韓国の今の行動は、日本の動きが「アメリカのもとでのアジア秩序の維持」を目指しているとしたら、「中国を中心とするアジア秩序の構築」に賭けたような形といえる。アメリカの陣営にいる限り、もう逆立ちしても日本には勝てそうになくなってきたから。そこで中国の拡大をもう望んでるわけっすね。
アメリカ嫌い(民主、社民、共産)にしてみたら、「アメリカの下でのナンバー2でいいのかー」と反感持つのはそりゃあたり前なんだけども、中国、ロシアと組むのに未来があるかっていうとね。せっかく苦労してナンバー2になったのに、それを投げ捨てるのはあまりにも惜しいでしょ、というお話。
中国抗日式典に国連総長も出席、49か国参加 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) yomiuri.co.jp/world/20150826… @Yomiuri_Onlineさんから
潘基文もいくのか(笑)
うーむ…
ようはアレだな、中露とアメリカ、どっちに組む?という話だな。一般人がどう思うか?と
それにしても何とも生臭い話だ…。ここ数年は覚悟しなきゃとは思ってたが。
革命家が後先考えず、まず社会制度と基盤を破壊しまくり、あとで自分も破壊されてしまう、という流れ。歴史上の有名で大規模な革命は、ほぼ同じパターンをたどっていると言ってもいいと思う。占い的にも天王星・冥王星のアスペクトは破壊と創造を示すが、特にスクエアは破壊のための破壊に終始しがち
だからその星の影響下で踊らされ、内部から沸き上がる破壊衝動を抑えられない存在は、破壊しか考えてないから整合性も無いし、理屈も通じない。冷静になれば分かりそうな理屈も、本能の前には儚く砕け散る。正直、彼らは「今の世界を破壊したい」が目的で、後はどうでもいいのである。
その一例が先ほど連RTしたアメリカの「生放送中に狙撃、自分も予告&生中継した挙句逃走、自殺」だろう。彼はレポーターとカメラマンを射殺したが、その事の社会的意味を良く理解している。私怨を原動力とし、安定した社会構造に引き金を引き、土手っ腹に大穴を開け、そして死んだのだ。
さて、この影響力は、私もふくめ今これを読んでいる皆さんもそうだし、全世界の人間がこの波に晒されてると言っても過言ではないと思う。一番激しいタイトな天体配置は崩れつつあるが、私が今までの歴史と照合して考えるに、時代を動かす重い影響はその時ではなく、数年経てから現実化する。
天体影響と自分の生き方とダイレクトに直結した人から、すぐに生活や社会活動に影響が出て、それが小さな引き金を引いていく。それが集まり、社会にダイレクトに影響を与える大きな結果になるまで数年かかる、ということだ。
ここ数年は周辺がどす黒い悪意と破壊衝動にまみれたものになるということ。
こんな時だからこそ、周りの渦に巻き込まれず受け流し、常に理性を保ち、怒りを昇華し、自分の動向を監視しつつ、情報を精査していく。…と書いたけど、そんなのなかなかできる事じゃない。
一般人として心がけることは、悪意をまき散らす「魔女」から距離を置き、時には情報を遮断することも必要かも
ハッキリ言って、1932年当時と今を考えると、立場的に日本と同じ過ちを繰り返そうしているのは中国。だから日本国内で、今さら中国と組もうしている勢力は無視してもいいと思うんだ。それよりも、一般人がその渦に巻き込まれないように気をつけなきゃならない。
ただし、それは中国を敵対視せよという話ではない。中国の内部と現状を正しく知ろうとする努力は必要だ。私が言ってるのは「盲目的に中国と組もうとする勢力」のことね。パワーバランスを保つためには、相手を正しく知る必要がある。
憎悪にせよ、盲目的に信用するにせよ、双方に共通しているのは「感情的レンジによる判断」だ。そうではなく、もっと冷静に立ちまわるべきだと思う。理性と感情の戦い。
…とまあここまで書いたが、ほんと何処まで続くのか…。この時代を選んで私達は生まれて来たと思ってたけど、こうまで大きな時代のうねりの中で、こんな小さな力、蟷螂の斧で果たして何処まで逆らえるのか。
生き残るしか、ないんだろうけどさ…。
「最近リベラリズムや個人主義を否定する傾向があるけれど、これらは評価しなければいけない。自発性というものはリベラリズムや個人主義と繋がっていて、これらを評価しなければ『責任』という問題が消えてしまう」
……という意味のことを昭和17年の座談会『世界史的立場と日本』で京都帝国大学助教授(当時)の高山岩男が云っている。これはかなり高水準ではないか。少なくとも今の言論人の大半が恥じていいレベルなのではないか。@visco110
小熊英二も同様の問題を、戦後の言論空間の研究を通して提起しているけれど、民主主義、個人主義のないところに自主性および責任意識を伴った愛国心、国防意識が育つはずもなく、現状、両者が分断されている日本の言論空間は決して普遍的なものではない。@visco110
なんと素晴らしい…これが昭和17年、つまり1942年の言説とは。
今の言論人は、自発性や個人主義というものを、単に「自分の感情で感じたものを、精査せずに喚くこと、後先考えずに動くこと」に重きを置いているが、実はそれは自発性とは真逆のものだということに気づいてない。
感情で判断し、同意をくれる者と一緒になって思考停止し、「感情の赴くままに行動する」、これが全体行動と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
これでは類人猿に退行していると言う「そしり」は免れぬだろう。
人類のみが持つ、理性による思考を放棄しているのだ。
これからは、ほんとこの戦いなんだな。もちろん、この私自身も常に監視し続けなきゃならんのだが。それに負けたものが、トリガーとして貧乏くじを引き、自らも破壊の渦に巻き込まれる。しかし同じ失敗を、今度は繰り返してはならんのだ。
連合赤軍といえばあさま山荘事件のイメージが強いが、山岳ベースリンチ殺人事件をもっと強調した方がいいと思う。あれが当時の一般国民の中に(過激派以外含め)左翼勢力全般への不信感を根付かせる大きな要因になったのは間違いないだろう。
私に対する差別発言の一件、その仲間と思われる人が次のように弁護する。「ネトウヨを"普通の日本人じゃない"と言うのが何か問題だ」と。しかし、思想上の理由で、いわゆる「ネトウヨ」を「普通の日本人」というカテゴリーから排除してしまうというこの発想こそ、正真正銘の差別主義なのである。
しばき隊の人は私のことについて「普通の日本人じゃない奴」と差別発言した一件、今のところ、彼らの仲間たちは誰一人も異論を呈することなくただ黙認している。ということは、彼らしばき隊こそは本物の差別主義者、あるいは差別主義の同調者なのだ。そうではないのか。
これは見識を疑う。
クローゼット・ゲイは「LGBT」に値しない、と。
クローゼットにいる理由は様々だけれど、クローゼットが生まれ、そこに居ざるを得ないホモフォビックな社会こそが問題で、「LGBTたる資格・資質」の問題ではないはずだ。 twitter.com/quitamarco/sta…
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