旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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『電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅲ」』。

2022年08月09日 21時01分20秒 | 旅の途中で

 大人の休日クラブ1日目の電車旅    。

 天下の名城「松本城」の続きです。

 「電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅰ」

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  「電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅱ」

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 ↓ 松本城のお城の階の構成を外から観ると。

 

 ↑ このブログは、松本城天守閣三階から。

 

 

 ↑ 三階部分は、お城の屋根の部分にあたるので窓もなくただ暗いだけでした。

 ここは乾小天守三階と同じく下から二重目の屋根がこの階の周囲を巡ってつくられているため窓が作れません。

 隠し階、暗闇重などと呼ばれています。

 戦時は倉庫・避難所としてつかわれたと考えられています。

 

 

 ↑ 手斧削りによる貝殻状の「はつり紋」が美しく浮かび上がります。

 左の柱を観ると貝殻状のようなちょうがんな跡が。 

 

  

 ↑ 天守三階。

 

  

 ↑ 天守三階から四階へ。

 

 

 ↑ 天守四階。

 四階の柱は綺麗に仕上げられていましたが、三階との通し柱だそうです。

 三階の柱は粗削り、四階は綺麗に仕上げられていました。 

 ちなみに、松本城は。

 一階、二階は同じ柱の通し柱を使っているとか。

 三階、四階は同じ柱の通し柱を使っているとか。

 五階、六階は同じ柱の通し柱を使っているとか。

 三つのブロックを積み重ねて松本城は構成されているようです。

 

 

 ↑ 急な階段。   以前訪れた時の写真。

 四階の床と天井の間は4メートル弱あります。

 この高さの所へ、柱と柱一つ分の間に階段をかけるので松本城では最も急な61度の階段です。

 どの階段も、今回は階段付近で立ち止まり写真撮影はしないような案内板がありました。

 

 

 ↑ 天守五階。

 

 

 ↑ 天守五階。

 

 

 ↑ 天守五階。

 何処の階段もご覧のように、急階段。

 私は、階段を上る時も下る時も慎重に、横木を掴りながら移動しました。

 

  

 ↑ 松本城最上階の六階。 

 天守の守り神。 

 

 

 ↑ 二十六夜神

 元和3年(1617)松本に入封した戸田氏がまつったとされています。

 月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたといわれています。

 関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。

 

 

 ↑ 守護神二十六夜神の説明板。

 

    

 ↑ 桔木(はねぎ)構造も。 

 

  

 ↑ 桔木(はねぎ)構造

 屋根裏を見上げると太い梁が井の字の形に組まれ(井桁梁/いげたばり)、写真のように四方へ出て軒をつくる垂木の下に、さらに太い桔木が外側に向かって放射状に配置されています。

 これは天守最上階の重い瓦屋根の軒先が下がらないように支えるため、テコの原理を使った装置です。

 図のように屋根の中央部分の重量が力点にかかり、作用点は軒先になります。

 この仕組みは鎌倉時代の寺院建築から採用されています。乾小天守四階にも同じ桔木構造があります。

 

  

 ↑ 歴史を感じさせる構造の梁。        ↑ 階段付近には誘導係りの人が居ました。

 今までは確かボランティアが階段付近に立っていましたが、今回は誘導係りの人が良いjことだと思いました。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)南西方面。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)西北方面。

 

 

 ↑ 国宝指定書。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)説明板。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)を観て、五階に降りる事に。

 係りの方が居て、上りと下りを交互に案内していました。

 

 

 ↑ ここは五階、ここでも係りの方が案内してくれていました。

 この階には、東西に千鳥破風、南北に唐破風が取り付けられ、室内には破風の間があり、武者窓から全方向の様子を見ることができます。

 三間三間の空間があり、戦いのときには、重臣たちが作戦会議を行う場所として考えられています。

 

 

 

 

 ↑ 天守四階説明板。

 

 

 ↑ 天守四階、城主御座所。

 城主が天守に入ったときはここに座を構えたと考えられています。

 戦時に城主がここに籠る場合は、天守も戦闘の最終局面を迎えることになりました。

 三間×三間となっていて、小壁をおろし、内法長押(なげし)を廻しています。

 ここ四階部分は、良く観ると柱の仕上げも丁寧に仕上げてありました。

 

  

 ↑ 何か有事の時には、お城の城主が座る所。

 

 

 ↑ 天守三階。

 窓が無くくらい。

 柱の表面の処理も、ちょうがんなの後が見えました。

 

 

 ↑ 松本城の木組みがすごい。

 

 

 ↑ 松本城の木組みがすごい。

 

 

 ↑ 辰巳附櫓へ。

 

 

 ↑ 辰巳附櫓展示品。

 

 

 

 

 ↑ 辰巳附櫓二階案内板。

 

 

 

 

 

 

 ↑ 外は熱そう。

 

  

 ↑ 月見櫓へ。                ↑ 月見櫓から辰巳櫓へ。

 

 

 ↑ 月見櫓。

 江戸時代に3代将軍がおいでになる予定でしたが、道中でがけ崩れがあったらしくて中止になり。

 将軍が訪れる事はなくなりました。

 

 

 ↑ 月見櫓案内板。

 

 

 

 

 ↑ 月見櫓。

 

 

 ↑ 月見櫓から外を眺める。

 

 

 ↑ 月見櫓を観てから、天守閣の外へ降りる事に。

 

 

 ↑ 国宝松本城見ごたえがあるお城でした。

 

  

 ↑ 天守閣からの出口。

 

 

 ↑ そうそう、毎年秋にはお城の外壁の黒漆を塗りなおすので。

 冬に訪れると光り輝いたお城を観る事が出来ます。

 

 

 ↑ 滴水瓦(てきすいがわら)。 知れば知るほど面白い。

 滴水瓦とは、瓦の軒に面する部分が逆三角形をしていて雨水がしたたり落ちやすい形に作られた瓦です。

 秀吉の朝鮮出兵に参戦した大名たちが築いた城に突如多く用いられるようになり、関ヶ原合戦以降大名の配置転換により全国に広まったといわれています。(一般的には雨落瓦といわれています)

 

 

 ↑ 捨て瓦(すてかわら)。 知れば知るほど面白い。

 屋根の上に平瓦が敷かれているところが幾ヶ所かあります。この瓦は「捨て瓦」といいます。

 上の階の屋根から雪が凍ってすべり落ち平瓦や丸瓦をいためる可能性があるので、昭和の大修理の際に保護のために置かれました。

 色々松本城のこと、知れば知るほど面白い。

 

 

 ↑ 国宝松本城天守閣からのお別れ。

 今度いつ訪れられるか解らないが。

 

 

 ↑ 黒門。

 

 

 ↑ 黒門。

 歴代藩主の家紋があります。

 

 

 ↑ 黒門。

 

 

 ↑ 入り口案内所の出口側です。

 

 

 

 

 ↑ 松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。

 黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観でした。 

 

 

 ↑ 松本城案内図。

 

 

 

 

 ↑ 松本城にお別れです。

 武田信玄の「深志城」が始まり。 

 今の松本城のあたりには深志城があり、これが現在の城の前身であるといわれています。

 深志城についてははっきりしない部分が多く、松本城築城にどのように引き継がれたかはわかっていないようです。

 

 最近YouTubeで音楽    を聴きながら、ブログをアップする機会が多いのですが。

 今日はテレビで過去に放送された「白線流し」の主題歌はスピッツの「空も飛べるはず」でしたが。

 私が聞いているのは、木村美保さんの「白線流し」です。

 良かったらお聞きください。



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