BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

靖国神社

2011-07-04 23:33:36 | 政治
 昨日は同級生と一緒に月島でもんじゃ焼きを食べた後、靖国神社に行ってきた。いろいろと話題になる場所なので、日本人として一度は訪れてみたかった場所だ。

 まず鳥居の大きさに驚く。気のせいかもしれないが、靖国神社の鳥居は柱が普通よりも太いように感じる。木製の一の鳥居も圧巻だが、面白いのは二の鳥居で、何と青銅製。青緑の重厚な作りでまるで遺跡のようである。さらに日本の近代軍制を整えた大村益次郎の大きな銅像が参道の真ん中にあり、図書館や博物館も建っていて、神社にしてはやけに近代的で不思議な空間である。

 遊就館と呼ばれる博物館では、日本建国から終戦までの歴史を見ることができ、大砲・戦車・戦闘機も多数展示されている。そして靖国神社だけあって保守色が強い。まず、年を表すのに西暦ではなく、必ず元号が使われている。主な解説文には英訳がついており、そこでは西暦が使われているので、かろうじていつのことかわかるありさまだ。古代・中世にかけて紹介される人物には、やはり新田義貞や楠正成、大石良雄(赤穂浪士の大石内蔵助)といった武士道の鏡と称される人も多い。近代以降になると保守色はさらに鮮明になり、日清・日露戦争のブースは、もう連戦連勝、日本は強い国!といった気分にさせてくれるくらいに勢いのよい記述で占められている。上映されていたビデオでも、「奉天海戦は、日本軍の大勝利に終わったのである!」と叫ばれていた。また、日中戦争・太平洋戦争は、支那事変・大東亜戦争の呼び方で統一されている。もちろん宗教法人である靖国神社には思想の自由があるので何も悪くない。

 ただ気になったのは、英訳のつく場所が若干偏り気味な点である。日清・日露戦争のブースでは、メインの解説は日本軍の勝利に関するもので、個々の展示品の近くにある小解説で二〇三高地などでの犠牲者に関し言及している。このうち、英訳がついているのはメイン解説の部分だけ。英訳だけ読み進めていくと、まるで無傷で日本が解消したような印象になる。反対に、大東亜戦争のブースになると、ミッドウェー海戦以後は日本軍の悲惨かつ壮絶な玉砕ぶりが英訳つきのメイン解説となり、また特攻隊員など戦没者の遺書や手紙にも英訳つきのものが出てくる。一転して、日本人がいかに悲劇に見舞われ、いかに多数の若者が国のために散って行ったかを読むことになり、ここまで落差が激しいと、外国人の人々は困惑するのではないかとも思う。翻訳箇所にバイアスをかけるのはいかがなものか。全体の思想以上にそちらのほうが問題だろう。

 ただ、月並みな表現にはなるが、自分と都市の変わらぬ若者の遺書を読み、自分ほどではないにしてもあまり強靭そうではない人も含めた大勢の戦没者の写真を見れば、崇拝するとまではいかなくても神妙な気持ちにはなる。ここから、彼らが命をささげて守り通した国に報いよう、と考えるか、こうした悲劇を起こさないために平和を維持しよう、と考えるかは難しいところである。

 それなりにいろいろ考えさせられる靖国神社だったが、同級生は7月13日から16日に開かれる「みたままつり」のポスターの女優を見て「この人美人だ!」と連呼していた。「癒されるわあ」と、みたまを癒す前に彼自身が癒されてしまっている。彼は過去に8月6日を選んで広島を訪れており、今年は長崎を訪れる予定だという志の高さを持ち、将来の人生設計についてもしっかり考えている素晴らしい人間だが、このように時々変な方向に行きがちで不思議である。月島のもんじゃ焼きをとても楽しみにしていて、期待通り美味しく感じたようで何よりだが、2枚目の普通のお好み焼きを「焼けるよ」と言って自信満々に焼き、見事に失敗してくれた。将来は大物になるか、眠れる獅子のまま終わるかのどちらかだろう(笑)。

 ちなみに、ポスターの女優は渋谷飛鳥という人で、自分が以前観たB級ホラー映画「神の左手悪魔の右手」に出ていた人である。2000年代の邦画で断トツの最低作品といわれる「デビルマン」にも出演している。「デビルマン」は一度観たい作品だが、他に優先したい映画もあるので、彼に観てもらうとでもしよう。

 追伸:自分が予備校に通っていて時代の先生のブログ「もぎせかブログ館」をリンクに登録させていただきました。このブログよりよほどすぐれているのでぜひご覧ください。なお、来週大学の試験などがあって忙しいので、しばらく更新をストップさせていただきます。申し訳ありません。楽しみにしている方などいらっしゃらないでしょうが、とりあえずお知らせまで。

リーダーシップとフォロアーシップ

2011-06-16 02:02:42 | 政治
 気づけば震災から3カ月たっている。「がんばれ東北」といったスローガンやACのCMを目にする頻度が減る一方、政治への批判は日に日に強まっている。やめると言いながらいつまで続投するのか示さない総理に、民主党内はおろか、閣僚からも早期退陣を促す意見が噴出。自民党からは「菅総理が辞めないと審議には応じない」とまで言われ、2次補正予算も、その財源となる特例公債法案も審議に入ることすらできない。この国会はどれだけのろまなのか。早く対策を打つのが国民のため、ひいてはどの党、どの政治家にとってもプラスになるはずなのに、それができていない。いったいなぜこのようになってしまったのだろうか。

 先日テレビ出演した仙石副官房長官が、「今の政治にはリーダーシップがない。しかしそれと同時に、リーダーを選んだ者たちのフォロアーシップも欠けている」と述べていた。これは、本人が実際行っていること(早期退陣の呼びかけ)は別として、すぐれた分析だと思う。

 まず、リーダーシップから考える。菅総理は震災当時から、決して昼寝をしているわけではなく、彼なりに頑張っているのはわかる。ただ、がんばりの方向が、「俺は原子力にはすごく強いんだ」と言って原発についての知識や情報を自身のもとに集めさせたり、東電に殴りこんで「撤退などあり得ない」「東電は確実につぶれます」と一喝したりと、どうもトップリーダーのやるべき事とはずれているように見える。総理大臣の仕事は、専門的な知識をもとに、ここの現場の判断に首を突っ込むことではなく、多数の現場からなる状況全体を、政府の手足たる省庁とともに把握して、人材・資金などの資源の最適な配分、さらには個々の現場の判断に任せきりでは実現しない公共性の強い決断を行うことではないだろうか。菅総理にそうした感覚が薄いのか、あるいは省庁との連携が政権交代以来ずっとうまくいっていないのか。そして辞意の表明とその後のあいまいな時期表明が求心力低下に拍車をかけた。事務次官級の官僚の官邸訪問頻度が激減している。これではリーダーの体がなせるはずがない。

 一方でフォロアーシップ。民主党員およびその議員は去年の代表選挙で菅氏を選んだのであり、また既に忘れ去られた感じさえ受けるが、あの不信任決議に対して反対票を入れたのである。菅総理を国会の本会議場という場で信任したのである。さっさと辞めろという権利があると言えるのか。もちろん、退陣を前提とした信任であるし、その後いつまで続けるかはっきりさせない総理の態度は裏切りに近い。だがそれを言うなら、あの議員たちはなぜ総理の魂胆を見抜けなかったのか(自分は完全に無知ゆえ見抜けなかった)。本当に能力を持っているリーダーを選び、選んだ以上はその者に従うといった組織行動の基本ができていないのではないか。国民新党の亀井静香氏の「切腹をしたがっている人に介錯を急ごうとする」といったたとえは言いえて妙だ。

 こんなことを言うと政治家がみな使い物にならない、ということになってしまう。しかし結局、損な政治家を選んだのは国民である。フォロアーシップの問題は我々に帰ってくる。政治家の責任を国民に押し付けるようなことをしているわけではないが、それでも諸外国と比べた時の支持率の乱高下ぶりは、国民の態度にも政治家同様の場当たり的な要素が強いことを示していると思われる。今の政治の混迷は全員に責任があると言えるだろう。

 そんな責任を感じてか、自分たちの選んだ相手を見限ってか、若手政治家は超党派で会合を開き始め、ボランティア団体や被災地の住民によるグループは行政の肩代わりに近いことをしている。地方自治体の職員、警察官、自衛隊といった現地の公務員の不眠不休に近い働きぶりも忘れてはいけない。こうした人々の中から次のリーダーが生まれるのかもしれない。そしてリーダーになれそうになれない自分は、せめてまともなフォロアーにならなければならない。人に任せてていい時代は本当に終わり始めている。

節電の目的って。

2011-06-07 00:43:35 | 政治
 東日本大震災以降、夏場の電力不足を防ぐために企業、家庭に一律15%の節電が求められ、クールビズの衣服や扇風機が飛ぶように売れて、東日本は空前の節電商戦が続いている。テレビでも、過程でできる節電対策が連日報道されていいて、「冷蔵庫の運転強度は『強』から『中』か『弱』に、中に入れるのは容量の70%程度で」など、空でも言えてしまうくらい。そんなムードに水を差すようで、炎上が不安なのだが(水を差して炎上っておかしい)、今の時期にこれだけ節電の努力をするメリットって何だろうか。

 東京電力をはじめとする電力会社は、消費者が電気を使うことで利益をあげている。べらぼうに単純な考え方をすると、節電されたら売り上げや利益が減ってしまいそうである。震災前から電力会社は節電のPRを進めていたが、その目的はピーク時の需要ひっ迫を防ぐことで、夜間も含めた総消費量の減少ではないと考えられる。記憶が不確かで申し訳ないが、朝日新聞で「東電の収支が福島第一原発事故や計画停電に伴う電力供給の激減により極度に悪化」といった趣旨の記事を目にしたような気がする。節電が同じような効果をもたらすとすれば、東電管内の消費者が節電すればするほど、東電の経営は厳しくなっていくのではないか。現在東電は、福島第一原発事故による多額の賠償(数兆円に達するとまで言われる。わが横浜市の歳入が1.5兆円だから、とんでもない規模だ)を負っており、株価は300円を割ってしまっている(震災前は2000円強だった)。社債もまともに発行できておらず、破たん寸前の経営危機だ。そんな東電の売り上げを、需要がひっ迫していない今から我々の節電で(善意からとはいえ)減らしてしまったら、事態はますます悪くならないか。

 政府がどれだけ支援すべき課は激しい議論の的だが、仮に日本航空のように政府のバックアップ下に置かれるとすれば、その費用は結局国民全員の負担になる。電力融通を受ける程度の遠方に住む人々まで負担させられるのはただでさえ不条理なのに、その負担が東電管内の我々の節電によってさらに増してしまうのはあまりに酷だろう。

 もちろん、夏場には全力で節電に取り組むべきであるし、電車の運行本数を減らすなど、今から節電意識を高め、また節電による一定の不便(被災地の方々にとってはあまりに贅沢であるが)になれることも重要である。しかし、NHKなどで発表される電力使用状況では、このところの電力需要はピーク時でも供給能力の80%ほどで推移している。夜間ならばもう少し余裕もあるだろう。発電所を古い火力まで含め限界ギリギリで稼働させ続けるのはまた問題だが、今のうちは家庭で1~2%でも切り詰めようとするほど厳格なことはせず、これまでどおりの生活を続けることが、結局は将来のためになるのではないか。

 重ねて言うが、自分は東京電力の回し者でもないし、反エコロジストでもない。皆がエネルギー消費を抑えて生活することは、地球環境のことを考えればこれからの時代では当然である。それに、いまだに水道すら復旧しないところも多い被災地の方々のことを考えると(いや、首都圏に居座ってボランティアにも参加せず、こんなのんきな暮らしをしながら考えようとすること自体が所詮上から目線で、自分には彼らのことを考える権利すらないのだろうが)、手放しに電気の恩恵を享受する気になどなれないのも事実。だからといって、駅でエスカレーターを停止させまくり、視覚障害者の方のための誘導チャイムすら切ってしまうようなやり方は、高齢者や身体・精神その他に不自由を抱える方々にとって非情でしかなく、本来の節電の目的とはかけ離れている。

 今まで、自分と同じ意見を持つ方を拝見したことが全くないので、きっと自分の意見に大きな間違いがあるのだろう。化石燃料は今のうちに輸入してある程度使わずに保管しておくほうが、北半球諸国が夏になって需要が高まる夏場に買い足すよりも安く済むのかもしれない。間違いに気づかれた方にはぜひ指摘してほしい。まさか、先日政府の国家戦略室がまとめた「革新的エネルギー・環境戦略」でも原子力を「重要戦略」と位置づけさせ、発送電分離への言及をつぶすなど大活躍の経済産業省が「原発がないと節電しなきゃいけなくて大変でしょう、だからまだ建てなきゃいけないんですよ」とすりこもうとしているのが実情、というわけではあるまいが…。仮にそうだとしても、もはや節電がブーム、ブランドと化した今では無意味でしょうが。

不信任案騒動

2011-06-04 01:11:09 | 政治
 前々からブログを始めようと思いつつ、時間の無さと面倒さを言い訳にして何もしてこなかったのだが、今回の政局を見ていてもたってもいられず、ついに始めることにした。

 内閣不信任案提出間際に菅総理が事実上の退陣ととれる声明を出し、可決が危ぶまれていた不信任案を見事に封じ込めてしまった。木曜日には「自分の腹を切って党をまとめ、復興国会を存続させた、偉い!同情するよ」と思っていたのだが、一夜あけて、まんまと騙されていたことに気付いた。この人、辞める気なさそうである。「一定のめど」とは「福島原発の冷温停止」だという。年が明けるぞ。産経新聞では中曽根政権時の「死んだふり解散」をもじって「死んだふり存続」と酷評されている。代議士会での歯切れのいい辞任示唆で一時的な結束の空気を作り上げ、直後の不信任案を否決させたら言葉をうまくごまかして政権存続を図るという、単純・場当たり的ながら政治の「空気」を読んだ速攻戦略。自分はつくづく見る目が甘いな、と実感。ただし当然、後味が悪すぎる。冷温停止はいくらなんでも長すぎるし、そもそも先の見えない原発事故をめどにするのは禁じ手ではないか。「まだめどが立っていない」といくらでも言い逃れできてしまう。

 事態をさらに悪化させているのが前任者の鳩山氏。「国民のために不信任案に賛成」といっておきながら見事に反対票を投じたうえ、退陣時期の合意文書について岡田幹事長(この人の顔、マリオのドッスンみたい。顔だけマスコットにしてキーホルダーやストラップを作ったら売れそう)と大喧嘩してる。「人間はウソをついてはいけません」だの「ペテン師まがい」だの言ってるが、たとえ岡田氏がうそつきだとしても、それを防げなかった詰めの甘さは論外。そもそも「最低でも県外」などと軽い口約束をして普天間基地の移設を泥沼化させ、「海兵隊による抑止力は方便」とまでのたまったのは誰だったっけ。嘘も方便というのだから鳩山もウソつき。じゃあお前も人間失格だろ(笑)。この政治家、自分が昔言ったことをまるで覚えてない。大丈夫か?秘書も発言に注意するよう言っておけないのか?本当にあきれる。

 おそらく首相の座を手に入れるラストチャンスと見ていたであろう小沢氏の政治生命も、これで終わりに近づくはず。地盤が岩手なんだからほかにできることもあったろうに。合同誕生会だの、不信任案提出前日の造反集めパーティーだのする金があるなら、被災地に送りなさい。いつの間にかまんまと小沢氏に丸め込まれた恒三さまは何が理由なのかな。福島の出だから怒ってるのかな。田中角栄や中曽根康弘に影響されて原発誘致に手を貸したのもあなただけど。

 民主党がメルトダウン寸前の一方で自民党も大ダメージ。完全に一杯食わされた谷垣さんは下ろされちゃうのだろうか。「朝ズバッ!」の岸井解説員の見立てでは、自民党の狙いは菅総理をやめさせることではなく、むしろ菅は強情だから解散・総選挙に出るだろうと見越して、選挙に勝利して政権を獲得することだった、とのこと。これには目からうろこ、というか唖然。選挙に使う金があるならこれも被災地に送りなさい。震災直後には「協力できることは何でもする」とか言ってたが、どこが協力してるんだ?不信任案には「未曽有の災害を前に、われわれは(中略)菅内閣の継続を黙認してきたが」とある。「協力」から「黙認」とは薄情な人たちだ。政府の批判をするのは構わんが、国会の時間を無駄にされると困る。せいぜいツイッターでぼやく程度にしてほしい。

 大学の政治学の授業で「政治家は選挙に勝利するために政策を掲げるという見方がある」と聞き、政治家なんてそんなものか、とも思ったが、今の状況はそんな程度では済まないくらいに馬鹿げてる。政治家の皆さん、怒ってる人は朝日新聞だけではありません。3月11日に地震が起きた直後、各党の代表が一堂に会した時、自分は希望を見出していた。やっと政治がまとまってくれると思っていた。大連立構想が持ち上がった時も、菅と谷垣が手を取り合って写真に収まるような光景が生まれれば、それはそれで結構いいことじゃないか、と思っていた。谷垣は今回の失敗を、武田信玄をあと一歩で逃がした上杉謙信の言葉を借りて「流星光底長蛇を逸す」などとかっこつけてるが、信玄と謙信のもっと有名な「敵に塩を送る」という精神はないのか。自分は政治に対してなるべくドライな見方をするように心がけてきたが、まだまだ甘いのか。政治家は党と親しい省庁と支援者団体のことしか考えないものだ、国民や、まして田舎の被災地のことなど関係ないのだと、冷たく見なきゃいけないのか。何だか悔しい。