皆が真顔になって高志を見た。
慌てた高志が眼の前で、開いた両の手の平を振った。
「いやあ、それはありません。僕はあの入江がすごく気に入っていますから。最初連れて行かれ
た時から、何かわくわくしています。あそこは流人の島どころか、豪華な秘密のお城みたいな所で
す。日本中探したって、あんな素敵な所はありませんよ。鉄さんだってとてもいい人ですし、僕、
当分出て行く気はありません」
最後の言葉は千恵を見て言った。
彼女は気圧されたように、黙ったが、すぐに弾き返すように言った。
「よかったね鉄小父さん。暫くは楽できるっしょ。それに寂しくないかも」
「千恵お前はどうしてそう遠慮のない物言いをするかね」
トキが困った顔で、鉄さんにちよっと頭を下げる。
「千恵ちゃんの言う通りだよ。猛さんは良い拾いものをしてくれた」
「ほらあ、鉄小父さんの方が遠慮なしでしょう」
どっと皆の笑い声が上がった。
旨いものと酒の力も加わって、その後も部屋の中は明るい笑いと、話し声で満たされた。
高志はこれは入江の家と同じく、自分にとっては勝手の分からぬ、不思議な初体験の世界だと思
った。
世の中にはこんな団欒に恵まれた生活もあるのだと驚かされた。ふと自分は、根なし草の
生活を続け過ぎたのかも知れないと思った。
あたり前の人の生活を、あたり前だと感じられなくなっていたのかも知れないと思った。
久し振りに忘れかけていた、東京の家のことが思い出された。家出同然であの家を出てから既に
5年が経っている。
父や母は、そして兄や妹は元気だろうか。今でも自分のことを、思い出すことがあるのだろうか。
ずるずると芋蔓式に引き寄せられる記憶を、高志は酔いを払うように振り払った。
どんなに酒が入り、賑やかに騒いでいても堅気の暮らしの夜は、時間がくると皆さっと床に着
く。二人の来客も入江の時刻に合わせたように、客間で床に就いた。
冷えた部屋と寝具を気遣って、トキさんが入れてくれた湯たんぽが、心地良く嬉しかった。
翌朝は皆と一緒に起きて、懐かしいみそ汁の香りが漂う朝げに着いた。
心配していた空模様は、どんよりとして前日と変わらない。
風が無いので凪(なぎ)を期待して、鉄さんと高志は漁協に出勤の清子と一緒に家を出た。
二階を駆け下りて玄関まで追って来た千恵が叫んだ。
「春には釣りに行くし山菜取りにも行くから、連れて行って」
「待ってるよ。いつでもおいで」
鉄さんが心得顔で言った。
「清子さんも一緒に来てな。忙しいだろうけれど子供の時みたいに来て欲しいんだ」
「そうさせてもらいます」
清子はほっくりと笑って言った。
彼女は傍にいるだけで、空気を柔らかくする。
高志はそれとなく、そんな彼女に視線を投げて思った。
海は期待に応えてはくれなかった。
慌てた高志が眼の前で、開いた両の手の平を振った。
「いやあ、それはありません。僕はあの入江がすごく気に入っていますから。最初連れて行かれ
た時から、何かわくわくしています。あそこは流人の島どころか、豪華な秘密のお城みたいな所で
す。日本中探したって、あんな素敵な所はありませんよ。鉄さんだってとてもいい人ですし、僕、
当分出て行く気はありません」
最後の言葉は千恵を見て言った。
彼女は気圧されたように、黙ったが、すぐに弾き返すように言った。
「よかったね鉄小父さん。暫くは楽できるっしょ。それに寂しくないかも」
「千恵お前はどうしてそう遠慮のない物言いをするかね」
トキが困った顔で、鉄さんにちよっと頭を下げる。
「千恵ちゃんの言う通りだよ。猛さんは良い拾いものをしてくれた」
「ほらあ、鉄小父さんの方が遠慮なしでしょう」
どっと皆の笑い声が上がった。
旨いものと酒の力も加わって、その後も部屋の中は明るい笑いと、話し声で満たされた。
高志はこれは入江の家と同じく、自分にとっては勝手の分からぬ、不思議な初体験の世界だと思
った。
世の中にはこんな団欒に恵まれた生活もあるのだと驚かされた。ふと自分は、根なし草の
生活を続け過ぎたのかも知れないと思った。
あたり前の人の生活を、あたり前だと感じられなくなっていたのかも知れないと思った。
久し振りに忘れかけていた、東京の家のことが思い出された。家出同然であの家を出てから既に
5年が経っている。
父や母は、そして兄や妹は元気だろうか。今でも自分のことを、思い出すことがあるのだろうか。
ずるずると芋蔓式に引き寄せられる記憶を、高志は酔いを払うように振り払った。
どんなに酒が入り、賑やかに騒いでいても堅気の暮らしの夜は、時間がくると皆さっと床に着
く。二人の来客も入江の時刻に合わせたように、客間で床に就いた。
冷えた部屋と寝具を気遣って、トキさんが入れてくれた湯たんぽが、心地良く嬉しかった。
翌朝は皆と一緒に起きて、懐かしいみそ汁の香りが漂う朝げに着いた。
心配していた空模様は、どんよりとして前日と変わらない。
風が無いので凪(なぎ)を期待して、鉄さんと高志は漁協に出勤の清子と一緒に家を出た。
二階を駆け下りて玄関まで追って来た千恵が叫んだ。
「春には釣りに行くし山菜取りにも行くから、連れて行って」
「待ってるよ。いつでもおいで」
鉄さんが心得顔で言った。
「清子さんも一緒に来てな。忙しいだろうけれど子供の時みたいに来て欲しいんだ」
「そうさせてもらいます」
清子はほっくりと笑って言った。
彼女は傍にいるだけで、空気を柔らかくする。
高志はそれとなく、そんな彼女に視線を投げて思った。
海は期待に応えてはくれなかった。