川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

ハーヴィー・ミルク

2009-08-16 06:52:02 | 政治・社会
 8月15日(土)晴れ
 
 妻と娘に薦められて映画『MILK』を観る。ゆっくり朝寝をして眠くならないようにして「スカラ座」に行く。10時半開始。観客は妻を含め数人。

 ミルクと聞いてもそれが人の名であることも知らなかった。先日、おすぎさんの講演会に出た妻と娘から映画のビラをもらって初めて知った。
 1970年代に同性愛者であることを公表して初めてサンフランシスコの市会議員となり、同性愛者を教職から排除する条例の制定を阻止する運動などのリーダーになったが暗殺されたという。。

 僕は「性」のことを話題にするには苦手である。しかし、教員であり若い人たちと生きてきたから避けられない課題である。「倫理」の授業でも何時間か「性ー生」について考えた。性同一性障害に悩む生徒にも出会った。こんなときにもイロハから娘に教えてもらった。
 こんなことがあったから映画館に足が向いたのである。

 驚くことばかりである。ミルクを中心とするサンフランシスコのゲイのコミュニティーに集まる人々のエネルギー。公然と同性愛者を攻撃し、差別する人々の運動。これがアメリカなのか。

 wikipedia の記事である。(抜粋)

 彼は1977年の3度目の立候補で市議に選ばれた。ミルクはゲイであることを公表した人として初めて合衆国の大都市の公職に選ばれた。また全米公職者としてはキャシー・コザチェンコとイレイン・ノーブルに続いて三番目だった。ミルクはカストロを含む第5区の代表だった。

 彼は11ヶ月の在職期間中に、犬の糞の放置に罰金を科した有名な条例や、市の同性愛者権利法案を後援した。また、ブリッグス州上院議員の支援で制定を目指していた、教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする「条例6」の破棄に尽力した。条例6は1978年11月にカリフォルニアの住人によって完全に否決された。

 1978年11月27日に市庁舎でジョージ・マスコーニ市長とともに射殺された。

 家族からさえ差別され、生きる希望をたたれるこどもたちの姿もあった。ミルクはこれらの人々の希望の灯火であった。やがて同性愛者だけでなく差別を受けるマイノリティーの支持を得て「変革」と「希望」を託された政治家になろうとしていた。その人が殺されたのだ。

 彼を追悼するサンフランシスコ市民の果てることのないろうそくの灯の行進がこの国の希望のありかを示している。
 30年後、オバマさんがアメリカの大統領になった。ミルクとともに闘った人々はいまもその志をついで活躍中だと映画の最後に紹介されていた。アメリカは着実に変わりつつあるのだろう、か? そう信じたい。

 夜は遅くまでNHKの「核」をめぐる討論番組を見た。こういう企画はいい。NHKはゴルフや大リーグの放送はやめて、市民の広場であればいいのだ。カネもかからないだろう。