ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

ばあちゃん物語

2008-01-16 | ばあちゃんの話
大阪へ行った二人はそこで暮らし始めました。じいちゃんは床屋の修行を始め一生懸命働き、ばあちゃんの里親がいる都城へ引っ越してきました。
都城大丸の近くに小さな店を構え、ばあちゃんは女の子を産みました。
その後も続けて二人 女の子を産みました。
そして戦争中に、臨時の学校のように使われていた旅館が3等分にされ、切り売りされることを知って ちょうど近所だったこともあり ござ屋さんとじいちゃんと宿屋の女将と三件でならんで買いました。
そして待望の長男が誕生しました。
じいちゃんの床屋は大盛況で、耳の中の産毛まで剃ってくれると高い技術を褒められました。従業員はどんどん増えて住み込みで働くようになり、家族を入れると10人以上の大人数でした。
その後、ばあちゃんはもう一人女の子を産みました。
子供は5人になったのに大きな問題が解決していませんでした。
じいちゃんとばあちゃんは結婚していなかったのです。
じいちゃんの我慢は限界でした。
「5人も子供がいるというのに、結婚を許してくれないなんてあんまりだ!」
二人は島のひいばあちゃんのところへもう一度お願いに行きました。
「そんなに言うなら、その人の戸籍を取ってきちんとどんな家の人間なのか見せなさい」
というひいばあちゃんの言葉に 今度は戸籍謄本を取ってじいちゃんは乗り込みました。ばあちゃんにとって里子に出され、養子縁組した痕跡が残る戸籍謄本を見せろなんて屈辱だったでしょう。しかしひいばあちゃんはそれを見て「士族!士族の家系じゃないの。ならば仕方ないでしょう。」
あっさりとわかってくれたのです。ただ士族と書いてあっただけで。
そんな時代の人だったんですね。それにばあちゃんの実の母親は姫と呼ばれる身分だったようで西郷家の末裔らしく、旧姓を「西郷」といい、私は幼い頃になぜひいばあちゃんの家には西郷隆盛の絵が飾られているのだろうと思っていました。
そんな家の血を引くばあちゃんを自慢に思ってくれたのでした。
それから島のひいじいちゃんが亡くなってしまい、ひいばあちゃんはひとりぼっちになってしまいました。
あんなに結婚を反対した姑をばあちゃんは「ここで一緒に暮らしましょう」と宮崎へ呼んだのです。
しかし当時、島から一歩も出たことがなかったひいばあちゃんは 宮崎へ来て物珍しい風景から外国へ来たような気分だったようです。
とにかく寒い。都城はもっと寒い。
ある朝起きてびっくりしました。あわてて嫁のばあちゃんを叩き起こし、「ちょっとあんた!庭で漬け物でもつけているのかい!なんでこんなに塩を撒いているんだい!」と大騒ぎでした。
それもそのはず まだテレビのない時代。南の島で育ったひいばあちゃんが生まれて初めて見た「霜」だったのです。つづく

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