この問題に関して、一番よく分かる部分に「雄略天皇の巻」もあります。
ちょっと、古事記にある「雄略天皇の巻」を紐解いてみますと、
①白い糸
②赤猪子
③蜻蛉
④葛城山
⑤袁杼姫
と、五つの事件について、時間的な差異は言及してはいないので分かりませんが、そこで起きた事件の展開は歌によって詠いあげられており、より物語風に知ることができます。
例えば④の葛城山では
“みすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪の病猪 吼き恐み・・・・・”
のように、必ず、歌を取り上げて詠うように説明がなされており、七世紀の日本人独特な文学的臭覚の鋭さには驚かされます。大陸の文化には影響されないような。
これに対して、日本書紀はと云いますと、雄略天皇を例にとれば、その歴史を、ご丁寧に、年・月・日までもが細かく書かれ説明がなされており。このほうは、大陸文化の影響を濃く伺わされます。
このように二つを比較してみれば、如何に、「古事記」の方が、物語風にその話を展開しているかよく分かります。
なお、これも、又、横道の横道ですが、この雄略天皇の歴史を語る時に、決して、無視することのできない書物が有ります。日本書紀にも書かれてない5世紀の日本、当時の倭の国の出来事について、詳しく書かれた中国の史書です。
中国の南北朝時代(429~479年)の宋の正史「宋書」に書かれている「夷蛮伝<イバンデン>」です。この中に当時の日本、そうです。「倭国」について書かれているのです。
「讃」・「珍」・「済」・「興」・「武」 (さん・ちん・せい・こう・ぶ)
所謂、「倭の五王」について書かれております。
あの衣通媛の父である允恭天皇は、この内の「済」です。ちなみに、「讃」は履中天皇、「珍」は反正天皇、「興」は安康天皇、「武」は雄略天皇です。五世紀の日本の大王です。