旅の疲れか、昨日は一日ごろごろしました。忘れないうちに信越国境地帯の旅のメモです。
8月19日(晴れ)
5時ごろ目覚めたので露天風呂へ入る。鳥甲山がぐうっと迫ってくる感じがする。苗場山方面に上がったはずの朝日が岩肌に映えて赤く染まっていく。
自然が織り成す荘厳な風景に感動して久しぶりに歌一首が生まれるかと思ったがだめだった。写真に収めておこうと部屋に戻り、妻にも朝風呂を勧める。
写真を撮ったあと、ぼくは「牧之夢歩道」を歩いて「天池」の探索へ。夕べ歩いてみたが標識がキャンプ場で途絶えて天池に行く道を発見できなかったのだ。キャンプ場を出て車道を少し歩くとその池はあった。半周してみた。
静寂の中に息を呑むような景観があった。池畔の白樺の幹はもちろんのことだが森の向こうにそびえる鳥甲山までが池に映し出されている。大正池にあるような枯死した木の切り株が小さな岩のようだ。天辺に盆栽のように何かの木を養っている。
さらに歩いて池を俯瞰する道の上に出てみると畑と森の向こうに朝日に輝く鳥甲山のパノラマがあった。清浄な空気の中にその全貌が鮮やかだ。
こんな景観を独り占めするのはもったいない。宿に帰ってまだ夢の中にいるカツヨシさんを起こし、妻と3人で再訪したのは言うまでもない。今度はインゲン畑で収穫をするご夫婦に出会った。道端の畑に咲いている美しい花が「夕顔」だと教えてくれた。
この里を訪ねて本当によかった。僕だけでなくほかの二人もそう思ったに違いない。
残念なことはキャンプ場に来ている人たちでさえ、天池のありかに気づかないことだ。どこにも案内図や標識が見当たらないのだ。これはどうしたことだろう。
ぼくは探索の帰りにキャンプ場の一人に情報提供しておいた。再訪の時には池畔をめぐる親子の姿があった。
中津川に沿って下って午後は新潟県の松之山へ。ぶなの若木が美しい「美人林」を散歩したあと、大厳寺高原。ここでもぶなの山道を歩く。カツヨシさんがぐいぐいと登って先行する。めずらしいことだ。昨日今日とアチコチでぶなの森を歩いたので日ごろの疲れが吹き飛びもともとの元気が恢復したのだろう。
おふくろ館、8時には夢の中。
8月20日(木)晴れ
夕べカツヨシさんがめがねを壊したというので十日町に行く。30余年前はじめてこの地方を訪ねたとき、バスの中で抱いていた娘がおしっこをして僕のズボンが濡れてしまった。終点の十日町駅前で妻がトレパンを買ってきてくれた。思い出の地だ。
めがねの修繕が済むまでの間に十日町市立博物館へ。付近の笹山遺跡から出土した火焔型縄文土器が展示されている。大きくて立派な土器が壊れることもなく当時のままの姿をみせている。それ自体が不思議だと妻が言う。発見されて国宝に指定され10年になるという。
縄文時代の人々の生活をわかりやすく展示したコーナーがいくつかある。竪穴式住居で団欒する家族の展示があった。一家が笑顔で迎えてくれたような気がしたので思わず「こんにちは。お邪魔します」と挨拶した。
この博物館の名誉館長は梅原猛さんだという。僕が人生の後半でいろいろと教えてもらうことが多かった哲学者だ。哲学嫌いの僕にもわかりやすく話してくれる人だ。そのせいか、ここにくると縄文の時代の人々の生活と心がよくわかる。食べ物ひとつとってもたくさんの木の実の実物がそれぞれざるに山盛りされている。こんなものをどうやって食べていたのか、誰もが調べたくなるだろう。十日町のこどもたちは幸せだと思う。
9月5日には「縄文の心を未来の里山へつなぐ」と題したコンサートや講演会がある。縄文文化が博物館に眠っているのではなく生きて未来を照らし出す。そんなところがここにはあって哲学発信の拠点になっているのかと感心する。
八海山が見えるかと魚沼スカイラインを塩沢に向かう。快適な尾根の上を走る道だがあいにく今日は遠景が効かない。
塩沢で昼食の後17号でゆっくりと帰途に着く。猿ヶ京の赤谷湖のダムサイト公園で一眠りしたあと、渋川から関越に載る。
8月19日(晴れ)
5時ごろ目覚めたので露天風呂へ入る。鳥甲山がぐうっと迫ってくる感じがする。苗場山方面に上がったはずの朝日が岩肌に映えて赤く染まっていく。
自然が織り成す荘厳な風景に感動して久しぶりに歌一首が生まれるかと思ったがだめだった。写真に収めておこうと部屋に戻り、妻にも朝風呂を勧める。
写真を撮ったあと、ぼくは「牧之夢歩道」を歩いて「天池」の探索へ。夕べ歩いてみたが標識がキャンプ場で途絶えて天池に行く道を発見できなかったのだ。キャンプ場を出て車道を少し歩くとその池はあった。半周してみた。
静寂の中に息を呑むような景観があった。池畔の白樺の幹はもちろんのことだが森の向こうにそびえる鳥甲山までが池に映し出されている。大正池にあるような枯死した木の切り株が小さな岩のようだ。天辺に盆栽のように何かの木を養っている。
さらに歩いて池を俯瞰する道の上に出てみると畑と森の向こうに朝日に輝く鳥甲山のパノラマがあった。清浄な空気の中にその全貌が鮮やかだ。
こんな景観を独り占めするのはもったいない。宿に帰ってまだ夢の中にいるカツヨシさんを起こし、妻と3人で再訪したのは言うまでもない。今度はインゲン畑で収穫をするご夫婦に出会った。道端の畑に咲いている美しい花が「夕顔」だと教えてくれた。
この里を訪ねて本当によかった。僕だけでなくほかの二人もそう思ったに違いない。
残念なことはキャンプ場に来ている人たちでさえ、天池のありかに気づかないことだ。どこにも案内図や標識が見当たらないのだ。これはどうしたことだろう。
ぼくは探索の帰りにキャンプ場の一人に情報提供しておいた。再訪の時には池畔をめぐる親子の姿があった。
中津川に沿って下って午後は新潟県の松之山へ。ぶなの若木が美しい「美人林」を散歩したあと、大厳寺高原。ここでもぶなの山道を歩く。カツヨシさんがぐいぐいと登って先行する。めずらしいことだ。昨日今日とアチコチでぶなの森を歩いたので日ごろの疲れが吹き飛びもともとの元気が恢復したのだろう。
おふくろ館、8時には夢の中。
8月20日(木)晴れ
夕べカツヨシさんがめがねを壊したというので十日町に行く。30余年前はじめてこの地方を訪ねたとき、バスの中で抱いていた娘がおしっこをして僕のズボンが濡れてしまった。終点の十日町駅前で妻がトレパンを買ってきてくれた。思い出の地だ。
めがねの修繕が済むまでの間に十日町市立博物館へ。付近の笹山遺跡から出土した火焔型縄文土器が展示されている。大きくて立派な土器が壊れることもなく当時のままの姿をみせている。それ自体が不思議だと妻が言う。発見されて国宝に指定され10年になるという。
縄文時代の人々の生活をわかりやすく展示したコーナーがいくつかある。竪穴式住居で団欒する家族の展示があった。一家が笑顔で迎えてくれたような気がしたので思わず「こんにちは。お邪魔します」と挨拶した。
この博物館の名誉館長は梅原猛さんだという。僕が人生の後半でいろいろと教えてもらうことが多かった哲学者だ。哲学嫌いの僕にもわかりやすく話してくれる人だ。そのせいか、ここにくると縄文の時代の人々の生活と心がよくわかる。食べ物ひとつとってもたくさんの木の実の実物がそれぞれざるに山盛りされている。こんなものをどうやって食べていたのか、誰もが調べたくなるだろう。十日町のこどもたちは幸せだと思う。
9月5日には「縄文の心を未来の里山へつなぐ」と題したコンサートや講演会がある。縄文文化が博物館に眠っているのではなく生きて未来を照らし出す。そんなところがここにはあって哲学発信の拠点になっているのかと感心する。
八海山が見えるかと魚沼スカイラインを塩沢に向かう。快適な尾根の上を走る道だがあいにく今日は遠景が効かない。
塩沢で昼食の後17号でゆっくりと帰途に着く。猿ヶ京の赤谷湖のダムサイト公園で一眠りしたあと、渋川から関越に載る。