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76年目の広島原爆忌

2021-08-06 09:50:57 | 日記
 今年も広島原爆の日を迎える。年をとるに従って原爆の日についての思いが強くなるのはどうしたことか。それは知識を得るに従ってその関心が強くなるのかもしれない。広島上空にやってきた米空軍のB29機の軍人にも必死に目的を遂げなければならないという責任感と原爆投下という後ろめたい気持ちが同居して彼らの気持ちもそれは決して楽しいものではなかったはずだ。
 広島原爆投下に向かったのは4機のB29機だった。まずクロード・イーザリ機長のストレート・フラッシュ機が先行して飛び立った。広島上空の気象観測の為であった。そして原爆搭載のポール・テイベッツ機長のエノラ・ゲイ機が、チャールズ・スウイーニー機長の科学観測機グレート・アーテイスト機、ジョージ・マクワード機長の写真撮影のネセサリー・イーグル機がそれぞれ広島に向けて飛び立った。
 日本上空には迎え来る敵機はほとんどなかったらしい。米軍はB29機が丸腰で飛び込んでも問題なしとの認識だったようだ。ゼロ戦などの戦闘機はそれまでの戦いで神風特攻などに使いきり底をついていてB29などの爆撃機を打ち落とすための戦闘機は1機もなかった。米側は大型爆撃機B29やゼロ戦などに対抗すべき最新の戦闘機を続々と生産し日本攻撃を更に激化する方向で戦力強化を図り、海上でも空母戦艦駆逐艦その他も同様補給を強化、攻撃用ロケットや迫撃砲など使うのに躊躇せず思い切り攻撃が可能な状況だった。
 日本側は兵士の持つ旧式の歩兵銃と手榴弾であり、本土決戦と叫ぶ軍部が国民に押し付けたのは精神力と竹やりの国家総動員だった。これだけの彼我の国力の差がある国に対してよくも戦を仕掛けたものかと我々今を生きるものが思うが当時の日本を牛耳る軍部はいかにその認識が欠落していたのか。
 この季節を迎えるとYouTubeの「アメリカ占領下の日本1~5」ほか第二次世界大戦の模様を見る機会が多いし、広島長崎の原爆投下のビデオも新しいものが追加されている。昭和20年9月2日の米戦艦ミズーリー上での降伏文書調印式で連合軍に一つカナダの代表が署名欄を間違えてしまうというハプニングや占領軍としてやってきた米兵の持つチョコレートやチューインガムに物珍しい眼差しで最初は遠巻きに眺めていた子供たちが一斉に手を伸ばしおねだりするシーンは見ていて心温まる思いで日本人が次第に占領軍を敵と見なさなくなってゆく過程がよく分かる。76年後の今、東京オリンピックでは世界の若者が一緒になって仲良く協力し競技に没頭している。戦争ほど愚かでむなしいものはない。