大晦日

2020-12-31 11:23:13 | 日記
 昨晩からの冬型気圧配置で朝は積雪が約10センチの銀世界だ。数十年にいちどの強力な寒波襲来との気象ニュースだったが気温はそれほど低くはない。部屋の暖房なしでも吐く息は白くならないのでコタツだけで十分のようだ。正月準備もだいたい終了してほっと一息ついた処だ。昔はといってもつい10年~15年前のことだが年末といえば今年の締めくくりとしてNHKFMがヒット曲を放送してくれてそれをラジカセで録音してクルマで出かける時にそれを再生するのが楽しみだった。紅白歌合戦なども録画するもの楽しみのひとつだった。
 時は流れてネット時代に入り好きな歌はいつでもどこでも自由に聴けるとなると録音や録画のテマヒマから解放されそしてより鮮明なより高音質のコンテンツを求めるようになる。従って年末の昔の楽しみといったものがなくなりそれが季節感を失わせ人生の区切りといったものまでが消え失せて毎日が平たんなものになったのではないか。地球の裏側の動きが即座に手に取るように分かる時代で翌日に繰り延べされるのは新聞くらいなものだ。それが当たり前の時代になった。ひと頃、定年退職したサラリーマンは膨大な手に余る時間をどう過ごすかなどがマスコミに取り上げられたが、インターネットの時代、知りたい観たい考えたいコンテンツが山の如くあって手に余るどころか足りない時間をもっと欲しいというようになった。平均寿命の延びがそれを如実に物語っている。来年の出生数が80万人を割ると言われるがこの少子高齢化社会もネットの時代がなせるものかもしれない。

今度の節分は2月2日

2020-12-29 16:01:50 | 日記
 例年節分は2月3日だが、来年の節分は2月2日だそうである。地球は太陽の回りを公転していて365日と6時間で一周する。従って4年に1日カレンダー上で増やして調節する。しかしこの6時間より若干短いらしい。詳細は調べて欲しいので割愛する(私も勉強不足の為)が要はこの地球の公転周期のズレを調節するためのものだそうだ。今日の新聞を見て初めて知ったので昨年買った3年分の日記帳を見れるとちゃんと2日が節分となっていた。日記帳制作会社はそれを既に知っていたのである。来年の立春は2月3日である。
 明日の日の入りは16時58分である。(関西地方)11月末から12月初めの日の入りは16時48分だからそれより10分も延びたことになる。夏至から11日を半夏生というが冬至がら11日目は元日だ。どちらもそれぞれ意義ある日なのだが私は夏の半夏生がなぜか心に響くように思える。

今日の朝刊

2020-12-26 09:12:31 | 日記
 今日の朝刊のコラムは先日お亡くなりになった作詞家なかにし礼さんを取り上げている。そして今年は戦後の歌謡界で輝く巨星が相次いで旅だったと筒美京平さんと中村泰士さんとそしてなかにし礼さんを取り上げている。昨日の私のブログと同じだ。1970年のNHK紅白歌合戦ではなかにし礼さんの独壇場だったとある。そうかいつだったか、阿久悠さんも同じように確か4~5曲が採用された記憶がある。皆さん、大昭和時代を彩った巨星の方々でこの人達の旅立ちは時代の転換点と言ってよいだろう。
 時々NHKの歌謡番組にチャンネルを合わすが舞台は多くの若者が踊り舞台のバックは煌びやかな点滅で盛り上げようという趣旨が見えるが歌の内容は低調なものでとても阿久悠さんやなかにし礼さんの作品には程遠いものばかりである。テレビでは見られない映像がネットで思う存分楽しめる時代だ。北原ミレイさんの「石狩挽歌」を改めて聴いてみたい。

訃報が続く

2020-12-25 08:58:28 | 日記
 作詞家のなかにし礼さんがお亡くなりになった。先日、中村泰士さんの訃報を耳にして日を置かずしての悲報である。少し前は筒美京平さんを亡くして昭和平成時代を彩ったこれら3人を同時に失った歌謡曲界は大きな穴がぽっかりできたのではないだろうか。なかにし礼さんは82歳、中村泰士さんは81歳、筒美京平さんが80歳といずれも似たような年齢での死去だが共通点はお生まれが昭和12年から15年で太平洋戦争突入直前の異様な日本社会時代である。なかにし礼さんの代表曲は「石狩挽歌」だ。ニシン漁は御殿が出来るほどのぼろ儲けが出来たがそれが今はすっかり過去のものとなりあの頃が懐かしいというものだ。細川たかしさんが歌った「北酒場」は大阪キタ新地の模様を歌ったもので中村泰士さんの作曲でカラオケでよく歌われたヒット曲だ。
 なかにし礼さんの長男中西康男氏は「最期まで恰好よく色気を失わずよい男でした」と感想を述べておられる。色気があったからこそ数々の名曲が生まれたわけだしその色気をもっと活用してもう少し活躍して欲しかった。3人の方々は80歳前半で欲を言うならば少し早死にと言えないか。それだけ過去の激務があったのではと思えて仕方がない。いずれも逸材でもうこのような作詞家作曲家は生まれそうにない。偉大な昭和時代がますます遠のいてゆく思いがする。

一陽来復

2020-12-21 09:44:22 | 日記
 12月21日は冬至にあたる。陰が極まって陽に向かう日である。例年この日はまだ本格的な冬の到来をせずにまだ温かいとして冬の真ん中であるが本当の冬はこれからだとされる。事実1月の半ば頃に一気に気温が下がり始め2月いっぱいその傾向が続くようだ。しかし今年はどうも違うようで先週初めころ寒気が日本列島を遅い日本海側にドカ雪を降らせて関越自動車道などで多数の車が立ち往生してしまった。12月にこのような現状は珍しい。今冬はどうやら寒いという予想である。明日から太陽は次第に北上して日足も延びてくる。南極の昭和基地の皆さんは逆に今日を境に陽がまた傾き始めお陽さまどうかこのままの姿でいてくださいと願っておいでのことではないだろうか。しらせも到着して機材や燃料の輸送に大忙しといったところであろう。
 昨日午後5時50分頃、木星と土星の大接近を見ることができた。明るい木星のすぐ上に土星が暗く乗っかるようにみえた。日頃あまり天体に興味を示さない家内と一緒にみた。手にしていた双眼鏡で見たがあまり焦点が合わずに肉眼で見た方がはっきりしていた。双眼鏡だがそれは家内が手にしていたものでその点、こういう場面ちゃっかりしているのはあちらさんのようだ。木星は時々目にするが土星をはっきり意識してみるのは今回が初めてである。我々の地球はこの木星と土星に守られて生きているという。太陽系以外からやってくる巨大隕石の衝突をこの二つの星が盾としていてくれるのだ。事実シューメーカーレビューという隕石が木星の巨大な重力圏につかまりバラバラになって木星の衝突する映像をみた。今日の夕刻も見えるだろうか。