写真のような社内報がホンダから送られて来ました。
本田技術研究所に16年間勤めていました。
もうじき退社して9年になりますが、いつも社内報は送ってきてくれるし、グッズ社内販売のお知らせとかとかまで・・・、OBにもいつまでも優しい会社です。定期的に社内報を見ていると、みんながんばっているかな?景気はどうかな?レースがんばらないのかな??とか、今でも「身内精神」は消えないものです。
今回の社内報の表紙を見てビックリ!「し・・・CGかしら??」と思ったけど、本物で、「黄色いビートが数珠繋がりで走る」シーンです。
な・・・なんじゃこれは!?と、調べたら「MEET THE BEAT 2010 」というイベントが5月に有り、ツインリンクもてぎサーキットで「569台のビート」が同時に走り、見事にギネス記録をとったそうです。・・・知らんかった。。。^^;)
更に動画をチェックしたら・・・こんなです↓
MEET THE BEAT 2010 パレードラン ギネス記録挑戦
工場のラインから出荷される車のシーンじゃないですからねっ!
なんだか涙出てきました。。。
ビートと言えば、私ガッツリと開発していたんですよ。
発売は91年、軽の2シーターオープンスポーツとしてデビューした車です。
今思えばバブルど真ん中ですね!
もう20年近いのかぁ。。。こーーーんなにたくさんのビートを皆大切に大切に乗ってくれているんだぁ。。。感無量ですm(_ _)m
私はエンジンの設計でした。
「今度、軽のオープンやるんだってさ」という噂は聞いていましたっけ。若い世代の車、造り手も若者が「自発的に!」が重要、なので開発チームは若者が「自分から名乗りをあげる」という新しい試み・・・ふーーん。。。
だったのですが、数日後(だったかな?)かなり上の上司に呼び出されて「ビート開発チームに入りなさい」・・・「え??^^;)」・・・だったの覚えています。
若者が開放的な気持ちで開発できるように、と「ビート開発室」なる母屋とは別の部屋が中2階に作られ、所謂普通の設計室なのですが、何故か椰子の木が飾ってあり、いつでも飲めるコーヒー(これは嬉しかった)、音楽まで流れていて(これも母屋じゃ有り得なかった)・・・でしたっけ。
当時、若者だった私も仰せつかったからにはがんばって開発していました。
軽トラックのアクティの3気筒エンジンをベースにスポーツ化!
(4気筒で新開発したかったんだよなぁ・・・あの時^^;)、今思えばバブルじゃないの・・・ダメって言われたけど、出来たんじゃない??)
エンジンが車体の中央にくるミッドシップレイアウト!!
オープンボディーなので、車体の剛性がかせげないって、いっぱいパッチをあてがうと・・・重くなってトゥデイにも置いていかれる。。。大変だぁ!
車体設計担当の女性がシマウマが好きとのことで、シートがゼブラ柄に!!・・・^^;)
うーーん、いろいろあったなぁ・・・なにせ、超!超!短期間での開発、でもあり(ライバル他車との大人の事情がいろいろで^^;))ものすごい苦労した車です。
S600、800らを愛したような「エンスーな人」にも愛されたい。寝板で車体の下にもぐってガチャガチャいじるような・・・そんなイメージにしたい。
って・・・、私エンジンの下面に「HONDA」という浮き出しと、アイデンティティーマーク、所謂「Hマーク」を入れました。「何遊んでんだよ」と上にも言われたけど、「遊び車だし?」「コストも鋳出しなのでかならないっすよ」でOK。
発売されて、特集の雑誌がいっぱい出て、エンジンの写真に「こんなところにもエンジニアのこだわりが!」って書かれていた時嬉しかったなぁ~・・・(若者だったので^^;)
20年・・・そして569台パレードかぁ・・・
まさしく、今でもこよなく愛してくれている人たちなんだろうなぁ・・・エンスーでしょ、そりゃもう。
なんだかタイムスリップして嬉しさがこみ上げてきましたよ。
本田技術研究所に16年間勤めていました。
もうじき退社して9年になりますが、いつも社内報は送ってきてくれるし、グッズ社内販売のお知らせとかとかまで・・・、OBにもいつまでも優しい会社です。定期的に社内報を見ていると、みんながんばっているかな?景気はどうかな?レースがんばらないのかな??とか、今でも「身内精神」は消えないものです。
今回の社内報の表紙を見てビックリ!「し・・・CGかしら??」と思ったけど、本物で、「黄色いビートが数珠繋がりで走る」シーンです。
な・・・なんじゃこれは!?と、調べたら「MEET THE BEAT 2010 」というイベントが5月に有り、ツインリンクもてぎサーキットで「569台のビート」が同時に走り、見事にギネス記録をとったそうです。・・・知らんかった。。。^^;)
更に動画をチェックしたら・・・こんなです↓
MEET THE BEAT 2010 パレードラン ギネス記録挑戦
工場のラインから出荷される車のシーンじゃないですからねっ!
なんだか涙出てきました。。。
ビートと言えば、私ガッツリと開発していたんですよ。
発売は91年、軽の2シーターオープンスポーツとしてデビューした車です。
今思えばバブルど真ん中ですね!
もう20年近いのかぁ。。。こーーーんなにたくさんのビートを皆大切に大切に乗ってくれているんだぁ。。。感無量ですm(_ _)m
私はエンジンの設計でした。
「今度、軽のオープンやるんだってさ」という噂は聞いていましたっけ。若い世代の車、造り手も若者が「自発的に!」が重要、なので開発チームは若者が「自分から名乗りをあげる」という新しい試み・・・ふーーん。。。
だったのですが、数日後(だったかな?)かなり上の上司に呼び出されて「ビート開発チームに入りなさい」・・・「え??^^;)」・・・だったの覚えています。
若者が開放的な気持ちで開発できるように、と「ビート開発室」なる母屋とは別の部屋が中2階に作られ、所謂普通の設計室なのですが、何故か椰子の木が飾ってあり、いつでも飲めるコーヒー(これは嬉しかった)、音楽まで流れていて(これも母屋じゃ有り得なかった)・・・でしたっけ。
当時、若者だった私も仰せつかったからにはがんばって開発していました。
軽トラックのアクティの3気筒エンジンをベースにスポーツ化!
(4気筒で新開発したかったんだよなぁ・・・あの時^^;)、今思えばバブルじゃないの・・・ダメって言われたけど、出来たんじゃない??)
エンジンが車体の中央にくるミッドシップレイアウト!!
オープンボディーなので、車体の剛性がかせげないって、いっぱいパッチをあてがうと・・・重くなってトゥデイにも置いていかれる。。。大変だぁ!
車体設計担当の女性がシマウマが好きとのことで、シートがゼブラ柄に!!・・・^^;)
うーーん、いろいろあったなぁ・・・なにせ、超!超!短期間での開発、でもあり(ライバル他車との大人の事情がいろいろで^^;))ものすごい苦労した車です。
S600、800らを愛したような「エンスーな人」にも愛されたい。寝板で車体の下にもぐってガチャガチャいじるような・・・そんなイメージにしたい。
って・・・、私エンジンの下面に「HONDA」という浮き出しと、アイデンティティーマーク、所謂「Hマーク」を入れました。「何遊んでんだよ」と上にも言われたけど、「遊び車だし?」「コストも鋳出しなのでかならないっすよ」でOK。
発売されて、特集の雑誌がいっぱい出て、エンジンの写真に「こんなところにもエンジニアのこだわりが!」って書かれていた時嬉しかったなぁ~・・・(若者だったので^^;)
20年・・・そして569台パレードかぁ・・・
まさしく、今でもこよなく愛してくれている人たちなんだろうなぁ・・・エンスーでしょ、そりゃもう。
なんだかタイムスリップして嬉しさがこみ上げてきましたよ。