別れに当たって軽太子は、また、妻でもある妹の軽大郎女に、人づてにだと思いますが、その惜別歌を三首も送っていますが、余りくどくどなり過ぎますのでこのあたりで。
それに対して衣通姫も軽太子のことを心配して、やはり歌を歌って送っています。
この時代でもそうですが、古来から、どうも日本人は、どうしてかは分からないのだそうですが、和歌がその生活に入り、常に人々の間で行き来していたようです。万葉集に於いても見られるように、あの東歌みたいに生活の一部の中に入り込んで、それがなくては生きていけないかのような状態を作り上げていたのではないでしょうか。
その軽大郎女の歌です。
”夏草の 阿比泥<アヒネ>の浜の 貝<カキガイ>に
足踏ますな 明かして通れ”
伊予の国の海岸を通る時に、かきの穀で どうぞ 貴方の足にお怪我がないように、十分にご注意なさってお通りくださいな。という意味ですが、「阿比泥<アヒネ>の浜」という所は、現在、伊予の国にはないということですが、どうしてこんな名前がここに登場したのでしょうかね。知っている人は教えてください。
でも、まあ、そこまで、衣通姫が、兄でもあり夫でもある人の事を心配しながら、その別れに際して、兄の姿が直接には見えなかったのではと思いますが、心が張り裂けんばかりに歌ったという状況が完璧にまでに描き出されていると思います。声に出して、もう一度御読みいただくと、その辺りの感覚がよく理解できると思いますので・・・・