泡盛なかゆくい

第一期・泡盛マイスターがお届けする、沖縄やアルコールに関する日々雑感。

泡盛の技術はどこからやってきたか

2005年11月13日 | 泡盛
泡盛は、日本最古の蒸留酒で、焼酎のルーツと言われています。蒸留技術だけで言えば紀元前3000年まで遡り、メソポタミア文明で誕生したと言われています。とはいえ、メソポタミア文明では蒸留酒が作られていたわけではなく、より濃縮された香料を得るための技術だったようです。実際に蒸留技術でお酒が作られるようになったのは、中世になってからのことです。

さて、その蒸留酒は、どんなルートで日本に伝来したのか。

これには諸説あり、どれが正しいのかは未だ定かではありません。いくつかの本を読んで知る限りでは、室町時代に琉球はシャム(タイ)との交流が始まり、果実酒原料の蒸留酒が入ってきたのがきっかけで泡盛の製造が始まったらしく、そこから薩摩に伝わり、九州を北上して行ったと言われています。

● シャム(タイ)→ 琉球 → 薩摩

有力な説として、東恩納寛惇が「泡盛雑考」の中で唱えている「泡盛のルーツは、タイのラオ・ロンである」というものがあります。泡盛づくりが琉球で始まった頃が、タイと相当交流していた時代と一致しますし、タイやベトナムの南蛮甕の陶器で泡盛を寝かせたりしていたということを考えると、非常に有力な説と考えるのも自然ではないかと。このラオ・ロンが製造法と共に琉球に伝わり、独自に泡盛が作られたというこの説は、多くの泡盛の書籍が普通に支持していますし、泡盛マイスター協会のテキストもこれを支持しているようにも伺えます。

もうひとつの説が「泡盛のルーツは、中国の白酒である」というもの。中国雲南省のタイ族の蒸留器が、八重山方面で今でも行われている地釜式で蒸留するやり方が同じスタイルだったというのが、その理由のひとつ。

● 中国福建省→ 琉球 → 薩摩

実は私の中では、この「中国ルート説」に最もリアリティがあると思っています。お酒を飲むという行為に切っても切れないのが食事です。琉球の食文化は、中国の影響を大きく受けているにも関わらず、お酒だけタイから……というのは、どうにも考えにくい。タイからお酒の文化を受け継いだのなら、タイのスパイシーな食文化も一緒に受け入れてないとおかしいとは思いませんか? 

と、こんな風に、遠い遠い昔の出来事に考えを馳せながら、ひたひたと泡盛をロックで傾けるのもオツなものです。
そんな今夜の泡盛は、多良川酒造の「琉球王朝古酒」でした。
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