零戦という世界一の戦闘機を作り上げた日本のエンジニア達(優れた工業技術製品がただ一人の天才だけで成立する訳がない)は終戦後、重工業解体で散り散りになります。しかし散り散りになったことで新幹線、航空宇宙産業、そして自動車産業に従事するかことで、再び世界を席巻し高度成長を支えました。
日本の航空宇宙産業の礎を築いた糸川博士も、トヨタ自動車の黎明期を支えた長谷川龍雄氏(初代カローラ開発責任者)も、初代0系新幹線設計者の三木忠直も、みんな帝国陸海軍の技術者だったんだぜ。あの膨大な「人」に託した蓄積があったからこそ、敗戦の焼け野原から日本は急速に復興できたんですな。
「不死鳥は数百年に一度、自ら炎の中に身を投じて生まれ変わるんだ」
「やっぱ入る時『あ゛ぁ~生き返るわぁ~』とか言うのかな」
「熱めの風呂に入った時みたいにするのやめて」
現政権って教育は論外、原発を再稼動してない、漁業政策は魚絶滅寸前な状態を放置してる、公共事業は供給制約を延ばすような有効な対策を打ててない(啓蒙も含めて)、対外だと韓国へ慰安婦問題で頭下げに1400人連れて行った、対中は尖閣諸島に軍事基地建設されてる。突っ込みどころ沢山あるじゃん
風立ちぬは正直全然期待してなくて、ぼんやりビール飲みながら見てたのに、「ありゃ、面白いな…」とグイグイと惹きつけられ、エンディングの「ひこうき雲」で滝のように涙が止まらなくなってしまった。
あれは恋愛物ではないし、原作や実際に存在した人物と対応させてはダメな話だと思う。
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むしろ宮崎監督そのものを正直に描いた作品であり、自分が描きたいものを素直に描いた(とはいえかなりぼかしていると思うが)という映画、という説のほうがしっくりくる。
まあ見た人、それぞれの感想があって当然と思うが、あれほどのクオリティを形にする事が出来るのは、もうさすがとしか。
性格的に酷評される二郎だが、私はつい旦那に被らせて見てしまう。そうそう、もうね、技術やってこんな感じなんですよ。とにかく。私もなおこの気持ちは痛いほど分かる。ああいう、自分そっちのけで目を輝かせてメカをいじる彼が好きで、だからこそ邪魔したくないと最後には消える。
ことさらにイデオロギー全開にしなくても、自分のやりたいこと、愛するべき美しいものを描くだけで、その全体に立ち上るテーマ性。これもね、わざと狙ったら絶対にできない。やはり天才はいるのだと。二郎はまさにそれで。と同時に、彼を支える99%の凡人がいるからこそ、形になるのだと思う。
凡人は天才がいてこそ自分の力を発揮できる。それの優劣なんて関係ないんです。それが本当の「ピラミッド」という意味だから。天才を嫉妬するよりも、自分ができることをモクモクとやり続ける。あの映画はですね、天才だけでなくその姿もしっかりと描いてたと思います。
星を観ていて、ああ2011年からの10年が本当に大切だという事を考えてたところだったので、「どうだったかね?この10年は」という台詞にもびっくりしたし、優れたクリエイターはこうやって時代が提示する伝言を形にして出してくるんだと感銘を受けていました。そして「生きねば」という言葉も。
過去の事例をあとからごちゃごちゃいうなんて、誰にでも出来る。でもあの時代は、ああするしかなかったと思う。どう生きるか長く生きるかを超えて、自分の出来る最善を目指すしかなかったのだと思います。反省は必要だけれども、犯人探しは意味が無い。
そして生き残ったものは「生きねば」と。
で、今ですよ。まさにあの「10年」とかなりの相似形を持つ「現在」に生きている私達は、どう生きるか?どう最善を尽くすか?それを今、「時代」から問われてると思います。
「風立ちぬ」は、反戦とか愛国とか、イデオロギーを超えた位置にある「堀越次郎という架空の天才航空機技師の生き様」を描いたもので、だからこそ大きな価値がある映画ですよん。「美しい飛行機を作りたい」という無垢な願いが残酷で、しかしそれでも美しい意味合に変化していく業が深い映画です。
日本では、フランス革命で民衆が悪い王様をやっつけて自由で平等な社会ができました、みたいなお花畑なことをいまだに信じている人も多いが、そんなものは北朝鮮の金日成の建国神話とほとんど同レベルである。人権思想や民主主義は、最初から膨大な量の血にまみれた危ない思想だ。