慶応四年〔1868〕一月二十五日 板垣退助日誌 2005年01月25日 | 板垣退助日誌 土佐藩家老深尾鼎は細井半之助の徳川慶喜救解の依頼書を朝廷に提出する。 板垣退助の親友である大監察小笠原唯八は松山に赴き、松山藩主松平定昭は城に出て常信寺に赴き恭順の意を表する。 « 慶応四年〔1868〕一月二十四... | トップ | 慶応四年(1868)一月二十六日 ... »