5日目 5月7日
最終日
11:50の飛行機に乗るので、あまり時間に余裕はないが、
念願の宇宿貝塚へ。
宇宿貝塚史跡公園
遺構展示公開施設へ。
スタッフの男性が一緒にまわって説明をしてくれた。
ここに限らないが
今回の奄美大島、とにかく人がいない。
5人の我がファミリーがロケ隊かのごとく、見渡す限り誰もいない場所ばかり。
ダイビングをしたビーチも
こういう施設も(マニアックだから?)。
あれ、いまってゴールデンウィークよね?
と不思議になる。
ガイドブックに大きく載っているようなところはさすがに人がいたけど、混雑とは到底言えない程度。
みなさん、穴場ですよ!
宇宿貝塚の話にもどります。
スタッフのお兄さんの話は大変興味深く、
展示されている当時のファミリーの暮らしのイラストのところでは
これ違うんですよねー
アマミノクロウサギを(お父さん?が)持っているけど、
ここでは食べたらしき骨は残っていないんだ。
となりの喜界島ではたくさん骨が出てきているから
捕って食べてたと思うんだけど。
なんて、ダメだしの補足説明をしてくれる。
この場所から発見された若い女性と赤ちゃんの骨。
女性の足の間に赤ちゃんは位置し、
出産時に亡くなったのでは、ということだ。
女性は肉体労働をしたような体ではないということで
身分が高かったのでは、と考えられている。
この位置だとへその緒がついていたのかしら?
とつぶやくと
ははぁ
とスタッフのお兄さんが素直に感心してくれる。
別のこどもの遺骨からはガラス玉が
口の中から見つかっている。
亡くなった方の口の中にガラス玉をいれる風習は中国にあったらしいが
その風習が途絶えて、だいぶあとの時代と考えられているらしいので
なぜ奄美大島で見つかったのか?
その風習を伝える人が上陸していたのか?
これもミステリーである。
竪穴住居跡もそのまま展示してあるが、
家族で暮らすには狭い。
外国(どこと言ったか忘れた)では、
今も昔の人のような暮らしをしている民族は
建てた家で寝泊まりしない例がある
とお兄さんが教えてくれた。
東京・多摩の東京都埋蔵文化財センターで体験した
焚火をしている竪穴住居は煙くて目が痛くて
1分と中に居られなかったことを思い出す。
現在考えられている
竪穴住居のつくり、もしくは使い方は
今後、コペルニクス的転回が起きるかもしれないよ。
まだまだ未知のことが多く
シロートの考えも、もしかすると当たらずとも遠からず
という可能性もあるのが考古学のひとつの魅力だと思っている。
解明されていないことを想像するのは楽しい。
ここで風葬という文化も知った。
亡くなった人を焼くのは仏教文化、
奄美では昔
故人を外に放置し
骨になったら骨を洗ってはじめて納骨する、
という順番らしい。
動物が食べに来ることもあるだろうから
残酷にも思えるが
何年越しの作業だから、
やはり故人を大切にしていたのだなぁ。
スタッフのお兄さんは大学生の長女と
高校生の長男に
ぜひ将来、研究者になりませんか?
奄美は大学もないし
まだまだ研究が進まないのです!
熱く勧誘していた。
その間、次女はというと
微小貝を物色していた。
ほんとにほんとに小さいのに
ベビーの貝というわけではないのです。
お土産としてもらってしまった。
飛行機の時間をお兄さんに伝えると
急に説明は倍速になる。
もっと居たかった。
来てよかった。
ありがとう奄美大島!