僕は専門のことやコンピュータのことをネットで検索するときには、以前からずっと英語で検索することをときにやってきた。それは英語の情報の方が豊かである場合が多いことを知っていたし、日本語IME立ち上げるのが面倒だということもある。
世の中は、スーパーなんちゃらとか、学生にとにかく英語を使わせようと躍起になっている。だけど、いまネットにあらゆる情報が蓄積されるようになると、日本語で調べるだけでも膨大な量の情報にヒットし、それで十分だと思う人はますます増えるだろう。無理強いしてやらせているうちはダメなのかな。
「日本語における学びの環境を貧しくさせる」は論外としても、「ツールとしての英語の有用性を痛感させる」や「英語が不可欠な職場に就かせる」でもダメだろう。前者だとそういう環境を回避しそうだし、後者は単なるプロパーを作るだけ。それでいいという人も少なくないのかな。
いつでも、いつのときにも、本当に学んだ方がいいことはゴーストであり、目を凝らさなければ朧げにも見えなかったり、どこかの陰にでも隠れているものだ。
運動会の競技のバックに、μ'sとかアイマスとかボカロの曲をさりげなく紛れ込ませてくる事態に遭遇したことはまだない。
スマホは、大型タブレット or ミニノートとなり、連携デバイスが補佐するって、ノーパソ&PDAに先祖返りみたいだ。 -> 新しいiPhoneのサイズは、未来のはじまりを告げているのかもしれない : ギズモード・ジャパン gizmodo.jp/2014/09/post_1…
手で故意的に曲げることが回避できればいいというわけではない。 -> ベンドゲート(iPhone 6 Plus曲がる事件)終了のお知らせ : ギズモード・ジャパン gizmodo.jp/2014/09/iphone…