※一休さんで有名な京都大徳寺の塔頭のひとつで、沢庵和尚も住職を務めた大仙院の尾関宗園住職と「ハイ、チーズ!」
素晴らしい教師たちとの出会い・・・。
このタイトルのブログ記事の第4弾を久々にアップすることにします。
今年のゴールデン・ウィークは、ミスター根岸こと、私のECC外語学院池袋校勤務時代からの年上の親友の根岸進先生と久々に車で京都まで行ってきました。
このアフィリエイトからもお分かりのとおり、根岸先生もとっても昔から仲よくしていただいている友人ではありますが、私が尊敬する英語教師でもあります。2人で色んなところへ旅したり、彼と酒を酌み交わすことは至福の時です。
今回、大仙院を訪れ、住職がお見送りにわざわざ外までお出まし下さった際に、ミスター根岸が「住職と写真撮って上げるよ!」ということで、この写真を撮ってくれました。私の30年来の師である尾関宗園住職が、今日の「素晴らしい教師」です。
中学の時、就学旅行で大仙院を初めて訪れた時、思えば初めて私に人生を説いてくださったのが尾関宗園住職でした。
何がという特別なことはありませんでしたが、以来、私は京都に行く度に、住職に会いに行きました。つい2~3年前まで、自分自身の名前さえ、名乗ることもなく、ただ住職に会いたくて、会いたくて、何度か、住職を尋ねて行きました。
草加青年会議所時代に、毎年、日本青年会議所の京都会議に行くようになってから、毎年、毎年、最低でも年に一度のペースで通いました。
そんなある日、たまたま青年会議所の仲間と別行動で、一人で住職に会いに行くと、住職が私に、「たまには座っていきますか?」と声を掛けて下さいました。私は住職が私の存在を知っていて下さって、まだ名前も知らない若者に声をかけて下さっていることに感激しました。
そして、その夕方、もう拝観時間を過ぎていましたが、本堂で住職と2人きりでしばし、座禅の行をさせていただきました。ただ、ただ、黙って黙想しただけの至福の時でした。
それでも、私は自分の名前すら名乗りませんでした。
いつ住職にお会いしても、住職は、その時、その時に私が求めている、数々の洞察を与えてくれました。私の精神修行の機会が、私の人生の中にあったとすれば、それは尾関宗園住職が与えてくれたものであったと痛感しています。
私をクリスチャンへと導いてくれたフェリマン夫妻が、私のゴッド・ファーザーであり、ゴッド・マザーなのですが、彼らが日本に来た時には、住職自らが、大仙院の枯山水をご案内下さり、その際に英語で、"This is man-made beauty." (これは人工的な美ですが、)but "You are natural beauty."(あなたは生まれながらの美しさです。) と私のアメリカ人の母に言われたことが今でもおかしくてたまりません。
本当に最近になって、私は自分が草加市の市議会議員であり、中学時代に住職とお会いして以来、住職の大ファンであることを申し添えて、名刺をお渡ししました。草加煎餅を今度は持って来るといいながら、それが実現せず、ようやく今回、地元の田倉屋さんの手焼き煎餅をお土産に持って行きました。
住職はとても喜んで下さいました。
私は数年前、開山400年を迎えた曹洞宗の寺の檀家でもあります。私の家の墓がそこにはあります。私がクリスチャンであることはうちの住職も知っています。しかし、禅宗の教えは、私がクリスチャンであることと不思議と衝突しません。
「すべては空。空の空。」これは旧約聖書に収められている伝道者の書の冒頭の一節です。「空」の境地こそ、禅宗が求める境地。これを般若心経では「色即是空」(しきそくぜくう)=「すべては空」と言います。
これからも私は尾関宗園和尚を心の師として、お慕いしたいと存じております。一時期、住職の喉の腫れものが心配でしたが、驚異的な回復力をもって、お元気になられました。住職の健康が守られるように、私は神様に祈っていきます。
みなさんも是非、京都にお越しの折には、大徳寺大仙院の尾関宗園(おぜき・そうえん)住職を尋ねてみられることををお勧めいたします。
「気は長く、心は丸く、腹立てず、口つつしめば、命長し。」桃林
※これが尾関宗園住職の有名なおことばのひとつです。桃林(とうりん)は尾関宗園住職の号。
なかなか耳の痛い お・こ・と・ば です。
瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
※尾関宗園和尚が住職を務める大仙院は一休禅師で有名な大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ。前田利家の妻、松の寺で有名な芳春院(ほうしゅんいん)の隣に位置しており、千利久が太閤秀吉にお茶を差し上げた茶室(国宝)や、宮本武蔵が師として仰いだ沢庵和尚が住職を務めたことでも有名。素朴な枯山水の庭には蹲(つくばい)の原型となった枯山水には珍しく水を湛えた石も存在する。今では、定期的に座禅会も開催されています。
素晴らしい教師たちとの出会い・・・。
このタイトルのブログ記事の第4弾を久々にアップすることにします。
今年のゴールデン・ウィークは、ミスター根岸こと、私のECC外語学院池袋校勤務時代からの年上の親友の根岸進先生と久々に車で京都まで行ってきました。
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このアフィリエイトからもお分かりのとおり、根岸先生もとっても昔から仲よくしていただいている友人ではありますが、私が尊敬する英語教師でもあります。2人で色んなところへ旅したり、彼と酒を酌み交わすことは至福の時です。
今回、大仙院を訪れ、住職がお見送りにわざわざ外までお出まし下さった際に、ミスター根岸が「住職と写真撮って上げるよ!」ということで、この写真を撮ってくれました。私の30年来の師である尾関宗園住職が、今日の「素晴らしい教師」です。
中学の時、就学旅行で大仙院を初めて訪れた時、思えば初めて私に人生を説いてくださったのが尾関宗園住職でした。
何がという特別なことはありませんでしたが、以来、私は京都に行く度に、住職に会いに行きました。つい2~3年前まで、自分自身の名前さえ、名乗ることもなく、ただ住職に会いたくて、会いたくて、何度か、住職を尋ねて行きました。
草加青年会議所時代に、毎年、日本青年会議所の京都会議に行くようになってから、毎年、毎年、最低でも年に一度のペースで通いました。
そんなある日、たまたま青年会議所の仲間と別行動で、一人で住職に会いに行くと、住職が私に、「たまには座っていきますか?」と声を掛けて下さいました。私は住職が私の存在を知っていて下さって、まだ名前も知らない若者に声をかけて下さっていることに感激しました。
そして、その夕方、もう拝観時間を過ぎていましたが、本堂で住職と2人きりでしばし、座禅の行をさせていただきました。ただ、ただ、黙って黙想しただけの至福の時でした。
それでも、私は自分の名前すら名乗りませんでした。
いつ住職にお会いしても、住職は、その時、その時に私が求めている、数々の洞察を与えてくれました。私の精神修行の機会が、私の人生の中にあったとすれば、それは尾関宗園住職が与えてくれたものであったと痛感しています。
私をクリスチャンへと導いてくれたフェリマン夫妻が、私のゴッド・ファーザーであり、ゴッド・マザーなのですが、彼らが日本に来た時には、住職自らが、大仙院の枯山水をご案内下さり、その際に英語で、"This is man-made beauty." (これは人工的な美ですが、)but "You are natural beauty."(あなたは生まれながらの美しさです。) と私のアメリカ人の母に言われたことが今でもおかしくてたまりません。
本当に最近になって、私は自分が草加市の市議会議員であり、中学時代に住職とお会いして以来、住職の大ファンであることを申し添えて、名刺をお渡ししました。草加煎餅を今度は持って来るといいながら、それが実現せず、ようやく今回、地元の田倉屋さんの手焼き煎餅をお土産に持って行きました。
住職はとても喜んで下さいました。
私は数年前、開山400年を迎えた曹洞宗の寺の檀家でもあります。私の家の墓がそこにはあります。私がクリスチャンであることはうちの住職も知っています。しかし、禅宗の教えは、私がクリスチャンであることと不思議と衝突しません。
「すべては空。空の空。」これは旧約聖書に収められている伝道者の書の冒頭の一節です。「空」の境地こそ、禅宗が求める境地。これを般若心経では「色即是空」(しきそくぜくう)=「すべては空」と言います。
これからも私は尾関宗園和尚を心の師として、お慕いしたいと存じております。一時期、住職の喉の腫れものが心配でしたが、驚異的な回復力をもって、お元気になられました。住職の健康が守られるように、私は神様に祈っていきます。
みなさんも是非、京都にお越しの折には、大徳寺大仙院の尾関宗園(おぜき・そうえん)住職を尋ねてみられることををお勧めいたします。
「気は長く、心は丸く、腹立てず、口つつしめば、命長し。」桃林
※これが尾関宗園住職の有名なおことばのひとつです。桃林(とうりん)は尾関宗園住職の号。
なかなか耳の痛い お・こ・と・ば です。
瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
※尾関宗園和尚が住職を務める大仙院は一休禅師で有名な大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ。前田利家の妻、松の寺で有名な芳春院(ほうしゅんいん)の隣に位置しており、千利久が太閤秀吉にお茶を差し上げた茶室(国宝)や、宮本武蔵が師として仰いだ沢庵和尚が住職を務めたことでも有名。素朴な枯山水の庭には蹲(つくばい)の原型となった枯山水には珍しく水を湛えた石も存在する。今では、定期的に座禅会も開催されています。
草加市には曹洞宗のお寺さんは少なく、父のお墓は越谷市に求めましたが・・・いや、驚いたのは曹洞宗
の事では無く、「色即是空」です。
私は、青年会議所を卒業後、般若心経を無性に知りたくなった時期があって、独学で本を読みました。
で、行き着いた言葉が「色即是空・空即是色」です。
今も、ウチの事務所のこの8文字を掲げてますよ!
いや~貴君のブログでこの文字を見るとは・・・
素敵なお話を有難うございました。