気温マイナス30度C、風が吹くとさらに厳しい条件に。
写真は一昨日の夜の撮影のようすです。
8時間外にいましたが、いいオーロラが出ている中、手足に凍傷の危険があり撤収。カメラのボタンを押すのも苦労するほど手が痛みます。 pic.twitter.com/x77kgz6YWB
秋田弁やべえ。
ね→無い
ねね→無いじゃん
ねねね→寝ないじゃん
ねれ→寝な
ねれね→寝れない
ねれねね→寝れないじゃん
ねば→なきゃ
ねばね→なきゃいけない
ねばねね→なきゃいけないじゃん
ねねば→寝なきゃ
ねねばね→寝なきゃいけない
ねねばねね→寝なきゃいけないじゃん
ちゃう?(違う?)
ちゃうちゃう。(いや、違うよ)
ちゃうちゃうちゃうんちゃう?(チャウチャウとは違うのでは?)
ちゃうよー(ちがう)
…に、似てないか…
で、日本は日本でこんなことになってるし、まったくこじれたナショナリズムってやつは。ホム・ヨナ、めっちゃカッコイイじゃん>『まどか☆マギカ』の作画監督がキム・ヨナ衣装の暁美ほむら「ホム・ヨナ」を描き炎上 matome.naver.jp/odai/213931144…
アニメやマンガやスポーツ。本当は国境ボーダレスの世界のはずなのに、ナショナリズムを持ち込んで炎上するとかバカか。
ホムヨナ可愛いじゃんか。しかもスタッフが描いてるんだから文句言うなと言いたい。
自国に誇りを持つということは、他国を貶める事とは違うぞ。そういう行為そのものが、自国すら貶める行為だ。
本当にナショナリズムを唱えるなら、まず敬意を持つべきだ。話はそれからだろう。
[続報] 先ほどのフレアは、 X4.9 の大規模フレアとなり、X線強度は、2月25日09:49 JST (25日00:49 UT) に最大に達しました swnews.jp/rt/goes_xray.h… #swnews
太陽フレア…でかい!
どの位置の黒点から出たのか。要注意だなこれは。
……それにしても9.49って、日本選手団が成田に着いて選手たちが飛行機から降りたあたりの時間じゃないか…
ファンの熱気が(違
【毎日の星もよう 2/25-火】
現実の課題の厳しさに直面しそうな日。突然のトラブルや予定変更にも振り回されそう。特に夕方から夜にかけて要注意。ただ根性と気合も強まる時なので、プレッシャーにも負けず、冷静に対応できるでしょう。感情の揺さぶりに負けない事がポイント。
世間からの同情も集まりやすい時ですが、それに甘えず真摯に対応する姿勢こそが、さらに力強いフォローを呼ぶでしょう。
恋愛もようも若干荒れ気味で、素直になれない人が増えそうです。キツい言動に傷つくシーンもありえますが、裏にある本音を見抜きましょう。
【2/25の運勢-易】
風雷益 - 六三。之を益す。凶事に用うるに咎なし。中行に孚(まこと)有り、公に告るに圭を用てす。/大きな災難やトラブルが振りかかるが、それを通じて成長を目指す。有事の際には周辺に助けを求めるとフォローも入る。切迫時だからこそ、中庸の姿勢と誠実さを大切に。
帰ってきました~
本当に素晴らしい経験ができました!
この悔しい気持ちもこれからの自分にいい影響をもたらすことを信じて前へ進んで行きたいと思います!本当に応援ありがとうございました!!!! pic.twitter.com/0wbsftDJXa
Ran into Mao-chan, @Mariakko2010, and @Canyanpy1107 after the #ClosingCeremony! #Sochi2014 pic.twitter.com/K9f5CW9HlB
「浅田真央絶賛」のメディアへの違和感(松瀬学) - Y!ニュース bylines.news.yahoo.co.jp/matsusemanabu/…
→辛口の意見ではあるが、内容は納得に足るものはある。感情論を廃した「競技として敗退した理由」。
ただ、メディアの絶賛は、視聴者のニーズに応えているだけと思うけどもね。
そういう評価ってもし僕だとしたら悔しいですね RT @1408671: メダルを逃した原因の多くは長年にわたる不利なルール変更とジャッジの偏向採点の積み重ねだし、団体戦に出る出ない等の戦略などについては彼女に責任を求めるのは違うと思いますが。
昨日からずっと考えてた、素人なりに。
まずフィギュアスケートは、競技として評価する3つのポイントがあると思うんだ。審判ではなく、一般的な評価としての。
技術として、精神として、芸術として。
恐らくその3要素が揃った時、評価として現れるのだと。
技術には、テクニカルな面と同時に、メンタル面での調整も含まれると思うんだ。
今回、SPでは競技技術面がスポッと抜け落ちた状態。
だからトップ争いに並べるのは、正直、メダリストに対して失礼なことだと思う。それは浅田選手本人もよくわかってるだろう。
しかし、アスリートとして、前人未踏の領域に挑戦し続けるという精神、順位ではなく「自分に勝つ」という闘いとして主眼を置いた時、彼女はまさに崇高なまでの精神を持ってると思う。
その姿に、感動しない人は居なかったと思うし、惜しみない賞賛はそこから来てると思う。
今回のスピンやステップは、正直いつもの「余裕のある優雅な」彼女のそれとは違い、怒りや悲しみといった感情の激しさが現れ、技術的にもハラハラしたものだったのかも知れない。しかしライブと考えた時、あれほど胸をうつ演技は無かっただろう。あれは彼女の魂のほとばしりだったのだから。
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