子どもが5歳くらいの頃、ちょっと短めのマフラーをふと目のオレンジの毛糸で編んでやった。
息子はずっと長いことそのマフラーをしていた。
学校以外ではほとんどしていた。
もう大きくなったらそのマフラーは使わないだろうからぬいぐるみの飾りにでもしようと思っていた。
中学の頃、息子の塾の先生は厳しい人だった。
息子は寒い中を自転車でその塾へ通っていた。
ある日、息子は怒って帰って来た。
帰って来るなり、私が編んだオレンジのマフラーを首から外して椅子に投げつけた。
それまで気がつかなかった。
息子がまだ私が編んだマフラーをしていたこと。
私は泣きそうだった。
寒い中、私が編んだマフラーをして塾へ通い、厳しい先生だったから何か嫌なことでも言われたのだろう。
それでも息子は理由を言わず、ただマフラーを投げつけて自分の部屋へ行って何も話さなかった。
その頃の私は本当に精神的に辛い状態で、息子がしていたオレンジのマフラーを見るまであの子が誰にも頼らずに自分の孤独を私に相談することもなく、
ただ私の編んだマフラーを付けて塾へ通っていたことをわかっていなかった。
あのマフラーが、息子がいかに孤独で、そして私を必要としていたかを突きつけた。
私はその頃の辛さとそれまで以上に立ち向かうようになった出来事だった。
あれからの私は全く自分の理不尽な思いを曲げなくなった。
息子と、息子が握り締めていたオレンジのマフラーのおかげで私は私が毅然としなければならないと強く思った。
子どもが親に入れるスイッチの強さは何にも負けない。たったあの一瞬の出来事で私の腹は据わった。
この子をここまで大きくして、ここでくじけるわけにはいかない。そう思った出来事だった。
息子はずっと長いことそのマフラーをしていた。
学校以外ではほとんどしていた。
もう大きくなったらそのマフラーは使わないだろうからぬいぐるみの飾りにでもしようと思っていた。
中学の頃、息子の塾の先生は厳しい人だった。
息子は寒い中を自転車でその塾へ通っていた。
ある日、息子は怒って帰って来た。
帰って来るなり、私が編んだオレンジのマフラーを首から外して椅子に投げつけた。
それまで気がつかなかった。
息子がまだ私が編んだマフラーをしていたこと。
私は泣きそうだった。
寒い中、私が編んだマフラーをして塾へ通い、厳しい先生だったから何か嫌なことでも言われたのだろう。
それでも息子は理由を言わず、ただマフラーを投げつけて自分の部屋へ行って何も話さなかった。
その頃の私は本当に精神的に辛い状態で、息子がしていたオレンジのマフラーを見るまであの子が誰にも頼らずに自分の孤独を私に相談することもなく、
ただ私の編んだマフラーを付けて塾へ通っていたことをわかっていなかった。
あのマフラーが、息子がいかに孤独で、そして私を必要としていたかを突きつけた。
私はその頃の辛さとそれまで以上に立ち向かうようになった出来事だった。
あれからの私は全く自分の理不尽な思いを曲げなくなった。
息子と、息子が握り締めていたオレンジのマフラーのおかげで私は私が毅然としなければならないと強く思った。
子どもが親に入れるスイッチの強さは何にも負けない。たったあの一瞬の出来事で私の腹は据わった。
この子をここまで大きくして、ここでくじけるわけにはいかない。そう思った出来事だった。
全然知らなかったから聞いたときは泣いちゃったよ。
でもマッキは貴重な体験っていうよね。
そういえるってこうやってちょっとずつ気づきがあったからだったんだね。
こう&マッキ みんな応援してるョ
その中でマッキはぶつけた加害者の車がぶつけられた方が悪いみたいなこと被害者にいうのと同じみたいなことを言ってたよね。
そういう気分だったんだろうなって思った。
今だから普通に話せるんだろうけどその時は怖いとか泣きたいとか許せないとかね。
私のときにマッキが 誰が悲しいか誰のために生きてるかちゃんと考えろって言ってくれたこと思い出しながら読みました。
マッキにはマフラーがそういったんだと思った。
言えないわ。ホントあのときの私は全くダメだったね。
怒りというものの発端って最初は異議申し立てのはずなのよ。それが組まれないから怒りになる。
その異議申し立ての状況として一番近いのは追突する人とされた人。された側にしたら「は?こちらが悪いんですか?あなたがぶつかるのがそもそもわるいのでしょ」って言うのも当然。それを言わせるのは結局異議申し立てのときに真剣に誠意を見せないときでしょ。
そういうことなんだと重ねて考えてみると、ひっとが置かれていた「俺に口答えするな」と言う状況はひっとにも人権があって環境があることを理解してという思いを前提に異議申し立てをしたときまるで追突した方が「俺の前を走るのが悪い」と言ったような状況でしょ。
どれほどビックリするほどのバカにした言い分だと思う?
私が怒るのもわかるでしょ。
まずきちんと何をして、何を言っていて、ひっとがどんな風に追い詰められたかを理解することもなく、逆らうなとだけいうなんて「愛した」というの?それは愛というつもりの1人錯覚で、ひっとを全く思ったこともない。私はそう思うの。
真心を持って自分はどうあるべきかと顧みなければ、いつも弱い人は泣いていなきゃいけない。
ひっとにちゃんと考えろと言ったのは私のマフラーと同じ。
人は心に尊いものをどこか持っていなきゃいけない。自然と持っているはずなの。
だからひっとには私のマフラーのことがわかるのよね。