旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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「牛に引かれて善光寺まいり」。

2024年10月07日 12時02分05秒 | 旅の途中で

 大人の休日クラブでの、長野「小布施」の帰り道。

 バスに乗せられ、長野善光寺まいりに。

 

 ↑ 小布施駅ホーム。

 JR長野駅に戻る事にしました。

 長野電鉄、長野行きがホームに入線。

 電車が来るまでの待ち時間が長かった。

 電車の列車時刻表の確認ミスで。

 

 

 ↑ 長野電鉄、長野駅改札口。

 

 ↓ 「一生に一度は善光寺参り」という有名な言葉がありますが。

 

 ↑ 善光寺参道。                        パンフレットより。

 長野駅前からバスで善光寺大門前まで行きました。

 信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)がご本尊で。

 当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られますが。

 現在その護持運営は大勧進【だいかんじん】を本坊とする天台宗と、大本願【だいほんがん】を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われているそうです。

 御本尊の一光三尊阿弥陀如来とは一つの光背の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)が配置された様式で「善光寺式阿弥陀三尊像」とも呼ばれています。 

 

 

 ↑ 仁王門。

 平日なのに参拝客が大勢。

 

  

 ↑ 火災で何回か消失し、現在の物は1918年建立の物だそうです。      パンフレットより。

 善光寺参りの入口となるのがこの仁王門です。

 仁王には仏敵からお寺を守る役割があります。

 正面には阿形【あぎょう】像・吽形【うんぎょう】像、背面には三宝荒神【さんぽうこうじん】、三面大黒天【さんめんだいこくてん】がいます。

 高村光雲・米原雲海によって作られたこの仁王像は絶妙なバランスで製作されている為、支えを用いずその足で自立しています。

 

  

 ↑ 吽形【うんぎょう】像            ↑ 阿形【あぎょう】像。

 

  

 ↑ 参道。                  ↑ 六地蔵の左隣には濡れ仏と呼ばれる大仏(延命地蔵)。

 

 

 ↑ 参道右側にある六地蔵。

 六地蔵は色々なお寺で見かける事があります。

 

 

 ↑ 六地蔵案内板。

 向かって右から。

 六地蔵の「六」は仏教の六道を表わしています。六道とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人界・天界のことだそうです。

 

 

 ↑ 山門。

 1750年建立。

 善光寺本堂正面にある大きな門です。

 この門には有名な鳩字の額がかかっています。

 鳩字の由来は、額に書かれた「善光寺」の文字の中に五羽の鳩が隠されているためです。

 上層部は拝観可能となっており、中には智慧の仏である文殊菩薩騎獅像、四天王像、四国八十八ヶ所霊場ゆかりの仏像などが安置されています。

 更に回廊からは長野市を一望でき、本堂を上方から見ることができます。

 

 

 ↑ 鳩字の額が。

 

 

 ↑ 鳩字の額が。

 

 

 ↑ 本堂。

 外陣【げじん】には人間を裁く閻魔大王。

 私は悪い所を、おびんずる尊者さんを撫でてお願い事をしてきました

 内陣は俗世の救済者である弥勒菩薩と地蔵菩薩が配され。

 最も奥の瑠璃壇【るりだん】には絶対秘仏の一光三尊阿弥陀如来像が御安置されています。

 本堂では毎日欠かさずお朝事が行われ。

 瑠璃壇の下には、極楽浄土への往生が約束されるお戒壇巡りがあります。

 

 

 ↑ お戒壇巡り入口。                      パンフレットより。 

 私も一度暗闇の中、瑠璃壇の下の極楽浄土への往生が約束される「お戒壇巡り」をしました。

 真っ暗で手探りながら進んだ記憶があります。

 その時、手に何かが触れた記憶がありました。

 

 

 ↑ 本堂案内板。

 

 

 

  

 ↑ 本堂。                  ↑ 梵鐘。 

 

  

 

  

 

 

 

 

 ↑ 経堂。

 1759年建立。中には八角の輪蔵【りんぞう】があり、その中には全てのお経を網羅した一切経が収められています。

 輪蔵は元来、経典を収める書庫ですが、腕木がついており、これを押し回すことで、中の総ての経典を読むことと同じ功徳を得るといわれています。

 重要文化財としては珍しく、参拝者にこの輪蔵を回していただくことが可能です。

 私は、鎌倉の長谷寺で輪蔵【りんぞう】の眺めた事がありますが。

 

 

 ↑ 仲見世。

 長野と言えばおやきですが。

 

 

 ↑ え私が選んだのはおやきの🌰くりバージョン。

 考えていたよりはるかに美味かった。

 

 

 ↑ いろは堂。

 

 

 ↑ 長野駅からのバス。

 

 

 ↑ 小布施のお店。

 

 

 ↑ 郵便局だそうです。

 

 

 ↑ 長野エキナカ。

 

 

 ↑ 長野新幹線ホームの立ち蕎麦屋で食べた。

 立ち蕎麦の美味しかったこと。

 値段は確か500円以下でしたが。

 天ぷらは大きかったし、お蕎麦は当然。 

 さすが信州。

 

 

 ↑ 長野小布施・善光寺の電車旅でした。

 大人の休日クラブの1日目が終わりました。


大人の休日パスで長野県小布施に行って来ました。

2024年10月04日 18時40分03秒 | 旅の途中で

 大人の休日クラブパスを使って電車旅。

 大人の休日クラブパスの初日。

 長野県の小布施に行って来ました。

 まずは、鎌倉に行きたかったのですが、鎌倉のお天気予報が良くなかったので。

 栗好きな私が選んだのは、小布施でした。

 

 ↑ 郡山駅から。

 東北新幹線 のやまびこ自由席に乗り、大宮経由で長野駅まで行き。

 

 

 ↑ 途中幻想的な霧も発生。

 郡山駅から東北新幹線で大宮駅まで。

 大宮駅から上越新幹線で、長野駅まで移動。

 長野駅から、長野電鉄で小布施まで移動しました。

 残念ながら「大人の休日パス」は長野電鉄では使いませんでした。

 

 

 ↑ 長野駅を出て、歩 いて数分の所の長野電鉄駅に行き。

 改札口で、駅員さんに聞きながら券売機で。

 長野電鉄の、長野駅から小布施駅までの乗車券を購入し。

 

 

 ↑ 長野電鉄ホームへ。

 

 

 ↑ スノーモンキーに乗車。

 車内、綺麗な列車でした。

 指定席なのかはっきり解らなかったので、隣の若者に確認して席に。

 窓側に私を、案内してくれましたが、さすがにそこまで甘える気はありませんでした。

 思いやりの有る若者でした。

  

 ↑ 小布施駅に到着。

 ここで大勢の乗客が電車から降りました。

 

 

 ↑ 小布施の電車発車時刻表。

 小布施の町の散策時、時刻表を頭に叩き込んで行けばよかった。

 小布施の町の散策を終わり駅戻ってきて、時刻表を観たら電車が発車したばかりで、次の電車迄かなりの時間駅中で待っていた。

 

 

 ↑ 小布施駅ホーム。

 線路を渡り、改札口へ。

 

 

 ↑ ながでん電車の広場。

 観ることができるようです。

 展示してある、線路ずたいを歩いて行くようです。

 私がホームで電車を待っている間に、二人のご婦人が観に行ってました。

 

 

 ↑ 小布施駅。

 観光案内所は駅を出て、この右側にありました。

 そこで、小布施の観光案内パンフレットを頂けますが。

 私は、もらい損ねました。

 観光案内パンフレットで時間がある方には、丁寧に観光案内をされていました。

 

 

 ↑ 後は、おぶせロマン号の「一日乗り放題周遊券」をそこで500円で購入しました。

 

 

 ↑ 信州小布施町の案内板。

 

 

 ↑ 観光案内所で「おぶせロマン号」の乗車券を購入し。

 

 

 ↑ 平日の運行表です。

 約1時間おきに1本のバスが運行。

 

 

 ↑ 土曜日・日曜日の運行です。

 こちらは30分間隔でのバスの運行表。

 

 

 ↑ 小布施駅前。

 閑散としていました。

 

  

 ↑ おぶせロマン号に乗車し。

 岩松院で下車。

 葛飾北斎の「天井絵」を観ることが目的の一つでした。

 

 

 ↑ 「岩松院(がんしょういん)」入口付近。

 

 

 ↑ 参道を歩 き。

 

 

 

 

 ↑ ここには、福島正則公の霊廟があるようです。

 全く知らなかった。

 

 

 ↑ 山門を通り。

 

  

 

 

 ↑ 六地蔵を左に観ながら。

 

 

 

 

 ↑ 岩松院本堂へ。

 葛飾北斎が晩年に描いた巨大な「八方睨み鳳凰図(89歳の時の作と伝えられています)」が天井に。

 江戸時代後期の絵師。葛飾北斎は83歳の時から小布施に江戸から4度訪問されたそうです。

 旅の旅費や製作費等は地元の豪商が出したとか。

 今から176年前に描かれた絵とは思いないほど、鮮やかな色彩で描かれていました。

  (鳳凰の周りはかって、金箔は貼られていたそうです。)

 巨大な鳳凰は、どの位置から見ても目が合い、その迫力に圧倒されました。

 圧巻のすごさでした。

 と言うような事を御住職様から講和がありました。

 当然本堂内は、撮影禁止でした。

 が、ネットを観ると写真が掲載されているようなので無断で撮影されたのでしょうね。

 

 

 ↑ 裏の小高い丘に、福島正則公の「霊廟」はありました。

 

 

 ↑ 福島正則公の霊廟。

 豊臣秀吉の古くからの重臣であった福島正則は、江戸時代の1619年に信越地方に国替えになりました。 

 その5年後の1624年に亡くなられたそうです。

 このようなことも御住職様の講和の中にありました。

  講和は約10分間くらいでした。

 信越地方に国替えになった時は、石高も十分の一位になったとか?。

 

  

 ↑ 小林一茶の句碑。

 《やせ蛙 負けるな一茶 是にあり》という句を詠んだ“蛙合戦の池”。

 

 

 

 

 ↑ ロマン号で北斎会館方面へ移動。

 

 

 ↑ 北斎館入口。

 

  

 ↑ バス停から歩 いて北斎会館方面へ。

 

  

 ↑ 北斎館。

 過去に二度訪れた事があったので、北斎館今回はパスしました。

 

  

 

  

 ↑ 何か🌰のスイーツを食べようかなとお店をのぞいたら。

 この時間帯は、団体のお客様専用の時間帯でした。

 モンブラン食べたかった。

 

 

 ↑ 小布施は栗で有名。

 栗好きな私にはたまらない空間でした。

 

 

  ↑ 和栗のソフトクリーム美味しかった。

 和栗の 🌰 の濃厚な甘さ。

 500円でしたが。

 

 

 ↑ 小布施の観光案内を終え。

 小布施駅方面に、案内板を観ながら歩 いて戻りました。


安達ヶ原ふるさと村曼珠沙華まつり

2024年09月17日 08時18分42秒 | 旅の途中で

 安達ヶ原ふるさと村曼珠沙華まつりに、福島市からの帰り道。

 

 ↑ 寄り道をしました。

 

 

 ↑ 料金所で300円の協力金を払い、暗い建物(トンネル)を通り。

 園内へ。

 料金所で協力金300円を納めた際、係の方からソフトクリーム100円割引券と買い物割引券を頂きました。

 両サイドには、写真が掲載されていました。

 

  

 ↑ 「曼珠沙華ふるさとのしずく」と。     ↑ 「ポーチュラカ」と言う花が園内いっぱいに。

 

  

 ↑ ウエルカムエリアの花壇の綺麗が、花がお出迎え。

 立派なカメラを持っていた方が二名ほどおりました。

 どんな構図でカメラに写真を納めて居るんだろうか、見せてもらいたい気がするが。

 

 

 ↑ 曼珠沙華「ふるさとのしずくと」。

 

 

 

 

 ↑ こちらは白の曼珠沙華。

 

  

 ↑ ポーチュラカと言う花が一面に。

 元気キッズパークの建物の中を通り。

 

  

 

 

 ↑ ポーチュラカ、色とりどりの花が咲いていました。

 

 

 

 

 ↑ 絹の家。

 

  

 ↑ 水車がアクセントに。           ↑ 水車小屋。        

 

 

 ↑ 同じような花が咲いている時。

 プロの写真家さんは、どんな構図でシャッターを押すのだろうか?。

 

 

 ↑ こんな風景にあこがれる私が居ます。

 

  

 ↑ セミが。

 私が幼少の頃は、セミを沢山見かけたのに。

 今は、声さえも聴くことがままならない。

 

 

 ↑ トンボも。

 

 

 

  

 

 

 ↑ ピントがあまいような写真。

 

 

 ↑ 遠くには、絹の家水車小屋が。

 

 

 ↑ 武家屋敷。

 

  

 ↑ 武家屋敷案内板。

 

 

 ↑ 園内のお店(農村生活館)。

 

 

 

  

 ↑ 五重塔。                 ↑ 入り口附近。

 ふるさと村に別れを告げ。

 

 

 ↑ ここの協力金300円は、内容が充実していました。

 

 

 ↑ 安達ヶ原ふるさと村でした。


Amazonから購入の単焦点レンを付け、福島市民家園へ。

2024年09月14日 10時59分26秒 | 旅の途中で

 Amazonから。

 ニコンの単焦点レンズ35mm、F1.8を購入したので。

 どんな感じなのか、行って写真の物撮りをしてきました。

 

 ↑ 単焦点レンズ本体と添付品。

 

 

 ↑ レンズを納めるカバーケースも添付してありました。

 レンズフードカバーもついていました。

 

 

 ↑ このレンズ取り付けて撮影に。

 

 福島民家園に行って来ました。

 前から福島を訪れた際、気になっていた場所でした。

 

 

  

 ↑ 福島市民家園に。

 何回か訪れた事はありましたが、入口付近のみだったので。

 今回は、一周して観てきました。

 

 

 

 

 ↑ 私が一番乗りのようでした。

 いたのは、園内の管理をしていた方々のみでした。

 

   

                      ↑ 園内の池。枯れた葉が多すぎて思うように撮影できず。

 

 

 ↑ 民家園略図。

 

 

 ↑ 旧小野家。

 

  

 ↑ 縁側付近には、展示物が。

 

  

 ↑ 小野家の前の一角に咲いていた花。

 シュウメイギクと言うそうな?。

 

 

 ↑ これから開花するであろう蕾も。

 

 

 ↑ こんな光景癒されますよね。

 

 

 ↑ 街中に住んで居ると、トンボを観ることが少ない今日この頃。

 トンボも珍しい。

 

  

 ↑ 民家園の前のお花だよりに名前が記されていたような。

 

 

 ↑ 旧筧家宿店。

 趣がある。

 

  

 

  

 

 

 ↑ 広瀬座。

 改装工事をしているようです。

 

  

                        ↑ カメラの設定ミス。

 

 

 ↑ 園内にはいたるところに案内板が。

 

 

 ↑ 旧阿部家。 

 

 

 ↑ 旧渡辺家。

 

 

 ↑ 色々カメラの設定を変えて。

 撮影したが、思うようにいかず。

 

 

 

 

 ⑨ 旧渡辺家。

 

  

 

 

 ↑ 旧菅野家

 

 

 ↑ 歳月を感じさせる藁屋根。

 

 

 

 

 ↑ 園内の食事処。

 「にぎ和伊カフェむろいし」。

 開店前に待っている方が居ました。

 

 

 ↑ 私が一通り観て回り帰ろうかと。

 一回りして戻ってきたら、入ってきた方を見かけました。

 福島市民家園でした。


磐梯朝日国立公園の「裏磐梯」に行って来ました。Ⅱ

2024年09月11日 11時12分56秒 | 旅の途中で

 昨日、スマホのニュースで福島県の方が。

 

 ↑ 使用しているパソコンに警告音(激しい音)とともに、上の様は警告画面が出たそうで。

 いけない事に、表示されていた番号に電話されて詐欺にあったそうです。

 丁度私が遭遇した時期と重なりました。

 悪い事に相手に言われるままに、パソコン遠隔操作が出来るソフトインスト―ル(NO・駄目ですしてしまったようです。

 かなりの大金をもっていかれたとか。

 私もそうですが、詐欺の手口は常に勉強していた方が良いようです。

 その時の警告ブログ「突然パソコンが大きな音を出しました。」

  追伸。

  今日スマホのニュースで知りえた情報では、私が詐欺の画面に遭遇したとき。

  福島県の方が多額の金額のサポート詐欺に残念ながらひっかかってしまったようですが。

  その時期に、有名な俳優の方も同じ詐欺に遭ったような事をスマホのニュースで今知りました。

  お互い慎重に、詐欺にあわないように心がけましょう。

 

 ↓ 今日のブログの本題です。

 「磐梯朝日国立公園の「裏磐梯」に行って来ましたⅠ」の続きです。

  五色沼湖沼群の「毘沙門沼」から「柳沼」の方に車を移動し。

 五色沼柳沼側駐車場に車 を駐車させ。

 

 ↑ 駐車場内に咲いていた花を。

 暗めに設定して撮影しました。 

 暗めに設定しすぎたかもしれませんが。

 それはさておき。

 

 

 ↑ 裏磐梯物産館。

 この日は、遊びに行った時なかなか遭遇しない好天気

 

 

 ↑ 裏磐梯湖沼群の「柳沼」。

 周囲の木々が鏡のように映り込んでいます。

 カメラの三脚をセットし、スローシャッターで撮影したら水面に鏡のように映るんでしょうけど。

 秋には美しく染まったカエデやウルシが水面に映り、多くのカメラマンが訪れる人気スポットです。 

 

 

 ↑ 柳沼。

 空の青空が、綺麗に湖面に反射していました。

 

 

 ↑ 多分ここは、魚が住める環境だと思っていましたが。

 

 

 ↑ 柳沼。

 

 

 ↑ 母沼。

 

  

 ↑ 「母沼」。

 父沼 ⇒ 母沼 ⇒ 柳沼に水は流れているようです。

 

 

 ↑ 柳沼。

 この場所から、秋になると対岸の木々の美しい紅葉が観られます。

 

 

 ↑ 先に進みます。

 🐻注意の看板も。

 

 

 ↑ 熊との遭遇は気になりましたが。

 この日は、何人かとすれ違ったりしたので。

 私も🐻鈴?らしきものは、カバンに付けて行きましたが。 

 

  

 ↑ 毘沙門沼側のコースよりは、なだらかですが。

 

 

 ↑ 遠藤現夢翁の碑入口。

 *遠藤現夢(1864-1934)。

 本名は遠藤十次郎。

 荒野となった裏磐梯に美しい緑をよみがえらせようと私財を投じて植林を行った事業家で「裏磐梯緑化の父」と呼ばれる。

 柳沼と青沼の間のコース途中に小道があり、350mほど入ると遠藤現夢翁の墓があります。

 私は訪れた事はありませんが。

 

 

 ↑ 入山者の数をカウントしているようです。

 このカウンターは毘沙門沼側にもありました。

 

 

 

 

 ↑ 「青沼」が見えてきました。

 

 

 ↑ 白く見えるのは、木々の葉が湖水の成分で変色したものだそうです。

 

 

 ↑ 初めて気が付いた時は、何だろう👍と思いましたが。

 

 

 ↑ 青沼です。

 五色沼湖沼群のなかでも最も小さい沼ながら、湖面は内側から光るようなコバルトブルー。

 この色は太陽光に照らされたウカミカマゴケの緑だそうです。

 当日の天気や沼のコンディションにもよりますが、その色は息を飲むほど神秘的です!。  

 

 

 

 

 ↑ 遊歩道より少し下ると、展望台(ベンチもあり)があります。

   お勧めです。

 

 

 

 

 ↑ 青沼の標識。

 

  

 ↑ 次の目的地へ。

 

 

 

 

 ↑ 「るり沼」に着きました。

 

 

 ↑ 奥にあるのは、るり沼展望台です。

 湖面の沿岸にそそりたつ「かや」が、成長しすぎて「るり沼」が見えなくなったので見晴らし台が何年か前に作られました。

 

 

 ↑ 展望台のお陰で観える「るり沼」。

 展望台のお陰でこれだけ見えるようになりました。☺

 

 

 ↑ 展望台から眺めるるり沼。

 瑠璃沼には地下水が湧いているため水温が下がりにくく、冬でも凍らないようです。

 透明度が非常に高く、冬は青、春は濃い緑と表情を変える神秘的な沼です。

 穏やかに輝く水面に映り込む「逆さ磐梯山」は圧巻ですが。

 波が荒いと見えず。

 

  

 ↑ るり沼から下流の沼に流れていきます。

 水の流れを観ることができるエリアです。

 

 

 ↑ 弁天沼展望台。

 この展望台も数年前に、新しく作り直されました。

 カメラの三脚をたて、レンズフィルターを使って弁天沼を撮影していた方が居ました。

 この方は、五色沼湖沼群の反対側でも見かけました。

 カメラの装備を観るとプロのカメラマンかもしれませんでした。

 レンズフィルターが。

 

 

 

 

 ↑ 「弁天沼」。

 五色沼湖沼群のなかで2番目に大きい弁天沼は、遠くに西吾妻山(にしあづまやま)、安達太良(あだたら)の峰(みね)を望み、明るく広々とした場所に佇んでいます。

 太陽の向きによって、同じ時刻でも東側と西側で見た色が変わるので、時間があればぜひ両側から鑑賞してみてくださいとこことでした。

 

 

 

 

 ↑ ここから柳沼へ戻る事にしました。

 

  

 ↑ 以前はぬかるんでいたところでしたが、木道が整備され歩きやすくなりました。

 

 

 ↑ 弁天沼を後に。

 

 

 ↑ 戻る事にしました。

 

 

 

 

 ↑ 柳沼へ戻ってきました。

 

 

 

 

 ↑ 雲が山のように見えたので。

 

   

 ↑ 裏磐梯物産館が見えてきました。      ↑ こちらは、今戻ってきた道です。

 

 

 ↑ 柳沼側駐車場の一角にある父沼?。

 裏磐梯のひと時の風景でした。