昨日、「布刀玉命<フトダマノミコト>が、「真賢木等御幣<ミテグラ>を天石屋戸の前にさし飾ります。」と書いたのですが、それを、古事記には
“登取持而<トトリモチテ>”
と書いております。「取り持つ」ならば分かりますが、なぜ、「登」という字が付いているのでしょうかね。これが古事記の面白いところだと思われませんか????宣長は、これを簡単に
“辭<コトバ>なり”
と、書いていますが。これって何でしょうかね??
なお、昨日も書いたのですが、このように何かお祈りなどするときにその準備、ここに見られるような鏡や玉や御幣を供えたり作ったりする役目は、朝廷では、忌部氏が凡て行っていました。この場合、「登」は別になくても、「取持而」だけでいいはずですが????よくは分かりませんが、兎に角、「登」がくっついております。これを現代語訳した本には
“うやうやしく両手に捧げ持って”
と、訳しております。この「うやうやしく」が「登」の意味でしょうかね???誰か宣長の云う「辭」とは何か教えてくださいませんか???