サックス奏者 中村健佐のブログです

サックス奏者 中村健佐のブログです。日々の活動やその他、徒然なるままに書いていこうと思います。

陸前高田の2日間~その2

2011年07月19日 03時02分41秒 | Weblog
こちらでは演奏でお邪魔した模様などを書きます。

1日目は3連休も初日のためか東北道は大渋滞。仙台のお祭りでしょうか、それは凄くて7時半出発で17時近く・・・と、9時間半もかかりました。ですが、うちの車はエアコン無いし便乗させていただきまして・・・これまたエアコンばっちりのアルファード、いつも寝る時間の出発でもあり後ろで涼しくくたばってしまったり。。。m(_ _)m

19時過ぎから前述の広田の小学校の体育館でミニイベントでした。


少し前まではこの体育館が避難所だったそうです。
現在は校庭の下に見える仮設住宅に皆さん入られ、イベントの時間に集まってこられました。


3世代のご世帯が多いようで、チビッコもいっぱい。
体育館に入ると物凄い勢いで遊んで走り回り、元気いっぱいです。
発散も大切です。


いっしょに参加したブルートライクのお兄さんおねえさん達の楽しいライブ風景です

うって変わって私は童謡とか^^;)



最初、男性陣の宿泊はお寺の予定で聞いていましたが、全員で民宿にお世話になれました。
翌朝8時出発とまたまた早いのに、バンドのお兄さんたちやら数名の男勢で軽い深夜まで語らっておりました。

2日目朝は前述の気仙沼行きで、午後からは私と佐々木さんは別働部隊となり陸前高田の街の山手にある公民館へ。
ごいっしょさせていただいているパティシェで有名なシェ・シバタさんが発起される今回の目玉、「大きなバースデーケーキをチビッコといっしょに」というイベントは前日と同じ広田小学校を会場に。

公民館では何がおこなわれていたかというと。
名古屋からボランティア活動で来られている団体さんが地元の方々をねぎらってのバーベキューイベント。


佐々木さんと佐々木さんの叔母様

名古屋から来られた手品のショー


ニュースでは見ていましたが、本当にハエは大変なことに。。。私も佐々木さんもハエショット
(エクボではありません)



建物の中に移り演奏をさせていただきました




今回、赤とんぼとふるさとを用意してきました。
最後に演奏し、皆さんにも歌っていただきました。皆さん涙しながら大合唱してくださいました。
私も演奏しながら涙こらえていました。


会長さんでしょうか?演奏後にご挨拶され、嗚咽しながら喜んでくださいました。

その数分前までは外でビール飲んで騒いで、みんな笑顔で。。。
でも、何かの瞬間、感情がこみ上げ・・・そして涙といっしょに少しずつ張り詰めた気持ちも流して・・・
そんなお手伝いを出来たのなら幸いに思います。来てよかった。


広田小学校に戻り合流。
撤収し、車で出発すると佐々木さんが地元の大きなお寺にご案内くださいました。

230名の身元不明の方々のお骨があり、我々もお祈りさせていただくことができました。
お骨箱は高く積み上げられ、手をあわせることしか出来ない・・・本当に言葉を失います。

16時、さすがにそろそろ東京へ向かわないとかな??と思っていましたが佐々木さんら地元の方々がバーベキューをご用意くださっていました。ご自宅から町を一望できる庭先でのバーベキューです。





シェシバタさんが集められた義援金を市の方に


庭先からとても神秘的な美しい夕暮れが


2日間ではありましたが、とても濃い時間を過ごさせていただきました。
地元の方々は本当に暖かく、芯が強く、そして精一杯地元を愛し毎日を意味のあるものにしようとされています。
震災から4ヶ月以上が経ち、報道の数も減り、原発やエネルギー問題など・・・我々全国民が今後ひっかむる話題ばかりで被災地の今の実情についてはどこかで風化している部分を東京に居ると感じます。しかし、現地はまったくの進行形であり、そんな先の話題ではなく「今を立て直すこと」に一生懸命なのです。3月、4月と色々なものが現地入りし話題も集中していましたが、それが引く理由は現地にはまったくありません。続いているのですから。
多くの方が行って、見て、発信してくれたら良いなと思いました。
何が出来るか?はなくてもかまわないと思います。
発信・・・見て、伝えることではないか?私が今回ブログで演奏話は後回しにした理由です。

発信力のある有名な人などにもこれからもっと行ってもらえたら。。。とストレートに思いました。
ライブやイベントや炊き出しや・・・それは手ぶらでも良いですから、現地に入って、見てまわって、話を聞いて、伝えていってくれることが今、現地の人にとって必要なことなのかもしれません。



さて、、、
20時ごろ陸前高田を出発、帰りは5時間少し。埼玉で扇風機のマイカーに乗換え、帰宅すると偶然にも’なでしこサッカー’が!
全然予定してなかったけど、そのまま7時半まで興奮しっぱなし^^;)
佐々木さんからも「勝った!すごい!」とリアルタイムでメールが入ります。

彼女たちはとんでもない勇気をみんなに与えてくれたと思います。
運も実力の内、では言い切ることが出来ないほどの目に見えない大きな力が奇跡を起こし続けたと思います。
まだまだいけるんだよ日本という国は!!



コメント (10)
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陸前高田の2日間~その1

2011年07月18日 23時52分10秒 | Weblog
16日、17日の2日間、岩手県陸前高田、避難所での演奏に行ってまいりました。
被災地での支援催しを企画されている有志の皆様、そして現地の方々で実際に被災されなからもボランティア活動に勢力を注いでいらっしゃる皆様、それぞれが様々な形で繋がっていました。今回お声がけをいただき私も参画してまいりました。

はじめに。。。
2日間を終え帰ってきてみると自分の中に残ったものが何か違う?
以前に行った柏崎の避難所演奏、1週間がむしゃらに演奏しまくった時とも違う。
今回まさに被災された陸前高田という町に伺っていた2日間ですが、思えばその時間の中の多くを現地の佐々木さんと仰る方に「愛する街」をご案内いただいたからかもしれません。
行くまでは勝手に思っていました、「一時でも忘れてもらえるように、演奏で楽しんでもらえたら、癒えてもらえたら」と。
途中で気がつきました。。。「一瞬でも忘れるどころか悲惨な出来事をもっともっと知ってもらいたい、多くの人に伝えたい」。
何時間にも渡って、街の各所で何度も何度も車を停めては涙しながらエピソードを聞かせてくださる佐々木さんと過ごしながら、自分なりの解釈をし「伝えることの大切さ」を実感しました。
なので、ブログはいつもでしたら時経列に沿って書いていますが今回は順不同で書きます。

佐々木さんご自身、奥様を震災で亡くされ、お子様たちもお仕事や勉強もあります。現在お一人で仮設住宅にお住まいだそうです。大勢の中で大変陽気に振舞われ、ムードを作ってくださる大変優しい方です。


陸前高田の中心で海に面した大きな建物「キャピタルホテル」の営業にお勤めだったそうです。

このホテルは地下深くの岩盤まで柱を入れてあり今回の津波でも流されませんでした。
津波はこの建物の4階までの高さに上がったそうです。ホテルなので1フロアが大きいですので、通常であれば6階相当ではないでしょうか。佐々木さんは建物の中でお勤め中でしたがバスで避難されたそうです。

周辺の建物は全て流されてしまいました。



高台にある建物の屋上から街の全景が見えます。

右手奥にキャピタルホテルが見えます。
中央の大きながれきの山・・・行き場を失ったがれきが大きな山を形成しています。




線路だったそうです



堤防はこのようにあちらこちらが破壊されています。



「緊急避難所になっていたから70名近くの人が逃げ込んだのに、流されちまったんだもんな」と涙される体育館です。


体育館の中、写真手前が海側、奥が山側。津波は天井近くまで充満し。。。


海水は山側の壁を破り、このような大きな口を開けて。。。
3名の方が奇跡的に生還されたそうです。佐々木さんはこの崩落を「悪魔の口」と呼んでいました。

どうなればこんな風に??・・・体育館の中に車が流れ込んでいます。

体育館前の3メートルぐらいある大きな大きな石碑です。


よく見ると文字が逆さです。裏返されてしまったほどの力・・・


消防署です。屋根のアンテナにしがみついて12名の方が生還されたそうです。



出来たばかりでオープン間近だった野球場だそうです


湾の対岸から流されてきたのではないか、という民家。ゆらゆらと浮かんだ状態のままです。


2日目の午前に一同で隣町の気仙沼に。



初めて行ったわけですから、「元の街並み」を知りません。陸前高田は住居が多かったためか、「何もかも流されてしまっている」ので写真でしか前の街並みを知ることができません・・・ですが気仙沼は建物が多いらしく「壊されてしまった町並み」が多少わかることができました。よそから来た我々には’まだ想像できる’ことでせめての現実感や辛さがこみ上げてくるのですが、「街ごと消えてしまった」という意味での陸前高田は想像の域ではないと思いました。


火災になってしまった船です。

パイプ状の鉄柱跡でしょうか、引きちぎられ、断面には錆が出ています。壮絶なパワーです。

陸前高田に戻り

後述しますが、この広田地区の小学校で催しものをおこないました。
地図上で南側の半島です。
中央のくびれのような地形には東西の両側から津波が押し寄せ中央でぶつかったそうです。
引き波の後もがれきが残り、何日にも渡り孤立化してしまったそうです。
くびれが海になってしまった時の写真も見せてくださいました。
まさしく言葉を失ってしまいました。

街を車でご案内いただいていて特に思ったのは「海が高い」ことです。
どこを走っていてもお風呂から水が溢れてくるような気持ちになる水面の高さです。
「これは標高が下がってしまったせいですか?」
「そうです。。。でも、こんな目にあっても海を憎めないんだよなぁ・・・いっぱいいっぱい育ててもらったんだもん」という佐々木さんの言葉、忘れられないです。

2日間で本当に多くの場所を見せていただき、たくさんのエピソードを聞かせていただきました。
峠の道を走っている時に佐々木さんがまた涙しながら仰いました。
「この辺はりんごや果物も名産で最高なんですよ。季節が来ると見渡すかぎり桃源郷なんだなぁ・・・」
58歳、お聞きしたところ、産まれも育ちもずっと陸前高田だそうです。
あちらこちらと移り、現在も色々な地域から人々が集まっている都会に住んでいると「逆の立場になった時に佐々木さんのように思い、人に語れるのか?」と自問自答すると同時に、地元が大好きで、愛する理由がいっぱいあって、そこに住み続けている方々の思いと、それが全て流されてしまった痛みの計り知れなさを感じざるを得ません。住んでいる家が、生活が・・・という範疇を越えた大きな痛みを地元の方々は心の奥に持つと同時に一生懸命に上を向いておられます。


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陸前高田へ行ってきます

2011年07月15日 23時45分44秒 | Weblog
Y町でのストリートも終え、ただいま戻りました。
今からあれこれと準備して、朝の6時の出発で陸前高田の避難所演奏に行ってまいります。
いつも寝る時間の出発だ。。。寝れないぞぉ。。。

以前、中越沖地震で柏崎の避難所演奏にうかがったとき、音楽の行動もとてもタイミングの必要なものだと理解しました。
それどころでは無い時期もあります。NPOやボランティア団体さんにも逆に仕事が増えてしまう場合もある。
そしてある時期を過ぎると生活が戻ってくる。仮設住宅へ皆さん入り避難所はどんどん閉鎖される。
あの時はちょうどのタイミングでお邪魔できてよかったと思いましたが、「1週間ずれていたらどうだったろ?」と思うほどにタイミングの難しいものでもありました。
そして今回の東日本大震災、言葉はよくないかもしれませんが、比べられないほどの長期になるのでは?と感じていました。
そして、どっと色々な催しものが押し寄せる時期を過ぎ、避難所生活が長期におよんでしまっている現在、そんな時こそ何かのお力になれればと思っていました。
たまたま今回、そういった企画をされている団体さんからお声をかけていただきうかがわせていただきます。

この土曜、日曜の2日ですが、出来るだけ多くの避難所をまわって演奏してきたいと思っています。
サウナ車でどうしよう?と思っていましたが、乗っけていってもらえるそうで良かったぁ。。。!
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昨今

2011年07月14日 00時26分35秒 | Weblog
なかなかブログの更新がないではないか?
ご指摘もうけてみたり^^;)
ついつい簡単なことはツイッターでぼっそりとやってしまうので、そのせいもあってか?

というわけで、日々の細かい、更にしょーもないことはこちらで呟いています
ので、
--------------------------------
NakamuraKensukeをフォローしましょうもよろしくお願いします



先日、わがアストロ号のエアコンがいってしまった話を書きました。
マイミクさんから
「車用の扇風機で凌ぐのはどうですか?」と助言をいただき、アマゾンで1700円ポチッとな

車の送風から出る風はエンジンの熱気も拾ってくるのか、次第に温風になってしまいますけど、まだこの扇風機は車内の空気をかき混ぜてくれて少し楽・・・。マイミクさんありがとうございますm(_ _)m
にしても、どんな暑い日でも車から一歩外に出れば「うわぁ涼しい!!」ってなりますね。先日は炎天下の高速渋滞・・・くたばりそうだった^^;)

今日はS城学園へお邪魔。
出遅れてしまい、且つ渋滞に飲まれ遅刻でございます。
申し訳ございませんでしたm(_ _)m
暑い熱い車中、扇風機でブンブン、更に渋滞で到着も遅れてて頭の中までヒートアップでした^^;)

S城の皆様ありがとうございました!
今度の23日にコルティの2階広場(ですかね?)で、山野楽器さん主催インストアライブあります。
コルティに寄ってみたら、「サマーフェスティバル」なる大きな青いポスターが随所に。
大きなポスターによく見ると23日のところで私の写真ありました^^;)

また23日に伺います!
よろしくお願いいたします。
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サウナ車

2011年07月07日 01時10分25秒 | Weblog
どこに行くにも機材積んで走り回っているアストロ号。
昨日エアコンのコンプレッサーがいきなりいってしまった。
ただ停まっていたのに急にエンスト・・・??エアコンのコンプレッサーが焼きつき始め、強引にエンジンが止められてしまったのだ。

今日はお昼から品川で打合せ。一晩置いて、ある程度冷えてる状態なので走り出し最初は「お?大丈夫か!」だったけど、町を出るころには「キュキュキュ~っ」と異音がして、もうこれはアカン。そして今日はけっこう炎天下、「ぐわ~っ!!あちぃ~っ(;´д`)」という感じ。送風にしてもだんだんにエンジンの熱を拾うものだから、次第に温風になってしまう。窓全開でも車内の熱籠りのほうが勝る。
炎天下でも外に出てみると「あ~涼しい!」となるぐらいのサウナ車状態。。。

お昼に品川、午後は筑波の車屋さん行って、夜はM境へストリートというロングランな一日。ずっとサウナ状態。
熱中症にでもなってもおかしくなかったな、ほんとに。じっとしていてもダラダラ汗かいて、脳みそが沸騰しそうだった^^;)
節電と関係ないのに。。。

さぁ、困った困った。
13年落ち、11万km・・・
買取りや下取りで「1万円もお支払いできないお車です」とどこでも言われる車なので、「今度でかい故障したら乗換え時だ」とずっと唱えてきたけど、「まだ走るよね」と3月に車検を通した。けど早速でっかいのが来てしまった。お店に聞くと「修理は20万以上かかります、期間は3週間以上見てください」って。。。ううぅ。

こんなん毎日は無理!
夜だけ走るようにできないかな?せめて
・・・とにかく早くなんとかしないと!
コメント (3)
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