戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

いのすとやす 板垣退助こぼれ話

2005年03月17日 | 板垣退助こぼれ話
板垣退助は子供のときに幼名が猪之助から「いのす」とあだ名され、板垣退助の生家から南方に二百メートルのところに
後藤象二郎こと幼名保弥太、あだ名「やす」がいた。この二人は竹馬の友であり、二人が通るとまわりは道を避けて通ったという。
いのすはやすが蛇を嫌いなた竹竿の先に蛇を挟んで投げかけたという。
これに対してやすはいのすが嫌いな糞攻めで対抗したという。
幕末、維新の土佐藩において互いに相寄り離れて重要な役割を果たす二人は少年のときのエピソードである。


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