先日見た夢は、
バス停側の八百屋。
初めて訪れた店にもかかわらず
「あ~、ここだ。この店を知っている。そうだここだ!」と
とても強烈に懐かしく感じる。
店は木造、古びた感じだ。
三段ほど階段を下りて林檎の並ぶ棚の前に行く。
銘柄が数種類ある。
どの果物・野菜も銘柄は数種類揃えてある。
大きな林檎を手に取る。傷んでいるのではないがキズがある。
不格好だ。
しかし「味は良く、値段も手ごろだ」と知っている。
その一方で「見た目通りの味だったら・・・」とも思っている。
店主がお客に声をかけている。
が、あまり商売熱心には見えない。
その理由は
一般に見られる八百屋のかけ声とは違っているから。
とてもおとなしく控えめなのだ。
梨もあった。これも銘柄が数種類ある。
店主は品物の姿にはとらわれず
味の良さとお客が満足する値段のものを提供することを重要視していた。
だから「わかる人だけ買いに来てくれればいい」と考えているのだ。
レタスのような野菜があった。見た目はレタスだが「パクチー」と書いてある。
割れ目からレタスのではない葉っぱが見えていて
それがまるで妖精のように顔をのぞかせている。
初めて見るレタスだった。
おしまい
夢からさめても「確かにあの店は知っている。どこだっけ?」と思ったくらい
とてもはっきりとした感覚でした。
で、さて、
これは一体どんな意味の夢でしょう?あいかわらずよくわからん
坂内慶子のドリームセラピーによると
「バスは電車ほど社会性に適応しないくても良いと自分に言い聞かせているかもしれません」
だそうです。
バス停を「駅」と解釈すると「人生を予定通りに進ませるのに必要なチェック地点」だ。
↑だと、「言い聞かせている」ってところが気になるな。
ほんとはそう思ってないけど、自分にそう思わせようとしてるってことでしょうか?
この店主はわたしそのものって感じがする。
「受け入れてくれる気がある人だけ、ィラッシャィマセ m(*-ω-*)m 」って様子だったなぁ。
がなり立てない接客はいいんだけど控えめすぎて
だからきっと不細工な林檎にちょっと不安を感じたんだろうな、と思う。ここで
「姿は不味くても味はピカイチですよ!」とか言ってくれれば良かったのに・・・
って、夢を見ていたのはわたしだけどね。
このお店は小さくて地味で目立たなくて、派手な宣伝もしてないけど
知ってる人は知ってるお店なのよ。
常連さんが通うような。
それで店主は満足しているんだけどね、
一見さんは「噂だけで」来た人だから不安なのよ。
なにせ古びた店構えだし
おまけに品物もキズがあったりするからね。
だからいい品を提供するだけでなくて
お客さんへの受け答え、接客にももっと目を向けてほしいんだなぁ。
って、夢の店主に訴えてもね、実在するお店じゃないのに。
しかし、店主とわたしは似ている、と思っているのだから
これは自分が自分に対するお願いってことかしら?
でもわたし、商売してるわけじゃないんだけど (。-`ω-)ンー
相変わらず夢解釈は迷宮入り~。
今日の一言クロアチア語
piliar
八百屋