今のところ「結婚」という昔からある制度にすりあわせないと米国社会の大多数が納得しなかったから、妥協したけど、大きな勝利であってもゴールではないから、次の一歩はこれから進んで行くんだよ。
同性婚っていうのは社会に、政府に、地域に、同性愛の存在を認めさせ、受け入れさせる手段であって別に最終目的じゃないんだ…単に結婚ができるようになってうれしい、っていうより、この社会に同性愛の存在をちゃんと受け入れさせてうれしい、ってことだべ。
ニューヨークですら、同性愛者だというだけで殺される憎悪犯罪がまだある。米国は進んでいるようで、同性愛者に対して暴力を厭わない差別主義者がたくさんいる土地でもある。だから、国家に同性婚という形で「同性愛を正当なもの」と認めさせることは、とても真剣な意味を持ってる。
確かに結婚という保守的な、古い制度を利用して同性愛を社会に認めさせたやりかたは、日本のリベラルからすると違和感があるかもしれないけど、米国が先進と保守の鋭く対立し入り混じる国だということを考えると、ギリギリのところでつかみとった妥協と勝利なんだよ。
別にそれで同性愛者が殺されなくなるとは言えないけど、でも国が公に認めているということは、やはり大きな違いを、長期的には社会にもたらすと思う。まあ共和党政権ですべて反故になるかもしれんけど。
うむ、なるほど。としかいいようがないな。
ま、これは一つの意見として考えるのは大前提としてだな…
私の中の違和感とか嫌悪感がハッキリ見えて来たぞ。
つまり
結婚を「大切なもの」と思うのではなく「無意味でどうでも良くて破壊したいもの」という扱いをされている、それが嫌なんだと思う。
誰もがヒーローとヒロインになれるわけじゃない。
なれなかったその他大勢は、彼らを固める脇役として人生を謳歌し愉しめばよいだが、それが出来ない人間が恨みをつのらせ、魔王と魔女に変容していくのだろう。
マスコミが散々っぱら煽った結果がこれなんだなあ…。
えーとまあ、このままだと、サイレントマジョリティが怒り出すのも時間の問題だと思うので。
例の裁判も、ほとんど僅差で勝訴したという事実を忘れると、どえらいことになりますよと。
あとね、理不尽だと思うかもだけど、混沌が存在するのは、秩序正しい世界があるから、なんだよ。
混沌が混沌だけになった時、それもまた維持できないということも、忘れがちなんだよね。破壊にとりつかれた人達は…
個人的には「創作物としてなら」混沌の世界は嫌いじゃないんだけどね。憧憬すらある。
だが混沌を愛するからこそ、秩序もまた必要だと思っている。
自分たちにとってどうでもいいからといって、それを踏み台にすんなよ。
その「物語」を大切に思っている人は、まだまだこの世のは多いんだからさ。それを忘れたら、とんでもないしっぺ返しが来ると思うよ…?
「夏越の祓(なごしのはらえ)」
六月の末日(晦日)は、十二月の大晦日と同じく「大祓(おおはらえ)」の日です。
この日は各地の神社で、罪や厄災を祓う「夏越の祓」が行われ、茅草でつくった輪をくぐる「茅の輪くぐり」が行われます。 pic.twitter.com/TwAF07sDzT
「めうちゃんは日本のした戦争の反省したくない」
「反省したくないめう」
「そこで、良心的な日本人に生まれ変わる」
「生まれ変わる」
「正しい歴史を知らない日本人を、中韓と一緒に反省しろ謝罪しろ、と叩く。自分たちは特別!」
「すごいめう。叩かれる側が、叩く側になると気持ちいいめう」
フジテレビ側の言い分としては、実際にそういう発言はあるが映像が違ってたってことらしい。すると、早速、サヨクたちは「発言者の都合のいいところだけピックアップして、嫌韓に捻じ曲げた編集自体が問題だ」とか怒ってるけど、あれ?
君たち自民の百田勉強会の盗聴報道にそんなこといいましたっけ?
これかな?『滋賀=ハワイ』と言う括りだけ?だが…RT @senjuin1010: @Polaris_sky 以前、各都道府県にGDP同規模の国旗をあてはめた日本地図が流れてましたが、結構おおきな国と同規模だったりして感心しますよねー。 pic.twitter.com/uCEP6l4Ihx
誰もが主役!という煽り文句に騙された親が、子どもの学芸会で「全員プリンセス&プリンス」を演じさせた。
結果的に、主役以外はクソだと思う大人が量産されているのかも。
脇役こそ面白いのにさ!
こんなに人間がひしめいているのだから、全員が主役になんかなれるわけがないでしょう。
自分に与えられた環境と能力を正しく認識し、その中で工夫し全力で生きるゲームなのだよ、人生とは。自分が満足したらいいじゃん、と思うけど、他者の評価が気になって仕方ない人が増えてるんだろうなと。
そんな世知辛いゲームでも、唯一主役になれるのが結婚だったりするよね。少なくともその家族を作る時は間違いなく彼らが中心だからね。
これはもう、生きるための「物語」のひとつなんだよ。
それが出来ないからといって恨んで壊す、なんて辞めたほうがいいと思うけどねー。
まあ多分、その物語を守る側からの反撃がこれから起こるのだろうが、結局双方が傷つき壊れ、違うものに変容するのは、時代の求めるシナリオなのかもしれないね…。
もったいないなあ、と思うのは、やっと偏見が解けて、社会的認識がひろく受け入れられつつあった分野だったのに、急進的で破壊的な行動とリンクしてしまうことで、拒絶反応が再び起こるだろうなと予想できることだ。
個人的には穏便にゆっくりと認識が変わることこそベストだと思っているのだけどね。
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