泡盛なかゆくい

第一期・泡盛マイスターがお届けする、沖縄やアルコールに関する日々雑感。

仲村征幸の泡盛よもやま話

2010年01月10日 | 泡盛
昨年12月に那覇を訪れたときの話の続きです。

2年ぶりの沖縄本島への訪問ということは、つまり「古酒BAR&琉球DINING カラカラとちぶぐゎー」を訪れるのも2年ぶり。同時に店主の長嶺夫妻にお会いするのも2年ぶりと思えば、ずいぶん不義理してるなぁと反省しつつも、到着した日の19時に顔を出すもご本人はお店には居らず。なんでも原稿〆切に追われていたらしく、お店に顔を出す時間は21時過ぎになるとのことでしたので、それならばと腰を据えて飲むことにしました。何せこっちは旅行者で、帰りの電車も気にしなくてよければ、宿泊先は目と鼻の先です。仕事も終わってるし~と思いたかったのですが、実はその日、会社では緊急事態が発生していまして、オフィスに残された女性社員が私の代わりとして奮闘してくれていたのでiPhoneで指示を飛ばしたり、作業の進捗を追いかけながらも、久しぶりの「カラカラとちぶぐわー」を堪能することができたのでした。

何を飲んだりしていたかというのは、この次のエントリーで書くとしまして、今日は別の話を。

医者からも注意を受けたことがあるので身体にはあまりよくないと思うのですが、何かに集中しはじめるとトイレに行くことも忘れてしまう性分な私なのですが、やはり飲み始めるとよほどの状況でない限り、トイレに席を立つということがないわけです。飲み会が始まったら、家に辿り着くまでトイレに行かないことも珍しくありません。しかし、この日は何故か、飲み始めて早い時間にトイレに入ったわけですが、そこで用を足しながら貼ってあったポスターに目が吸い寄せられました。そこには「仲村征幸の泡盛よもやま話」限定発売中との告知が!! トイレを出るなり「まだ在庫ありますか?」と聞いたのは言うまでもありません。いやはやトイレに行くことは、とても重要な行為ですね。

「泡盛よもやま話」とは、月刊誌「うるま」に連載されていた泡盛コーナー。沖縄病を発症している方なら、一度は目にしたことがあると思います。連載回数は100回を超えていたので、まさに「お化けコーナー」と言いますか。残念なことに「うるま」は休刊してしまったので、連載も終わってしまったのですが、私も数年ほど定期購読していましたから「泡盛よみやま話」はしっかりチェックしていたコーナーでした。執筆されていた仲村征幸さんは「醸界飲料新聞」編集発行人として、泡盛好きなら知らない人はいないという有名人です。仲村征幸さんには、私が泡盛マイスターになった日に一度だけお目にかかったことがあります。今ごろはおいくつになられたのでしょうか。

これまで部分的に読んできた「泡盛よみやま話」ですが、1冊の本にまとまったものを読み返すと、戦前・戦後の泡盛がいかなる存在だったのかを知ることができる泡盛史とも言える内容です。主に戦後の話が中心ですが、沖縄がまだ米軍統治下であった頃の泡盛の存在が生々しい言葉で綴られているのが、まったくその時代の泡盛を知らない私にとっては実に新鮮であり、そこから想像を働かすだけで非常に勉強になります。泡盛の発展に寄与した酒造所の先達との会話や出来事は、優しさのあふれる文章を通じてリアルに伝わってきます。泡盛マイスターで(もしくは、今マイスターを目指している人も)、まだこの本を読んでいない人がいたら、必携の一冊と言ってもいいかもしれません。

定価は1,500円。普通に本屋さんで売っていないみたいなので、欲しいと思った人はどこで買えるのかな。「カラカラとちぶぐわー」に少量残っていたのは知っていますが、それ以外の在庫は発行元の「醸界飲料新聞」に確認してみるしかないかもしれません。東京での販売分として何冊かまとめて買ってくればよかったなぁ。

ちなみに「醸界飲料新聞」は昨年で創刊40周年だったそうです。1969年創刊と言うことは、私が「オギャー!」と生まれた頃に創刊されたことになります。創刊40周年記念号では、当ブログでも取り上げたことのある「サントリー角ハイボール」の攻勢について取材をされていて、沖縄県内で泡盛の販売が伸びやんでいる様子を憂いている記事が、一面から二面に続いて大きく取り上げられていました。

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