慶応三年〔1867〕の板垣退助の動き〔戊辰戦争の前年〕
戊辰戦争直前の板垣退助〔このときは乾姓〕の動きです。
慶応三年〔1867〕五月二十一日、板垣退助、中岡慎太郎の紹介により、京の小松帯刀邸にて西郷隆盛・吉井幸輔と密談する。
慶応三年〔1867〕五月二十二日、板垣退助〔乾退助〕は山内容堂と謁見し、「今にして決することなければ、やがて君公も馬を薩長の陣門につなぐに至るべきか」と訴える。
慶応三年〔1867〕五月二十七日、板垣退助、病気を理由にお暇を乞い京を出る。
慶応三年〔1867〕六月二日、板垣退助、高知に着く。
慶応三年〔1867〕六月十三日、大目付で仕置役と役領知百八十石を受け、軍備用帯を命じられる。
慶応三年〔1867〕七月二十四日、板垣退助、仕置役に昇進し、役領知二百三十石を受けとなり、軍備用帯致道館取抜勤めとなる。
慶応三年〔1867〕八月二十日、板垣退助、土佐藩よりアメリカ派遣の内命を受ける。
慶応三年〔1867〕八月二十一日、板垣退助、土佐藩より軍備用帯致道館取抜勤めを解任される。
慶応三年〔1867〕九月二十九日、板垣退助は仕置役のまま歩兵大隊司令兼帯となる。
「近々京都へ差し立てられる、日限の儀は追って仰せ付けられる」という内命を受ける。
慶応三年〔1867〕十月八日、板垣退助は仕置役のまま歩兵大隊司令兼帯を解任される。
慶応三年〔1867〕十月九日、板垣退助は仕置役を解任される。
戊辰戦争直前の板垣退助〔このときは乾姓〕の動きです。
慶応三年〔1867〕五月二十一日、板垣退助、中岡慎太郎の紹介により、京の小松帯刀邸にて西郷隆盛・吉井幸輔と密談する。
慶応三年〔1867〕五月二十二日、板垣退助〔乾退助〕は山内容堂と謁見し、「今にして決することなければ、やがて君公も馬を薩長の陣門につなぐに至るべきか」と訴える。
慶応三年〔1867〕五月二十七日、板垣退助、病気を理由にお暇を乞い京を出る。
慶応三年〔1867〕六月二日、板垣退助、高知に着く。
慶応三年〔1867〕六月十三日、大目付で仕置役と役領知百八十石を受け、軍備用帯を命じられる。
慶応三年〔1867〕七月二十四日、板垣退助、仕置役に昇進し、役領知二百三十石を受けとなり、軍備用帯致道館取抜勤めとなる。
慶応三年〔1867〕八月二十日、板垣退助、土佐藩よりアメリカ派遣の内命を受ける。
慶応三年〔1867〕八月二十一日、板垣退助、土佐藩より軍備用帯致道館取抜勤めを解任される。
慶応三年〔1867〕九月二十九日、板垣退助は仕置役のまま歩兵大隊司令兼帯となる。
「近々京都へ差し立てられる、日限の儀は追って仰せ付けられる」という内命を受ける。
慶応三年〔1867〕十月八日、板垣退助は仕置役のまま歩兵大隊司令兼帯を解任される。
慶応三年〔1867〕十月九日、板垣退助は仕置役を解任される。