らくがきちょう

わにのたまごの過去ログ

9月29日(月)のつぶやき その1

2014年09月30日 04時12分40秒 | Twitterまとめ

他人への悪口は、自身の自己紹介の完璧な典型例を見た:(;゛゜'ω゜'):

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以前から、「口の悪い正義漢」または「毒舌正義気取り」の人達の対立者への攻撃性について、なんでかな、という疑問を抱いてきたけど、あれはなんていうかこう、「対立者の中に自分を見出している」のではないのかという気がしてきた。

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つまりは、鏡。
鏡を見てそこに映っているものに最大限の批判を与える。事細かにそれを描写する。鑑に映ってるのは自分だから、結果的に「対立者への非難」が「自分への冒瀆」そのものになってしまう。

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また、「自分が言われたら嫌なこと」を言おうとする。

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人は、「好悪善悪」の基準を、結局は自分自身の価値観に準えるしかないし、その価値観は自身の経験、自身の不安、自身のコンプレックスから生成される。

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だから、「自分がされたら嫌なこと」を「相手にすれば嫌がるはずだ」と考え、「自分がされたら嬉しいこと」を「相手はされなければ悔しいはずだ」と考える。
他者攻撃は、だから【自己紹介】【自己規範の露呈】になりがちなわけで、「他人の悪口は言わないに限る」ってたぶんそういうこと。

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そんなわけで、誰かの悪口を言ってる人がいたら、それはその人が『自分の弱点を教えてくれている』のであるわけで、攻略の参考にすればよいと思う。
そして自分が他人に攻略されたくないと思うなら、対立者の悪口など言わないことだ。

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全く同意>他人の悪口は自己紹介乙

これは西洋占星術でもしっかり説明できますよ。
特に他者の事を感情的になって攻撃すればするほど、それは自分の影だったりするケースが多いです。
だから迂闊に人を責めたり出来ない。最も言われて嫌なことを言ってる、という事でもありますし。


あと、やたらと攻撃的で、すぐに人を否定・批判する人ほど、実は自己評価が低く、自信がないという裏返しだったりしますね。


(´-`).。oO(・・これらのカラクリに気づいてからというもの、怒ったりイラッとしたら自分の中身をまず点検するようにしてる・・)


アジア大会、レスリング女子の吉田沙保里選手が金メダル!レスリングでの一本背負いは初めて見ました。圧巻の強さ!レスリングはオリンピックくらいでしか見たことありませんでしたが、面白いですね。
#コキンメフクロウ pic.twitter.com/aTfU4I76w3

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9/28の白駒池の紅葉です!
早朝の水面鏡に写る紅葉が綺麗で上下がわからなくなるほどでした。 pic.twitter.com/YFaBNrtMZq

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ズレてたから治して差し上げた pic.twitter.com/TsKpXDqes4

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開田高原で写真を撮影しているみなさん。
開田高原は噴火口から5キロ以上離れてます。撮影でけで帰らず、どうかコーヒー一杯、お蕎麦一杯食べてお帰りください。
夏の土砂崩れ、そば祭り中止で観光が大打撃です。助けてください!

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.@usaburow さんのコメント「個人が「らしさ」を捨てて好きに生きても周囲が「らしさ」を求めていれば一人負けするだけですし、それを恐れるのは当たり前でしょう。
みんな..」にいいね!しました。 togetter.com/li/724829#c161…


.@7seneki さんの「エマ・ワトソンのスピーチと男らしさからの解放について」

→「らしさ」に拘泥している時点で、既に囚われている件について。否定派も肯定派双方ともに。 togetter.com/li/724829


エマ・ワトソンの演説、「フェミが男性を敵視するのは良くない云々」ってのはいいと思うのだけど、結局最後は「私達と一緒に男性らしさを捨てましょう」って言ってる時点で「だめだこりゃ」と言わざるを得なかったな。


いわゆるフェミってのは、結局大きな剪定バサミを持って、一物をちょん切ろうとしているようにしか私には見えないんだ。
男も女も出っ張ってるところは切ってしまいましょう。みたいな。
形を同じにしてしまえば、平等に成るよね。みたいな。
先日そういう漫画を見たけど。あれは上手いと思った。


変えなくてはならないのは、大人が子供を育てる時に、一方的に「性差」を強要し、その説明をちゃんとしないこと。個人の個性を見ようとせず、剪定を強要すること。何故性差が社会で必要なのかを説明した上で、子供が個々人で持つ個性や性同一性を尊重する。そこからしなくてはならないはず。


エマ・ワトソンは、自分の個性が認められず、頭ごなしに「女らしくしなさい」「理系の勉強なんて必要ありません」「普通になりなさい」と親や周囲から言われた事が嫌だったのだと思う。なのに、他人の性差や個性を剪定バサミでちょん切ろうとする。結局、しようとしている事は親達と一緒なんですよ。


そもそも女性が社会的地位が低いのは、女性だからだと言うのはね、甘えだとしか私には見えないんだな。だって私達よりはるか先人である母の世代だって、性差関係なく理美容師の世界で、自分の実力で対等に渡り合ってるからね。収入も地位も、時として父より多い時すらあったよ。


その上で、子育ても家事もしっかりこなしてたんだよ。家電だってあまり無くて、全然不便なのにさ。私にはとても出来ん。スーパーウーマンだと思うんだ。
そんなに完璧を目指す必要はないし、もっと母のような立場の人のために行政側からフォローを充実すべきとは思うけど、とにかく不可能じゃないの。


私は子育ては出来なかったが、いちおうグラフィックデザイナーとして仕事していた時、男女だから差別されているとか、昇進できないとか、考えたことも感じたことも無いよ。
ただし、結婚し子育てとなると、それは大事業だからさ、一線で働き切るだけのパワーは半減するよね、それは仕方ない。


なんか家事や子育ての大変さを、「じゃあ父親側にも手伝ってもらおう」ってのも安易な発想で、てか手伝うじゃなくて義務にしちゃうって彼女らは言うのだが、役割分担とかめちゃくちゃだよなあと思う。男性側の責務は一切顧みずに、女性側の負担だけ下げろなんて無理な話だ。


結局、女性側の勝手な理屈だけを振りかざして、おいしいとこ取りしたいだけなんだ!と糾弾されても仕方ないでしょ。さっきのまとめでも、否定側が一番言いたかった事は、そういう事だよ。現実見ないで夢ものがたりだけ押し付けんなよと。泥の中に誰が入るんだよと。



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