?わかる人にはすぐわかる。わからない人はもう少し見てね。憧れのアテネフランセ、懐かしいレモン画廊、カフェがなくなってからどのくらいになるのだろう?中央線と丸ノ内線が地下にもぐるトンネル、総武線の走る緑の陸橋も見えます。
そしてこの橋を渡ります。左上に東京医科歯科大学が見えます。もうお分かりですね。今日はお茶の水にやってきました。橋の反対側にはニコライ堂があります。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶから聖橋(ひじりばし)って言うんだよね。
まずは湯島聖堂に行きますよ。中国語だと孔子廟ダネ。
江戸時代1632年に尾張中納言 徳川直義は儒学を重用し、徳川幕府の儒臣 林羅山のために、羅山の上野不忍池の邸内に孔子廟を建てた。その後1691年に将軍 綱吉の命により現在の湯島に聖堂が完成した。この時林家塾も同時に移転し、聴堂、学舎が幕府により建設され、林家が管理した。約100年後の1797年11代家斉が儒学振興を図るため、聖堂学舎の敷地を拡張、昌平坂学問所を開設、林家管理の学寮を幕府直轄地とし、名実ともに漢学の学問所となった。2年後の1799年老中 松平定信の寛政の改革により、朱子学が官学となり、聖堂も重視され、明の朱舜水が制作した孔子廟模型によって、新廟が建造され、これまで朱、緑、青、朱漆などで彩色されていた建物全体を黒漆塗りとした。(公益財団法人 斯分会 湯島聖堂より)
6000坪(約2万㎡、東京ドームの半分位か?)もの広い敷地に、聖堂や、学舎、学生寮、文庫、教官住宅等があり、直参旗本の子弟48名が学んだらしい。現在でいうとICU(面積では比較にならないけど)とか、そんなキャンパスライフ?贅沢!!たった48名で6000坪だよ~。その後書生寮を設けて、陪臣(藩士、郷士)浪人などの入学が許されたらしい。超エリート集団がここで育成されたということね。
先を進もう。外から見るとこんな感じ。中に入ったことはなくても、外観は見たことあるでしょう?上は塀の中をのぞいたところ。
聖堂入口はこの塀に沿って右へ下がった所。
江戸時代には道路の向こうに船着き場があったらしい。明治に入ると、現在の、順天堂大学、東京医科歯科大学辺りに高等師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)が開設され、そうそうたる文京地区を形成していたようです。写真にはっきり残されています。(斯分会資料)
さあ、いよいよ聖堂に入りますよ。仰行門です。一般見学者の入口になる門です。
仰行門右隣にある斯分会の建物の上にある動物、1935年の復興聖堂の設計者である伊東忠太博士(築地本願寺、平安神宮、明治神宮等の設計者)の考案した屋根飾り。名前もなく意味も今はあきらかでないそう。でもとても可愛い。
ご存知孔子銅像。1975年(s50年)台北市ライオンズクラブからの寄贈。
このすぐそばに、楷樹(ウルシ科)がある。楷は中国曲阜にある孔子の墓所にある名木で、枝や葉が整然としているので、書道の楷書の語源になったといわれています。ここにあるのは曲阜の樹の種子を持ち帰った聖木だそうです。残念ながら画像は間違って消失。ゴメン。
ウルシ科だからこんな木かな?だんだん大成殿に近づいてきますよ。
入徳門です。聖堂内唯一の木造建築。杏壇門の奥に大成殿が見えますね。
杏壇門に向かいます。杏壇とは孔子の教授堂の遺趾のことだそうです。教壇と関係あるのかな?
外国人の方が多いですね。
やっと杏壇門に辿り着きました。前の広場は結構広いです。
緑の多い堂内。こんな都心にこんな自然が・・・。自然は守らねば残らないのだと実感。
杏壇門から入徳門を眺めて見ます。駅前の高層ビルに江戸時代から引き戻されてしまいました
そして最後に大成殿。間口120m、奥行き14m、高さ14m。入母屋造り。大成とは孔子廟の正殿の名称。殿内には孔子像、左右に四配として孟子、顔子、曽子、子思の4賢人を祀っている。孔子を祀る祭典は毎年4月第4日曜日に行われる。以前中国語を学習していた時、麗澤大学のN教授とそのお仲間に誘われたが、機会を逸してしまった。一人では多分行かないだろうな。興味のある人は是非行ってみて。
大成殿屋根に鎮座する鬼頭(きぎんとう)鋳銅制637㎏。水の神、火災よけ。鯱型、龍頭魚尾、2脚双角、頭より潮を噴き上げている。屋根4隅角に鎮座するのが鬼龍子(きりゅうし)。猫型蛇腹で牙がある。鋳銅制、93kg。様態は狛犬に似ており、顔は猫科の動物似、だそう。こんな重い物、地震で落ちてきたらどうするんだろうね?
西出口に向かいます。階段を登って本郷通り方面に出ますよ。御茶の水は樹木が多くてきれいな街だね。湯島聖堂を参観してつくづくそう思いました。
こちらからも入れるので、地図があります。今日は地図右手正門からご案内しました。
まだまだ続くよ。お茶の水散歩。みんな最後まで見てくれてどうも有難う。
熱中症が怖くて外出が出来ません。
聖橋を渡り右が湯島聖堂・左に小川軒があります。
ランチをするのに友人と恰好の待ち合わせ場所
古い建物なので地下へ階段で・・・ローストビーフが美味、狭い店なので一応予約が無難。
歩くのは苦手なのでkinoppyのブログで満足今日も有難う
小川軒の情報も有難うございます。聖堂のあんな近くに小川軒があるとは知りませんでした。早速調べてみました。ハヤシライスが名物の情報がありますが、ローストビーフも美味しいんですね。(なんでも美味しいのかも)
1階にもレストランがあるようですが、地下とはお味がちがうのかしら?
ここのレーズンウィッチが北海道のマルセイバターサンドのお手本だったとは知りませんでした。失礼なことに逆だとばかり思ってました・・・。
また御茶ノ水に行く楽しみが一つ増えましたよ。涼しくなったらご一緒しませんか?
代官山のフレンチは昔から有名でしたが、
御茶ノ水のお店は小さく知る人ぞ知るといった感じ。
レーズンウィッチも御茶ノ水と代官山とは微妙にお味が違います。
是非ご一緒を楽しみに。
にしています。