らくがきちょう

わにのたまごの過去ログ

12月29日(月)のつぶやき その3

2014年12月30日 03時42分40秒 | Twitterまとめ

非常に残念な話ではあるけど、円滑に交渉でき、かつ相手からの譲歩を引き出せるようなスキルを持っている人たちっていうのは、こうした支援活動には「まったく興味がない」というタイプが多いのね。結果として社会経験が乏しく、相手の感情をあまり考えない人が支援活動とかしちゃってトラブル起こす。


某デマリンが収支報告を出さない一件もあって、カンパというものに懐疑的になったからなあ。俺が「胡散臭い団体にカネを払うのではなく、公的な機関に投じた方が確実だろう」と思うようになったのは、デマリンであるとか、震災以後に急増した「カンパを募るための行政批判」が影響している。


渋谷区の出している「集会による占用許可申請の確認リスト(city.shibuya.tokyo.jp/est/pdf/koen_s…)」を見てみると、「あー、これじゃあホームレス越冬支援活動は申請しても絶対に通らないな」とすぐわかる。でも、あっち側の人は「申請できないように作った」と暴れるんだろうなあ(遠い目


東京でも行政と折り合いをつけているところはあります。渋谷は支援する団体が「行政との闘争」を掲げているのです。 RT @jig_yuki: @riho_ohir 渋谷区だけが異質なんですかね? 神戸とか公園で炊き出しやってるし。行政・地域とうまく折り合いできる人がいないのかな?


@jig_yuki @riho_ohir ホームレス支援というより、支援に使うはずだった公園の自由使用を勝ち取る…みたいな方向になってしまっているのです。ハッキリ言って「ホームレスは置き去り」です。支援を条件に「自分たちの政治闘争へと巻き込む」ので非常に性質が悪いです。


渋谷の場合は「支援してくれない冷たい行政」を殊更に強調して、「そんな行政とも戦っている我々にも支援(カンパ)を」とやっているようにも見えるんだよね。ようするにカンパビジネスの一環であって、それ以上でもそれ以下でもない。「9」の人も殊更に行政をdisっているのはそういう意図かもな。


以前、年越し派遣村の時も思ったけど、ホームレスの人達は無視だったり、収容施設裏に黒塗りの車が止まってたり、政治家っぽい人もいたりとか、あの手の市民運動ってほんと胡散臭いとおもったよ。救済よりも、パフォーマンスなんだよね。集まっている人も本当に困ってる人なんだろうか、とか。


自分達の闘争の為の道具にされてると思うホームレスの人達は、ああいう炊き出しには行かないんじゃない?
派遣村の時も頭合わせで何処から呼んできた人が少なからず居たと思う。


それにしても、カレーの話は勉強になった。冬の炊き出しでは禁忌だったのか。確かに冬にカレーをあまり食べたいとは思わんし、食後に下る事も多い。
芋煮や豚汁、粕汁は体あったまる。胃腸にも優しいもんな。
例の人も、下らん攻撃を集団で行うより、こういう有意な情報こそを拡散しろっての。


対立構造の演出であるとか、アンチの存在による運動潰しの危機感演出だとか、左翼的な手段を「すべて入れ込みました」にしか見えないっていうのもマイナスだよなあ。そこまでやらないとお仲間もカンパしてくれないのかもしれない。景気は悪いからね。ホームレスの心配なんてできない人もいるだろうよ。


@sis_sis そういう対立構造を作っておけば、血に飢えた人たちがサポートしてくれると考えているのかもしれませんね。もっとも、そうなれば最終的にはサポートした人に乗っ取られるのがオチですが…


渋谷の件を見ていると「衝突(戦争)からは何も生まれない」を実感できるのだけれど、平和憲法を重視する人ほど、「思想に異にする者との闘争や衝突を辞さない」という態度なので頭が痛いです。好戦的な平和主義者。存在自体が矛盾の塊だと思う。少なくとも俺はそういう認識。


「自分たちの善い行いが行政から弾圧されている」みたいな構造を作り出さないと金銭支援は得られないだろうけど、それを目的とした対立構造の演出は「何か違う」と思わせるに十分なんだよな。支援するはずのホームレスが「ただの口実」であったり、「矢面の立たせるための盾」にしかなっていないのが。


ホームレスを政争の道具にしない、人として見てくれるような団体があればいいんだけど、弱者救済を掲げるようなところは「何らかの裏目的」があるところが多々だし、その目的が無いと「人道支援なんてやっていられるか」という本音はあるんだろうけどな。無償の愛なんて存在しない。


反原発運動で「昔取った杵柄」的に復活した人も多いし、デモが同窓会的雰囲気にもなっていたし、楽しいのでしょうね。 RT @taka6350: 反基地運動に勤しんでいる人々もそうですが頭の中が「60年代」で「停止」しているのでしょうな?「全共闘時代よ再び!」という意識なのでしょう。


1人のホームレスの身の上話を聞いて、「この人を助けてあげたい」と考えるか、「同じような不運な境遇の人たちが他にもたくさんいるだろう。そういう人たちを少しでも減らすにはどうしたら良いか」と考えるかで、行動はおのずと変わって来る。


(ただしマザー・テレサは、「世界を救おうと思うな。目の前にいる1人を助けよ」とおっしゃっている。)


スピ系で、弱者切り捨てかわいそう、政府酷い云々内容を優しさでキラキラとデコレートしたTweetしてる人が、以前、私にどんなに残酷な仕打ちと発言をしたか。大言壮語で釣って上京を煽りながら、選択したのは貴女の自己責任だと言い放ったんだよ。
だから、ああいう手合いは本当に信頼できん。

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確かに私の選択は自己責任だが、タイトなスケジュールなのに何度も仕事を放棄し、締め切りを守らず、内容にワガママ言ってプロジェクトの進行を妨げた。責任をとらず、目の前の人間を地獄に突き落とした。何度も。
何が弱者かわいそうだよ。今でも陰で何人困らせてんだっての。


ああいう手合いは、本当の弱者なんてどうでもいいんだと思う。
彼らは弱者に自分の姿を重ねているだけに過ぎない。何処までも自己憐憫から離れられない、永遠のお子ちゃまなんだと思う。
人を騙すのも上手いしね。次から次へと、犠牲者探して寄生するから。


上京した時、「本当に上京するとはね~(うろおぼえ)」って言った時の、今までの態度と少し違う「ヒヤッとした感じ」が、後にして思えば、彼女の本性だったのだと思う。



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