ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

2008-02-07 | 私の愛する仲間たち
私の友人(友人というもの失礼なくらいの年の差だけど)に写真が趣味の人がいる。彼はほかにもアマチュア無線や医学の研究などいろいろやっていて一昨年には本も出した。
家にじっとせず、いろんなところへ出向いては新しいことを見つけてくる。
写真はだいたい何気ない日常が多いようで、HPを見ると霧島のきれいな夕日などがある。
彼のすごいところは70代でもパワーがすごいこと。
そして、全盲ということ。
彼は見えないものにレンズを向け、被写体の音やにおい、温度などいろいろな存在感を体で感じてピントを合わせカメラに収める。
景色は見事に切り取られていて、まるでフェンダーを見て合わせたようにきれいに撮られている。
その人の生き方には元気をもらう。
今朝、その本人から電話が来た。
「たまには遊びにきなさい。まだうどん屋の近くに住んでるよ。私の本ももらってもらえるかな?」と言うことだった。
突然の電話に少しびっくりしたが、この人が放つオーラのせいか、私は今日一日中意欲的に過ごせた。まるで何かいいことでもあるんじゃないかという気分だった。
「いつまでも頑張ってください。私の母はまだ60代なのに、この年になったら気持だけ迫って体が動かないとすぐに言います。母も見て元気をもらうはずなのでいろいろ頑張ってください。」と言った。
「私はもう70歳を過ぎたけど いつまでもいろんなことに興味を持ち続けて生きたい。あなたのお母さんも子供さんも連れて遊びにきなさい。」
私は仕事が終わるとすぐ母に連絡した。
60代になると何かを始めるには猛烈な勇気が必要だろう。
30代の私すらそう思うから。でも、ケンタッキーのカーネルサンダースだって60代で立ち上げたらしい。
自分で見切りを付けてはいけない。
私もあっという間に30代になったのだし、あっという間に60代になるだろう。
今の連続が将来の自分をかっこ良くするのだと思うと、遅すぎるということはない。できない理由を思いついてばかりいないで、どうやったらやれるかを考えなくてはいけない。
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本当の意味での親孝行

2008-02-04 | 自己啓発日記

年をとった親の脛をかじる働き盛りのおじさんがいる。母親と父親の考え方は違うので この問題息子をめぐり夫婦喧嘩になる。
母親は息子に面倒見てあげるといい、父親は居候と罵る。
さて、どちらがまともな親だろう。
問題は彼が成人した大人という点
なぜ彼は恥だと思わないのか。
親は年金を使い彼を食べさせた。
彼は恥辱から逃げたくなると酒を飲む。
なぜ彼は親にすがるのか?
自分が巻いた種が不作になると自分の育て方を反省しない。神様が雨を降らしてくれなかった。と世の中のせいにする。
それは育ちの原因もある。
彼の選択の結果でもある。人生は選択の連続。結果が悪いのも良いのも選択の結果。
今を選んだ自分がいる。
無になって起点に戻ったら2つの選択がある。上がりか下がりだ。その起点にはいつでも行ける。ただ行く勇気がいる。
心の中の起点には風呂の中でもトイレにいても行ける。
心の起点は今その瞬間じゃないか。
後は2つの選択をするだけ。
下がる方を選択したなら「俺は悪くない。俺の好きにさせろ」と思い続ければいい。
嫌なことに向き合うことはつらい。でもごまかしたり逃げようとすると辛さが倍になる。嫌なことでも終わりがくる。越えた先に穏やかで尊敬される日を思ってコツコツと丁寧にやっつけていたら 神様が味方になる。自分の力が自信になる。親が死んでも切り開く力がつく。
それが親孝行ではないだろうか。

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豆まき

2008-02-03 | リフレッシュ日記

霧島で豆まきがあり、まわりの気迫に驚きました。
やっと一つ取れました!
中には焼酎などの引き換え券が入っていることがあるのですが私の豆はハズレみたいです。でも拾えただけラッキーでした。
くじ引きも大吉で 帰りの温泉では鹿も遊びに来てくれてある意味当たりの日ですね。
野生の鹿って毛並みがちょっとグレーでお尻だけ真っ白で笑いました。

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