糸魚川2日目の今朝は雨だ。
とりあえず、昨夜は部屋でシャワー浴びただけなので
お風呂へ行こ。
女性はフロントで女湯のカギを借りてはいる。
みんな朝ごはんの時間だからか、貸し切りだ。
脱衣所にコインランドリーがあるんだ。
あれば助かるよね。
二日酔いだけど、朝食サービス
と聞くと行ってしまう。
フロントでタクシーをお願いした。
10時によんだタクシーが9:51到着。
いざ、出発。
お世話になりました、ホテルルートイン糸魚川。
見頃は過ぎた桜を眺める。
でも東京よりはまだ楽しめる咲きっぷり。
長者ヶ原考古館
ここでは縄文式土器やヒスイ文化を展示している。
フォッサマグナとの共通券一般ひとり800円なり。
ここが産地の蛇紋岩(じゃもんがん)、ヒスイが全国各地の遺跡からででる。
いまこところ24件の住居が発見されているが
300軒ほどあったかも?といわれている。
小さい土器
こんなコップ型の土器なんて、今までみたかなぁ?あってもおかしくないのに。
実際に手で持てるレプリカを置いてほすぃな。
縄文時代中期 火焔型土器
キター!
新潟の縄文土器といえばコレですね。
やっぱり目立ちます。
長者ヶ原遺跡の土偶
これまたオリジナリティがある
石棒と土偶
男性と女性の象徴を並べて展示してあるんだ。
磨製石斧を作るようす
磨製石斧を作るようす
これよくできてるねぇ、と夫婦で感心しあう。
みんなで作業しているところを想像してみる。
長者ヶ原では蛇紋岩など割れにくく、磨くと光沢の出る石を材料に石斧をつくっていたようだ。
硬いヒスイのハンマーを使って石を割ったり
歯を敲き漬し、砂岩の砥石で削って形を整える。
「長者ヶ原の石斧」ブランドとして、各地に供給されたようだから、この集落は潤っていたのだろう。
住居跡周辺には砥石置かれ、石の屑があったという。
大きく掘られた穴に研ぐための水を貯めたのでは?という説明があった。
ブランド石斧を産み出す立派な工房だったというわけだ。
アスベストは大丈夫だったのかしら?ヒスイ製大珠の制作工程と加工具(縄文時代中期)
これを着て写真撮ってねー的な
縄文時代早.前期の玉
耳飾りの穿孔具 石錐
縄文時代早.前期の玉
石を磨いてかたちを整えて
穴をあけて紐を通してネックレスにしたり
耳飾りや指輪にしたり…
縄文時代の人々がその日の食料をとりに行くことで必死だったイメージは微塵もない。
指輪もある。
国内のヒスイ産地は他にもあるらしいが、
ヒスイを加工していたことが確認されたのは糸魚川だけ(*_*)
前回訪れた福岡県の山鹿貝塚でも
おおきいヒスイが人骨とともに出土されたんだ。 ご縁を感じるよ。
ヒスイの大珠(たいしゅ)
諏訪星ヶ台産の黒曜石
諏訪というから長野県か。
諏訪星ヶ台の黒曜石がたくさん見つかっているようだ。
このころ交流が盛んな友好提携都市だったんだろう。
ヒスイを加工していたことが確認されたのは糸魚川だけ(*_*)
前回訪れた福岡県の山鹿貝塚でも
おおきいヒスイが人骨とともに出土されたんだ。 ご縁を感じるよ。
ヒスイの大珠(たいしゅ)
諏訪星ヶ台産の黒曜石
諏訪というから長野県か。
諏訪星ヶ台の黒曜石がたくさん見つかっているようだ。
このころ交流が盛んな友好提携都市だったんだろう。
信濃(長野県?)や関東の土器もみつかっている。
土器だけに何をいれて運んできたのだろうか。
先日お客さんに聞いた話を思い出す。
外国で、タイだったかな、現地で横浜ビブレ(ファッションビル)の紙袋をさげて歩いていた女性に声をかけたら、やっぱり日本人だった、と。
先日お客さんに聞いた話を思い出す。
外国で、タイだったかな、現地で横浜ビブレ(ファッションビル)の紙袋をさげて歩いていた女性に声をかけたら、やっぱり日本人だった、と。
ビブレの名前やロゴのように、
文字こそないが、
あ、その文様はどこどこの土器だね!
遠かったでしょう?掘り出し物のヒスイネックレスが出来上がってるよー、おたくのお偉いさんにひとつどう?
なんて、会話もあったかもしれない。
つづく