Tの車で札幌へ
2時間で到着、とっても便利
夕食は久しぶりに娘と3人で
なごやか亭で。
とっても美味しゅうございました。
昨日は風が冷たく寒かった
月一の長生大学クラブのお楽しみかい
カラオケ店Oへ
私は久しぶりの参加
わたし達の他に3組のお客さん
それでも3曲唄えて満足。
寒かったので結局息子のTに送迎してもらった。
帰り
末永と舟岡のウロコさんを魚を求めてはしご
昨日の夕食海鮮丼・・・この大盛はT用
イクラはの手製
Tは寒いのにまたまた一人で外で・・・黄金豚
すごい食欲
東京では外で焼き肉などやると警察が飛んでくるので
できなかったんだそう。
私たちも外で焼いたのをおすそ分けしてもらった。
さすが黄金豚美味しゅうございました。
Tは昨日警察署へ・・・免許の件
職安へは会社から書類が送られてきてから行くそうである。
郵便局とか銀行の手続きはネットで終了。
簡単な世の中になったものです。
伊達の街はコンパクトにまとまっていてどこへ行くのにも近くて
動きやすいと笑っていた。
さて
この街は
Tの終の棲家になるか?
息子の車が大きすぎ
我が家の庭に納まらないので
近くの知人のお宅の駐車場をしばらくお借りすることにした。
車検が終わったら
我が家の狭い庭を整理して・・・鉢を撤去して
車がぎりぎり納まるかはみ出すか?
息子は今日は転居届とかetc.
私はカラオケをダビングしてもらいに行くと言うと
自分のパソコンに全て入っているので
CDに取り込めるという・・・ヤッタァー
一番心配だった
2月の学芸発表会の歌謡メドレーもできるとのこと
さすがぁー。
頼まれた写真の画像を出せず困っていたら
簡単に解決してくれた。
強い味方が現れた。
これでバソコンなどのトラブルも解決
頼もしい。
今朝の6時に大間からメール
伊達に12時到着
着くとすぐダンボールの片付けとか
家の整理をちやちゃとしてくれた
手早い
トトねねも突然現れたおじさんに
興味深々。
夕方ア-クスとホーマックに買い出し
息子は購入した魚を外で焼いて食べたいと
この寒いのに外で飲食。
美味しい美味しいとアルコールもすすんでいる。
1999年9月22日淡谷のり子さん逝去。92歳。直後某テレビ局で追悼特番が組まれました。その中で、生前の淡谷さんが「別れのブルース」にまつわる印象的なエピソードを語っていました。
太平洋戦争末期。淡谷さんは各戦地を慰問に訪れていました。ある航空基地でのこと。集まった兵士たちの前で別れのブルースを歌っていると、後ろで立って聴いていた若い兵士たちが途中で淡谷さんに敬礼しながら、次々に去っていくのです。事前に「特攻隊員たちが出撃のため、中座するかもしれませんので」と上官に説明を受けておりましたから『あヽ、飛び立っていくのね』と思いながら、歌い続けました。
しかし「よく見ると、まだあどけなさの残る、私の弟のような年頃じゃありませんか」。そんな彼らが、屈託のない天真爛漫な笑顔で淡谷さんに敬礼しながら、死地に赴いて行くのです。
「途端に涙があふれて、声がつまって続きを歌えませんでしたよ」
残酷な時代だった。