ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

議長をしてみて

2016-03-07 | 自己啓発日記

頼まれて地元のある会議の議長をした。

コーディネーターがやって来て二人で事前に打ち合わせをする。
県外から来たこの人はさすがのスキルで無駄がない。
内心、ある世帯の事例をあげての話をうちわですませないのか。どうして会議をするのかと思っていたくらい何をするのか分かっていなかったので、この人の話しを聞いて随分深刻なものを引きうけたのだとしみじみ思った。


彼は録音するから議事録が作れるかと言うのでもちろん大丈夫だと答えると細かく記録する必要は無いから楽な方法でかまわないと言ってくれた。

いざ会議が始まってみると彼がなぜ楽に書けばいいと言ったのかよくわかった。

全く前に進まないからだ。

民族性かもしれないが、聞いていることと答えが一致していない。

簡潔でない。

突っ込みどころ満載でこれを議事録に起こすのか?とドン引きする中そのコーディネータは必ず一度自分がとりまとめて要約してくる。

この一手間がなかったら何を話しているのかみんな解読できるのだろうかと思ったが、つまりなにがいいたいのかというと、
こんなに人と人との話し合いは脱線しがちになるもので、コーディネーターや議長が一瞬にして要約できた方がいいのだとつくづく感じたのだ。

仕事で会議ばかりよく出る。人に報告すると言うことは日常で珍しいことではない。

そういう生活になれている方からすると異様にすら感じるのだ。

逆算するような方法でものを見る私は今回の議題についても「こうなったらいい」のイメージを持っていた。
そこにたどり着くためには何を知る必要があるのか。
どこが問題点何か知りたい。

そこを導き出したい。

そのためにコーディネーターはみんなに罠を仕掛けていく。私はその罠にはまっているようなフリをして突破口を作る。

なぜその作業が必要なのか。それがこの議題の終着点なんだ。

この議題が持つものは何かをイメージ通りにすることとその他に「自分たちを顧みて気づきを起こす」ことにある。

その「気づき」は人から教えられては右から左に抜けるだけ。
だからあえて内側からあふれ出るように引っ張りだす。その罠なのだ。

終盤にさしかかって思ったけれど、会議ではなくワークショップだったな。
人がどんな仕事をしていたかお互いに分かっただろうし、私自身もそんな人がいるんだなと自分の身内だったらと思うと身に詰まる感じで聞いていたし、何も知らずに幸せにぬくぬくといる人がバカっぽく思える程世の中は切羽詰まっているんだと思った。

今回、本当にいい勉強になった。

人数自体は20人程いただろうか。何かここ最近考えさせられていたものを実体験したような会議だった。


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