気まぐれで何かを

日記代わりの備忘録

義mother とお別れ

2018年04月09日 | 日記
義mother が旅立っていきました


3年前に具合が悪くなり搬送されて入院、回復を目指し様々な処置を受けるなかで
造影剤にアレルギーショックを起こした命の危機もどうにか乗り越える
その後も病状からの回復のため数度転院し色々な処置を施してきました

その間に、治療方針や役割分担を巡って身内の一部と意見が合わなかったり

1年前からは介護施設で生活

少しずつ弱っていくと共にわがままやグチが増え、いろいろ欲しがる子供のようになる

今年2月後半に容態が悪くなった時は相方さんが一晩付き添い、その時は峠は越しましたが
そこからは徐々に体力が落ち、痩せてくる

「苦いのが上がってくる」と言って食べる事がなかなか難しくなってきたのが3月後半
週一の休みに会いに行くたびに少しずつ弱っていき、亡くなる前日にひ孫の写真や動画を見せた時は
意識はあるけど所々混濁しているようで反応があまり良くなく、疲れていそうだからと帰りました

その翌日に危篤と連絡があり駆けつけたら、着いてまもなく呼吸が止まる
事前の施設スタッフの説明通り全く食べれなくなって1週間ほどでした



葬儀を滞りなく終えて撮った写真の1枚に

相方さんの胸の位置にやたらと鮮明な“オーブ”が写っていてビックリ


「おかちゃん」、長い闘病と痛みからやっと解放されましたね

相方さんは時折情緒不安定になったりするけど、junior1号はそっとフォローしてくれるし
遠くから駆けつけてくれたjunior2号と先日産まれたその子供の写真や動画を見て少しずつ元気を取り戻してます

闘病中の3年ほどの間、だれよりも一番会いに行ったのが相方さんで
一番話し相手になって、一番愚痴聞いて、一番寄り添ってきました
空の上から見守ってあげてください

今まで色々ありがとうございました
少しの間お別れです さようなら


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