「バカは死ねばエエんですよ!」は超簡単で「バカと如何に共にくらすか・バカを如何に喰わしていくか」ってのが政治。
@hisakichee (。Д。) 愚かな話なのは馬鹿は死ねばいいっておとなしく死ぬわけはなく、犯罪を行ったり、暴徒化する危険性とそれを抑え込むための治安、社会的コスト考えたら再配分や各種保障や雇用通じて共に暮らす方がマシなのです。切り捨て消えると考える方々は愚か者としか
「私オッサン好きですw」なんてほざいてるお方はたくさん見てきたが 未だに一番オッサンオッサンしてる③好きの方は見たことがないよ!プェー!プェェップギェエエエエエ(´?ω?`≡´?ω?`)プギェエエエエエエエエエエエエン!! pic.twitter.com/W4YEAIn9mz
後輩たちがエヴァンゲリオンの名セリフを己の故郷の方言にする遊びをしているのである。「おんどりゃあアホかぁ」「わしが死んでも代わりがおるけえのぉ」「笑っとりゃあええんじゃい」「逃げたらあかんぜよ。逃げたら」まるで仁義無き戦いである
代替医療のカテゴリーから民間療法を消したい。それだけでも全然変わってくるんじゃないだろうか。
そもそも玄米菜食とか代替医療と言ってなかったのに、厚かましい!
国家資格まで要する鍼灸師やマッサージ師、柔道整復師と、無資格無責任な民間療法がなんで一緒になるんだ!
まあ鍼灸師の資格を持ってない私が偉そうなこと言えないけどさ…(´;ω;`)
一時期まじで考えたんですけど、諸事情により諦めたんですよ。
モスキート音、以前聞こえていた音域がぷっつり聞こえなくなってマジ焦ってる(滝汗)
もしかしてユーチューブで音域カット?と思ってアプリ落としてみたけどだめ。ある程度は仕方ないが、実年齢ならいける音も聞こえないって何ごと…
以前なら実年齢より下の高周波もOKだったのに。劣化激しすぎ。
耳から老化…自分の弱点は腎臓と耳だと思ってるので、正直怖い。生命力に直結している部分だから、弱ったら死んじゃうとこなんだよね。こんなに早く逝ってしまうとは。ちなみに毛髪も関係してんだよね。白髪化早過ぎだとは思ってたが…
世の中には仕方がない事もあって、それはね、あなたのせいじゃないんだよ、と僕は言いたい。
Twitterを見てて、例えば「生まれた時に子供は親を選んできた、という考えは、子供に自己責任を追わせ、詰んでしまうからダメ」という呟きを見たとする。
確かにそういう無責任なスピ系全開の概念(選んで生まれてきた)は軽々しく言ってはならんと思うけれど、少し気になることがある。
例の「自分が親を選んで生まれた」という発想は、自分が責任を負える範囲以上のものに対してまで、自分で責任を負いなさい、という意味ではない。(そういう使い方や考え方をしている人も居るかもしれないが)親がした全ての物事を肯定せよという意味ではない。
生まれて育った「自分」が、責任を負える範囲を完全に超越しているならば、その責任を負うことはしなくていい。というか責任を負う・負わないという話ではなく、少しでも気持ちや見方の角度を変えるための、いち発想にすぎないと思うんですよね。
その発想の是非はともかく。
私がその時気になったのは「全ての物事は誰かの責任」という着眼。何か発生したとして、その出来事全てが「何かの因果関係と責任においてなされている」という発想なんです。
でもね、人が負える範囲なんてたかが知れてます。残酷で過酷で理不尽で、誰も責任取れないような出来事も沢山あると思う。
分かり合えないという一つの、人としての限界を、そんなはずはない、人は無限の可能性があると信じて限界を認めないっていうのをさっきのまとめで見て、理不尽な災難にすら「何かのせいにしたい」という人が増えてるのかな、と少し考えこんでしまいました。
限界はあっていいんですよ。人なんですから
以前の私ならネットでもリアルでも、食い下がって人に自分の主張を分かってもらいたいとかやってたと思う。でも最近はそれは無理だと悟ってます。ある程度まで共有しないと、ネットでは全然分かり合えないと。
そういう意味では、Twitterのブロック機能はとても便利だと思う。ただその反面、それぞれの価値観の純度を高める効果もあるから、TLが世界の全てと思うことの危険性を、最近つくづく痛感しています。
善の唯一の報酬は相応の善であり、悪の唯一の報酬は相応の悪であれ、と常々思う。しかし、必ずそうはいかないのが現実。人間とは、そうした矛盾の上に生きているのだという覚悟は必要である。生き抜く知識と知恵を持たねば。(小池 一夫)
先が見えない不安を抱えていない人間なンて、地球上に一人もいない。それでも、強く優しく生きていくのが人生ってものよ。(小池 一夫)
嫌いな人のTwitterとかFacebookを逐一チェックして、傷つきまくっている人に、他人のことなんて~ってアドバイスしても無理。「嫌いなものをわざわざ見に行ってわざわざ傷つく」っていうのは、一種の刺激なのよね、たぶん。
嫌いは好きの裏返しですからの。>RT
執着がなければ、嫌いにもならず、無関心になるのだと思う。
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わざわざ見に行くその裏には「この人と本当は仲良しになりたい」という願望が隠れてる場合も、あるんだよね…。でも素直になれない。嫌いになることが、愛情表現だと混乱している人もいるからね。表層では単に「あいつ嫌い!」だろうけど、実は嫌いなものは自分の一部だったりするんだよ。