私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

古事記の物語性

2016-07-18 08:31:15 | 日記

 この問題に関して、一番よく分かる部分に「雄略天皇の巻」もあります。

 ちょっと、古事記にある「雄略天皇の巻」を紐解いてみますと、
                ①白い糸
         ②赤猪子
         ③蜻蛉
         ④葛城山
         ⑤袁杼姫
 と、五つの事件について、時間的な差異は言及してはいないので分かりませんが、そこで起きた事件の展開は歌によって詠いあげられており、より物語風に知ることができます。
  例えば④の葛城山では

         “みすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪の病猪 吼き恐み・・・・・”

 のように、必ず、歌を取り上げて詠うように説明がなされており、七世紀の日本人独特な文学的臭覚の鋭さには驚かされます。大陸の文化には影響されないような。 

 これに対して、日本書紀はと云いますと、雄略天皇を例にとれば、その歴史を、ご丁寧に、年・月・日までもが細かく書かれ説明がなされており。このほうは、大陸文化の影響を濃く伺わされます。
 このように二つを比較してみれば、如何に、「古事記」の方が、物語風にその話を展開しているかよく分かります。

 なお、これも、又、横道の横道ですが、この雄略天皇の歴史を語る時に、決して、無視することのできない書物が有ります。日本書紀にも書かれてない5世紀の日本、当時の倭の国の出来事について、詳しく書かれた中国の史書です。
 中国の南北朝時代(429~479年)の宋の正史「宋書」に書かれている「夷蛮伝<イバンデン>」です。この中に当時の日本、そうです。「倭国」について書かれているのです。

 「讃」・「珍」・「済」・「興」・「武」   (さん・ちん・せい・こう・ぶ)

 所謂、「倭の五王」について書かれております。
 あの衣通媛の父である允恭天皇は、この内の「済」です。ちなみに、「讃」は履中天皇、「珍」は反正天皇、「興」は安康天皇、「武」は雄略天皇です。五世紀の日本の大王です。