戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応三年〔1867〕の板垣退助の動き〔戊辰戦争の前年〕

2005年01月07日 | 板垣退助日誌
慶応三年〔1867〕の板垣退助の動き〔戊辰戦争の前年〕
戊辰戦争直前の板垣退助〔このときは乾姓〕の動きです。

慶応三年〔1867〕五月二十一日、板垣退助、中岡慎太郎の紹介により、京の小松帯刀邸にて西郷隆盛・吉井幸輔と密談する。

慶応三年〔1867〕五月二十二日、板垣退助〔乾退助〕は山内容堂と謁見し、「今にして決することなければ、やがて君公も馬を薩長の陣門につなぐに至るべきか」と訴える。

慶応三年〔1867〕五月二十七日、板垣退助、病気を理由にお暇を乞い京を出る。

慶応三年〔1867〕六月二日、板垣退助、高知に着く。

慶応三年〔1867〕六月十三日、大目付で仕置役と役領知百八十石を受け、軍備用帯を命じられる。

慶応三年〔1867〕七月二十四日、板垣退助、仕置役に昇進し、役領知二百三十石を受けとなり、軍備用帯致道館取抜勤めとなる。

慶応三年〔1867〕八月二十日、板垣退助、土佐藩よりアメリカ派遣の内命を受ける。

慶応三年〔1867〕八月二十一日、板垣退助、土佐藩より軍備用帯致道館取抜勤めを解任される。
慶応三年〔1867〕九月二十九日、板垣退助は仕置役のまま歩兵大隊司令兼帯となる。
「近々京都へ差し立てられる、日限の儀は追って仰せ付けられる」という内命を受ける。

慶応三年〔1867〕十月八日、板垣退助は仕置役のまま歩兵大隊司令兼帯を解任される。

慶応三年〔1867〕十月九日、板垣退助は仕置役を解任される。

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