ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

食育に触れてみて

2017-02-10 | 美味しいもの日記
最近、食育についてよく話をする。
と、いうのも私が色々と進めている活動の中でとても重要な役をしているからだ。

私は男女参画の勉強を仕様と決めてから4ヶ月。

セミナーや勉強会など色々出席して、自分でも報告会を開いたり勉強会を開いたりしてみた。

その中で以前から友達だったコーディネーターの話を改めて思い出しながら、自分がしていることとどういう風に関係があるのか考えてみると、そこには一人親さんだけでなく貧乏であることと貧困であることの区別がつかなくて、自分でドツボにはまってその矛先や辛さを共有する相手を我が子に向ける人がいること。
それが私のしている男女参画であったり、子供の虐待とは、DVとは、というところへつながっていっていることがよくわかった。

私は子どもの頃、途中から裕福ではなくなった。

親が離婚したからだ。

だけど全くそれを辛いと思ったことはないし、辛いことだと考えたこともない。

裕福な人がいるなとは思っていたけど、困っていなかったんだ。

なにかがないとか、ずっと同じだとか自分の環境に不満がなかったんだ。


でも今思うとあれは貧乏だったな。でも笑っていた。

チキンラーメンをお味噌汁のお椀で2つに分けて、おにぎりといっしょに弟と食べた。

お味噌汁のお椀にチキンラーメンが入っていることが面白くて、チキンラーメンもおにぎりも大好きでそれが同時に出てきたことがうれしくて弟と並んで食べた。
ジャガイモやピーマンを育てていた。虫がついてお嬢様育ちの母はびびっていた。
私は土いじりが大好きで、小学生のくせに草むしりを好んでやっていた。
だからジャガイモ虫、ピーマン虫と名前をつけて母親に「隊長!!!敵は全滅しました!!!」と退治してはふざけて報告していた。

恵まれるということの意味。私はたぶん貧乏だった。でも貧困ではなかった。

目の前にあることで十分勉強になって、十分楽しかったりして、ないものを数えるときりがないし、お金の掛かることは飽きが来る。
ままごとやおもちゃに全く興味がなかった私は天体が好きで、図書室に行くたびに学研のフルカラーの大きな宇宙図鑑を見ていて、夜になるとなんであそこに行けないんだと泣きたくなる程に空をみていた。
小学生では習わない天体の名前をすらすらいう私に、母は「お前は女の子だろう」と言っていた。

私が特に仲良くしていた友達は、二人とも一人親さんで育ち、片方はなんでも買い与えられていた。片方は妹が多くて母親代わりのように自分を後回しにして面倒をみている子だった。

どちらかというとその苦労している友達との方が気心は知れていて、彼女が毎朝味噌汁を作って学校へ来ることを密かに尊敬していた。
安い材料で、たくさんの量やメニューを作る彼女。
その子が母とおせちを作る私のことを知って、自分も妹達に作りたいからいっしょに買い物へ連れて行ってといった。
彼女はまだ中学生だった。でも5人家族のおせち料理を一人で作った。
私の彼女への尊敬はMAXだった。
学校の中でもいつもいっしょにいた。

そのうち三人でつるむようになった。でも私はおせちを作った彼女と野菜の話やおいしいお味噌汁の作り方の話などばかりしていたし、流行のテレビもほとんどみないし、みたとしても火曜日の全日プロレスか、水曜日のF1ばかりみていた私はプロレスかレースの話ばかりするから、三人とも同じ部活になっても絵の話をする以外ほとんど話題がない。
三人の中でも一番恵まれていた友達はたまに私の家に泊まりに来た。
そこで私がおにぎりを作ったり、そうめんを茹でて晩ご飯の準備をしていると不思議そうに「そうめんが茹でられるの?」と言っていた。
いつも自分だけが料理の話にはついて行けないし、材料とか切り方とか言われても名前もわからないと言った。
私の母は重傷だと思って彼女と私にハンバーグを作れとミッションを出した。
私は楽勝だと思った。

母が買い物へ連れて行ってくれて、二人で籠に材料を入れていると彼女は知らないことだらけでハンバークには牛乳も入れるの?とかパン粉も入れるの?とかいうので
「牛肉はなぜか牛乳を飲むんだよ。入れていると自然となくなって旨味に変わる。パン粉は牛肉の量が増えたようにもなるし柔らかいハンバーグができるんだよ。」と言いながら
彼女はアミューズメントのようにはしゃいでいた。

4人分の晩ご飯はちょっぴりいびつにできたけど、私達はこのまま料理人にでもなれるんじゃないかくらいの妙な自信をつけていた。

今思うとあれはきっと食育だったのだ。

ハンバーグがどのようにできていて、牛肉やパン粉にどんな性質があってどんな苦労をしてそのものが存在しているか。

ないことを数えない。あるものの意味や仕組みを考える。そこを楽しいと思う。それで遊んでみる。知ろうとしてみる。

そんなことをしていると、貧困である暇などない。そんな生活なら子供は虐待されることはない。
食育が何かを制限することやダメなことを見つけることだと思っていた私は大きな間違いをしていた。

食育を教えてくれる私の友人は今、それを私にたたき込んでくれている。

私はナチュラルフードのコーディネーターの資格をとった。相変わらず小学生の頃からの料理が苦手な友人は今も食べる方が好きだというけど、食べることに興味がある人は必ず作ることも気になる。

作れることを知らないだけで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする