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泡盛なかゆくい

第一期・泡盛マイスターがお届けする、沖縄やアルコールに関する日々雑感。

二十年めの萬座

2010年10月10日 | 泡盛
いよいよ我が家の甕で寝かされている泡盛「萬座」は、二十歳になりました。

朝食を終えてから風呂に入って身体を清潔にしてから、いそいそと甕を持ち出して一年ぶりに蓋を開けてみました。
蓋部分の密閉は昨年もうまくできていたようです。やや下がった液面を確認しながら、変わらず芳ばしい「萬座」の香りが立ち上ります。さっそくテイスティンググラスに抜いてみたところ、昨年よりも粘度が増した様子。香りは決して強くないのですが、ちょっと放置してみると、甘いバニラとココア系の香りが強く感じられるようになりました。まずは香りから、最初の20年目の変化を楽しみます。

驚いたのは口に含んだ瞬間でした。衝撃的な甘みがねっとりと舌に絡み付きます。泡盛ってこんなに甘かったっけ?と自分の味覚を一瞬疑うほどの甘み。黒糖とも花蜜とも違う、ウイスキーにもない優しい甘さです。ゆるゆると喉を伝って降りていく「萬座」は、飲みくちにアルコールをほとんど感じることはありません。後からかすかに舌にアルコールがもたらす収れんを感じる程度です。口腔がぽかぽかと温まる感じを楽しみながら「この感動をしばらく楽しめるように」と、例年よりも少し多めに甕から抜くことにしました。

せっかくの20年目を大胆に(といっても、200ml程度ですが)甕から抜いたのには訳があります。

例年悩み続けたこの甕の「仕次ぎ」問題。
今年、20年目にとうとう「仕次ぎ」を行うことにしました。

甕の形状は上の方が口に向かって窄まっているわけですが、上の方まで液体が満たされていれば上下の対流が期待できると言います。区切りのよい20年目で甕の上部に残された空間を、仕次ぎで埋めることができればと考えていました。住職さんのブログ「泡盛周辺学」でも解説されていますが、定期的な仕次ぎはバニリン量増加という効果があると言いますし、次の10年を意識して仕次ぎを決意した次第です。

仕次ぎに用意したのは、萬座43度。カーミヤさんが扱っている○平(まるへい)ラベルの古酒造り用の萬座です。
今日からまた10年仕次ぎなしで泡盛を維持することを考えると、同じ萬座でも枯れた感じのものより、若く力のあるものをと思っていたわけですが、「道の駅おんな」で萬座の品揃えがよかったカーミヤさんであれこれ相談したときに勧められたことで決めました。
20年目の萬座を抜いたあとに、仕次ぎの萬座を注ぎ足し、厳重に封をしたあと私の甕は再び眠りにつきました。

このブログもゆったりと続いて6年目に突入していますが、今日から再び30年目の萬座を目指して、また毎年10月にテイスティングしていきたいと思います。

2009年10月12日のエントリー「十九年めの萬座」
2008年10月12日のエントリー「十八年めの萬座」
2007年10月8日のエントリー「十七年めの萬座」
2006年10月8日のエントリー「十六年めの萬座」
2005年10月8日のエントリー「十五年めの萬座」
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今帰仁酒造 美しき古里 淡麗

2010年08月01日 | 泡盛
7月は久しぶりの海外出張で一週間ほどワシントンD.C.に出かけてきたのですが、帰国すると同時に梅雨明けで、いきなりの猛暑。身体もへたるわけで、水分補給とばかりに液体をとにかくがぶ飲みしたくなる気候が続いています。ワシントンD.C.も暑かったのですが湿度がそれなりに控えめで、「もわっ」と身体を包み込むような暑い湿気は日本特有だなと、あらためて痛感していました。とても仕事ができる気候じゃないぜ、と思いつつ、なかなか戻らない時差ぼけと疲れとで、ずっと低調なまま7月が終わってしまいました。

先週、会社の仲間と埼玉県川口市にある店で飲もうと待ち合わせをしていました。仲間が出遅れたこともあって、川口駅前でひとり小一時間の時間つぶしをとキョロキョロしたところ、目の前にある「そごうデパート」で沖縄物産展の垂れ幕が!

さっそく催事フロアにあがってみると、こじんまりとした沖縄物産展が。いわゆる「食べるラー油」の各社商品が何種類も置かれていて、これが最新の沖縄流行りもの事情なのかとガッカリしました。この催事を企画した人は、こんなにも「ラー油」だらけの沖縄物産展にしたかったのでしょうか? 泡盛は1社だけ。今帰仁酒造さんだけが出展していらっしゃいました。

今帰仁酒造さんと話をしていて「ごくごくイケる泡盛ないですかね」なんて、その瞬間の自分が欲している状況を語ってしまったら、『美しき古里 淡麗』を勧めてくださいました。『美しき古里 淡麗』は、今帰仁酒造唯一の減圧蒸留の商品とのことで、試飲すると予想よりも華やかで米の甘みをしっかり残しつつも、余韻控えめのサッパリした泡盛でした。まさに大きめのグラスにクラッシュドアイスを詰めて、なみなみと『美しき古里 淡麗』を注いで、エアコンの効いた部屋でがぶ飲みするのにちょうどいい!なんて想像を膨らませました。「今から飲み会なんだよな。ここで買っちゃうと荷物になるな」と思いつつも、720mlで1,000円、一升瓶1,800mlで2,000円だったので、お得な一升瓶を買ってしまいました。

週末の金曜日、汗だくで会社から帰宅するやいなや、ジョッキに氷を詰めこんで満タンに『美しき古里 淡麗』を注ぎます。想像どおり、夏の夜にガッツリと飲むのに実に最適な泡盛です。しかし、30度の泡盛をジョッキ量でがぶ飲みするのは、やはり無理がありました。一週間分の疲れと寝不足感がピークの日でしたので、あっという間に記憶があいまいになって轟沈です。さすがに翌日に残ったりはしませんでしたが、がぶ飲みする度数じゃないな、と久しぶりに反省モードです。

今度は前割り度数を抑えつつ、冷蔵庫で一晩寝かせてから、がぶ飲みを試してみようと思っています。
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蛇口付き五升甕、その後

2010年06月06日 | 泡盛
もう一年ほど前のエントリーに遡りますが「波のうえ」閉店時に店主からいただいた蛇口付き五升甕に、とうとう泡盛を注ぎました。

普段飲みの銘柄で何を入れようと、悩むこと10ヶ月。この甕に実験的な銘柄を入れるのではなく、やはりいつも好んで飲んでいる泡盛を入れるのが正しいだろうと、米島酒造の古酒「美ら蛍」を甕に入れることにしました。五升甕なので一升瓶が5本ほど入るのでしょうが、以前のエントリーにも書いたとおり、沖縄料理屋の棚で油まみれになっていた甕だったという状況を踏まえて、あらためてキレイに洗い直してから、おそるおそる3升ほど入れてみました。

甕の外側は擦って洗えますが、内面は軽くすすぐ程度しかしていません。もともとは「瑞泉8年」が詰められていたわけですが、すすいだあとでも顔を近づけると、中から泡盛のいい香りがほんのり感じられます。まあ、これぐらい薄い香りなら大丈夫でしょう、と「美ら蛍」をひとまず1本入れてみます。甕が大きいせいか、1升瓶をまるごと入れても蛇口の少し上までしか液面があがりません。ここでコックを何回か動かして、パッキンに漏れがないかを確かめてみました。少量をグラスに取ってみたら、ごく小さな得体の知れない浮遊物が交じっています。どうみても高級脂肪酸ではなさそうなので、撹拌してからたっぷりグラス一杯分出してみました。今度は浮遊物が見当たらないのを確認して、残り2升分を注ぎ足して、ひとまず「波のうえ」からいただいた甕の復活となりました。

ついでに、リビングで手軽に取り出せる位置に甕を置こうと、12年もののFAX付き電話器を処分しました。コードレスで通話内容がだだ漏れだったのも昔の機種ならではですが、今やFAXを使う機会が皆無なのと、使うとしてもいまどきロール感熱紙で印刷するのもどうかと思い、小さなコードレスフォンに買い替えてしまいました。古くなったFAX付き電話器は、近所のHARD-OFFに持ち込んだら100円で引き取ってくださいました。

リビングに置かれた五升甕は、妙に存在感があります。
ただ蛇口をひねるだけなんですけれど、甕から泡盛を注ぐという行為は、ちょっと儀式めいて雰囲気がいいものです。
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忠孝の南蛮荒焼甕

2010年05月02日 | 泡盛
久しぶりに昔の沖縄旅行のデジカメ写真を眺めていたら、2007年12月に沖縄本島を訪れたときの写真たちに遭遇しました。勤めていた会社を退職することになって、有給休暇の消化で2週間ほど沖縄に滞在したときの写真たちです。このときは泡盛周辺学の住職さんと、カラカラとちぶぐわ~の長嶺哲成さんが、私をあちこちの酒造所見学に連れていってくださって、泡盛マイスターとして非常に有意義な旅をすることができたのでした。

この写真は忠孝酒造を訪れたときのもの。ご存じの方も多いと思うのですが、忠孝酒造さんは泡盛だけではなく、甕も自前で製造しているという希有な酒造所です。当時のメモには、酒造所のある豊見城の土を使っている、と書き残されていました。収縮性が高い土で、焼く前後で大きさがかなり違ってしまう、という解説を聞きながら、シャッターを押した1枚です。左が成形したもの、右が焼いたものです。まるで五升甕と三升甕の差ぐらいありそうな感じですが、焼きの時点でどれほど縮むのか、というのが非常によくわかる写真です。しっかりと収縮することで、長期保存が可能な漏れない甕が焼き上がるというわけです。

忠孝酒造の甕は、ガス窯で焼かれていました。焼物の窯は、登り窯みたいな壮大なものもあれば、電気窯みたいな個人宅でも扱えるものまであります。見学時のメモによると、泡盛の甕の場合、かなりの高温で焼き締める必要があり、強いては温度の微妙なコントロールが肝要であるため、忠孝酒造ではガス窯を採用している、と書いてありました。

忠孝酒造の南蛮荒焼甕は見た目にも非常に美しく、五升甕などをお店で見かける度に「欲しいなぁ」と羨望の眼差しを向けてしまいます。43度の5年古酒が詰まって、銀座のわしたショップなどで6~7万円で売られているのを見かけます。手に入れるのは、夢のまた夢ですね。

実は、忠孝の一升甕は3つ前に辞めた会社で送別の品でいただいて、そのまま寝かせています。考えてみれば、いただいた当時(2005年)で5年古酒だったので、2010年の今年、とうとう10年古酒になってしまいました。こいつは、まだまだ寝かせておきましょう。


さて、ちょっとした近況になりますが、この写真を撮ったときに辞めた会社に今年の4月1日から帰任いたしました。いわゆる「出戻り」というヤツです。一度は辞めた私を、再び温かく迎えてくれた仲間たちへの感謝はもちろんですが、まさかの不思議な巡り合わせをもたらしてくれる「縁」にも感謝しています。どの会社で働くかではなく、誰と一緒に働くか。その大切さを気づかせてくれた仲間たちに、仕事で恩返ししていきたいと思いながら毎日を過ごしています。
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ダンボール(暖流ハイボール)

2010年03月31日 | 泡盛
ウイスキーのソーダ割り、つまり「ハイボール」がブームになったおかげで、今やお酒のソーダ割りなら、みんな「○○ハイボール」と呼ばれるようになりました。

もともと「ハイボール」の語源は、ウィキペディアによると以下の4つが紹介されています。
1. 開拓時代のアメリカにおいて、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で水の補給のための停車の際、棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことから。
2. 同じくアメリカの鉄道で、ボール信号というのが一般的に使用されていた。ボールがあがっていれば進行(go)、あがっていなければ停止(don't go)である。駅員が隣の駅のボール信号を望遠鏡で見ながらウイスキーをちびちびやっているときにボールが上がったら(ボールがハイになったら)列車がくるというのでソーダ水を入れて一気に飲み干して駅に行ったというのが語源という説。
3. イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、急に自分の打つ順が来たことを知らされ、慌ててそばにあったチェーサーにウイスキーをあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが飛んできたから。
4. 炭酸の泡(玉)が上に揚がっていく様から。
1または2で言及されている「ボール信号」が語源になっているとバーテンダー発祥地(アメリカ)のバーテンダー養成学校では教えている。

2の説などを想像するに、今のようにダイヤどおりにきっちり電車が来る時代じゃないでしょうから、不意にやってきた列車にあわてて喉を潤す列車待ちの様子が目に浮かびます。

さて、泡盛ハイボールですが、瑞泉酒造さんが「ハイサイボール」と名付けて居酒屋などでアピールされているようです。「瑞泉」をベースにしないとハイサイボールを名乗れないのかもしれないですが、なかなかいいネーミングです。一方、神村酒造さんでは「暖流」をベースにしたハイボールを「ダンボール(暖ボール)」と呼ぶそうです。こちらもかなりいいネーミングです。

「暖流」は、バーボン(JIM BEAM)樽で貯蔵した古酒と一般酒のブレンドですので、泡盛の中でもウイスキーのような香りが楽しめます。ハイボールにしたときの味わいは、泡盛の中でもよりウイスキーハイボールに近いのではないでしょうか。

ちなみに先日行ったタイ料理店で、「ドラゴンハイボール」と「ブラックハイボール」を飲む機会がありました。解説がなかったので、面白がって適当にオーダーしてみたわけですが、なんと「ドラゴンハイボール」は、紹興酒のソーダ割り、「ブラックハイボール」はジャックダニエルのコーラ割りでした。紹興酒をソーダ割りにして飲んだのは、生まれて初めてでしたが、紹興酒はやはり普通に飲むのが旨いなぁというのが私の感想です。

ハイボールブームもここまでくると、夏に向けてもっといろんなハイボールが登場しそうな予感です。
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萌える泡盛 琉Q銘酒 あわもえ

2010年02月28日 | 泡盛
泡盛なかゆくい2008年10月05日のエントリー「今どき注文が殺到する商品」では米袋を萌えイラストにした「あきたこまち」を紹介し、泡盛業界もぜひ参考にと書いたことがあります。そして今年2月、当ブログはまったく無関係ですが、「萌える泡盛 琉Q銘酒 あわもえ」が請福酒造から発売になりました。ちょうど友人が那覇に滞在しているタイミングで知ったので、「買ってきてほしい」とケータイメールでお願いして、タイムリーに入手することができました。

「あわもえ」は、珍商品としてのPRが功を成したと言えるのか一部の地元紙に掲載された他、こういう商品に敏感なネット上の人たちの間で一瞬だけ話題になったようです。面白いのは、請福酒造と企画会社「ちゅらプランニング」からのリリースを踏襲した報道記事の内容と、消費者の立場で語るネット上の人たちの反応が対極的であったということです。

まず、パッケージに書かれている不思議な世界観に圧倒されます。読んでもさっぱり全体像が掴めない物語が綴られていて、最後まで読み切るには相当なモチベーションが必要です(正確には、最後まで読んでもストーリーがまったく理解できない)。キャラクター紹介もコミック雑誌「なかよし」「りぼん」「ちゃお」あたりから飛び出してきたのか?と思う絵のクオリティで、カラーでそれなりに丁寧に描かれたキャラと、中学生が授業中にノートの隅っこに落書きしたのかと思うようなキャラが混在するという中途半端っぷり。ネット上で「これは同人誌以下」と評されるのも頷けます。完璧な失敗作。あまりにも酷すぎる。

「萌えビジネス」について間違った解釈をした結果、うっかり生まれてしまった失敗作である、というのが私個人の見方です。
・「キャラクターの世界観」ではなく、泡盛という商品が持つ世界観を活かした「物語」が必要である
・マーケティング担当者の萌えに対する理解不足。なぜ「あきたこまち」が売れたのかの分析不足。まさに消費者不在のマーケティング
・やはりキャラクターの絵のクオリティは最重要(西又葵さんを起用とまでは行かなくても、もっと何とかならんかったのか)
・話題になることと、売れることはまったくの別の事象であることに気がついていれば、この失敗作は誕生しなかったはず

実は一緒に「萌えるちんすこう 琉Q銘菓 もえちん」をお土産としていただいたのですが、パッケージのキャラクター絵が「あわもえ」と「もえちん」で一緒という手抜きっぷりです。違いは「社長」と呼ばれるシーサーが泡盛をラッパ飲みしているかどうか。お菓子のパッケージが中学2年生のキャラクターなのはまだしも、「お酒は二十歳から」と言われる商品のパッケージがまったく同じ中2の萌えちん」なのはいかがなものか。一応、化粧箱には「もえちんは魔法で二十歳の女子大生に変身した」という解説が書いてあるのですが、ここまで言い訳っぽくご都合がよろし過ぎると、読んでいて恥ずかしくなってくるから困りものです。「泡盛マイッター協会の本部」というのが解説中に登場するのですが、泡盛マイスター協会の元会員としては赤面することしきりです。もしかして協会もこの企画に関与してたりするのかな。あまりに道楽すぎたりしませんか~!

唯一の救いは、萌え商品はコレクター要素が強いので、長期間保管される可能性があるということでしょうか。パッケージが飽きられる頃に飲むと古酒になっていて、中身の泡盛そのものへの評価が上がるかもしれません。そうそう忘れてました、中身の泡盛は、25度という飲みやすい度数で、華やかな香りで美味しかったことを書いておかねばなりませんね。ただ、このボトルを眺めながら飲むと味覚が鈍るというか、残念な気持ちで一杯になるので、別のボトルかデキャンタに移して飲むことにします。これに追従する酒造所は泡盛業界にはいないと思いますが、万が一チャレンジするのなら、徹底的に「萌えビジネス」の構造とオタク文化を理解してからお願いしたいところです。

溜息たっぷり、もえちんの世界観をチェックしたい方は、下記のページでご覧ください。
http://www.moechin.com/
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仲村征幸の泡盛よもやま話

2010年01月10日 | 泡盛
昨年12月に那覇を訪れたときの話の続きです。

2年ぶりの沖縄本島への訪問ということは、つまり「古酒BAR&琉球DINING カラカラとちぶぐゎー」を訪れるのも2年ぶり。同時に店主の長嶺夫妻にお会いするのも2年ぶりと思えば、ずいぶん不義理してるなぁと反省しつつも、到着した日の19時に顔を出すもご本人はお店には居らず。なんでも原稿〆切に追われていたらしく、お店に顔を出す時間は21時過ぎになるとのことでしたので、それならばと腰を据えて飲むことにしました。何せこっちは旅行者で、帰りの電車も気にしなくてよければ、宿泊先は目と鼻の先です。仕事も終わってるし~と思いたかったのですが、実はその日、会社では緊急事態が発生していまして、オフィスに残された女性社員が私の代わりとして奮闘してくれていたのでiPhoneで指示を飛ばしたり、作業の進捗を追いかけながらも、久しぶりの「カラカラとちぶぐわー」を堪能することができたのでした。

何を飲んだりしていたかというのは、この次のエントリーで書くとしまして、今日は別の話を。

医者からも注意を受けたことがあるので身体にはあまりよくないと思うのですが、何かに集中しはじめるとトイレに行くことも忘れてしまう性分な私なのですが、やはり飲み始めるとよほどの状況でない限り、トイレに席を立つということがないわけです。飲み会が始まったら、家に辿り着くまでトイレに行かないことも珍しくありません。しかし、この日は何故か、飲み始めて早い時間にトイレに入ったわけですが、そこで用を足しながら貼ってあったポスターに目が吸い寄せられました。そこには「仲村征幸の泡盛よもやま話」限定発売中との告知が!! トイレを出るなり「まだ在庫ありますか?」と聞いたのは言うまでもありません。いやはやトイレに行くことは、とても重要な行為ですね。

「泡盛よもやま話」とは、月刊誌「うるま」に連載されていた泡盛コーナー。沖縄病を発症している方なら、一度は目にしたことがあると思います。連載回数は100回を超えていたので、まさに「お化けコーナー」と言いますか。残念なことに「うるま」は休刊してしまったので、連載も終わってしまったのですが、私も数年ほど定期購読していましたから「泡盛よみやま話」はしっかりチェックしていたコーナーでした。執筆されていた仲村征幸さんは「醸界飲料新聞」編集発行人として、泡盛好きなら知らない人はいないという有名人です。仲村征幸さんには、私が泡盛マイスターになった日に一度だけお目にかかったことがあります。今ごろはおいくつになられたのでしょうか。

これまで部分的に読んできた「泡盛よみやま話」ですが、1冊の本にまとまったものを読み返すと、戦前・戦後の泡盛がいかなる存在だったのかを知ることができる泡盛史とも言える内容です。主に戦後の話が中心ですが、沖縄がまだ米軍統治下であった頃の泡盛の存在が生々しい言葉で綴られているのが、まったくその時代の泡盛を知らない私にとっては実に新鮮であり、そこから想像を働かすだけで非常に勉強になります。泡盛の発展に寄与した酒造所の先達との会話や出来事は、優しさのあふれる文章を通じてリアルに伝わってきます。泡盛マイスターで(もしくは、今マイスターを目指している人も)、まだこの本を読んでいない人がいたら、必携の一冊と言ってもいいかもしれません。

定価は1,500円。普通に本屋さんで売っていないみたいなので、欲しいと思った人はどこで買えるのかな。「カラカラとちぶぐわー」に少量残っていたのは知っていますが、それ以外の在庫は発行元の「醸界飲料新聞」に確認してみるしかないかもしれません。東京での販売分として何冊かまとめて買ってくればよかったなぁ。

ちなみに「醸界飲料新聞」は昨年で創刊40周年だったそうです。1969年創刊と言うことは、私が「オギャー!」と生まれた頃に創刊されたことになります。創刊40周年記念号では、当ブログでも取り上げたことのある「サントリー角ハイボール」の攻勢について取材をされていて、沖縄県内で泡盛の販売が伸びやんでいる様子を憂いている記事が、一面から二面に続いて大きく取り上げられていました。
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2010年 新しい酒器を入手

2010年01月02日 | 泡盛
あけましておめでとうございます。本年も泡盛なかゆくいをお願いいたします。
前に勤めていた会社の同僚たちが、このブログの更新頻度を見て「忙しすぎて死んでるのか」と心配してくださっているようですが、いたって普通に生活しておりますのでご安心ください。更新ペースは落ち気味ですが、相変わらずの飲みっぷりは引き続き書いて行こうと思っております。

さて、もう昨年になってしまいましたが、12月25日から3日間ほど那覇に遊びに行ってきました。沖縄にはなんだかんだと年に2度は訪れているのですが、本島に行くのは2年ぶりのことです。今回はレンタカーも借りずに、ゆいレールとタクシーと徒歩で移動できる範囲をウロウロするだけの沖縄滞在となりました。本土出発のときは厚いコートを着込んでいたのですが、那覇空港に到着すると気温20度、もうTシャツの上にちょっと厚手のシャツ1枚着たら充分という気候でした。

「もうカラカラはたくさん持ってて置き場ないでしょ」と初日から妻にたしなめられっぱなしの私でしたが、いろんな店に立ち寄ると、やはり目移りするのはたくさんの個性的なカラカラたち。「そうだよね、もう置けないよね。だから今回はカラカラは買わないよ」と言いつつも、大嶺實清さんの作品となればもうトキメキ度がまるで違います。2年ぶりに出会ったペルシャブルーの六角形の酒器には、わずか3秒で惚れこんでしまいました。しかし、初日にいきなり買っては、予算はもちろん、このあといかなる陶器に出会っても検討すらままなりません。「陶器は一期一会だから、気に入ったものを見つけたら買っておきなさい」とは、他界した私の母の名言。もし再び戻ってきて、誰かに買われて無くなっていたら、それは縁がなかったのだと、あきらめる決意で店を離れました。

翌日に壺屋周辺を半日かけて散策して、さまざまな陶器を見てまわりました。とある陶器店で、かっこいいカタチ、いい焼き締めの一斗甕を発見するも、これを買って帰っても約18リットル分の泡盛を別途買う予算もなければ、甕の置き場もないという事実に気がついて冷静に。その陶器店のオバちゃんは目で「買いなさい」と強力な念を送ってきましたが、18リットルもの泡盛を詰めてしまったら、甕はもはや独りで移動させることもできないでしょうし、とても今の住宅事情では所有できないと判断するに至りました。

妻とひとしきりの陶器を眺めた後、再び大嶺實清さんの六角形の酒器を見に行きました。カラカラは注ぎ口がすぼまっていて、いまどれぐらい入っているのかが見にくいものが多いのですが、この六角形の酒器は注ぎ口の部分がやや広めに取られていて、注ぎながらあふれさせてしまう心配もありません。また、空気に触れやすいことから、この酒器で泡盛を開かせることも容易いのではないか、いろんな言い訳を考えながら気持ちがピークになったところで、クレジットカードを財布から出してしまいました。「カラカラはもう買わないから」と言っていたわけですが、妻は陶器の買い物については少々甘いところもありまして、しょうがないなぁという顔をしておりました。

大晦日の酒宴では8年古酒をひっぱりだしてきて、この酒器になみなみと注ぎ、古酒の香りいっぱいの幸せな気持ちで年越しをすることができました。今年2010年は、私は大厄の年。日々いろんなことがありますから、多少の波風はあたったとしても、大事に至るような出来事が起きませんように...。
このブログをご覧の皆様も、平穏無事に過ごせる2010年でありますように!
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宮の華酒造 うでぃさんの酒

2009年10月18日 | 泡盛
昨年に宮古島に行った際に、伊良部島に渡りました。宮の華酒造に立ち寄るもちょうど年末出荷分の繁忙期とのことで、勝手に問題のなさそうな範囲でちょっとだけ中を覗かせてもらった後、事務所の売店で手にしたのが、無肥料・無農薬・無たい肥の原料米を使用した泡盛「うでぃさんの酒」でした。最初、この独特の字が読めず「うでーさんですか? うでっさんですか?」と聞いてみるも、事務所の女性に迷惑そうな表情で「うでぃさんの酒です」とピシャリと言われてしまい、本当に忙しいときにお邪魔してしまったのだなと。ホントすみません...。

30度で容量500mlほどの泡盛にしてはいい値段だったので買うのをためらったのですが「滅多に来られないからねー」という理解ある妻の一言で、財布の口が心地よく開きました。過去に飲んだことがあれば、あと数年寝かせておきたいところですが、初めての銘柄でもありますので、ずっと寝かせておいてもあとで比較もできませんから開けてみることにしました。

原料米に相当こだわっていることが特長の銘柄ですが、普通に食べる米でも無農薬というのはよく見かけても、無肥料・無たい肥と3つの条件が揃った米を見た記憶がありません。化粧箱の中には、その思い入れたっぷりの米の生産者を紹介する紙が入っていました。この米農家がどこの地域で米作を営まれているのかまでは記されていませんが、さきほどネットで検索してみたところ、熊本県の米農家のようです。

濃紺の特徴的なボトルの封を開けると、もろみの香りが立ち上ってきます。やや繊細な甘い吟醸香で、上品な泡盛といった感じ。甘い香りとは打って変わって、味わいはとってもシャープ。切れ味のよい、泡盛にしては辛口の部類に入るようです。ロックにして、ちょっと薄まったぐらいで飲むのに適しています。この日、私は味噌だれをかけたキュウリに合わせて、食中酒としていただきましたが、食前酒としてもかなりイケると思いました。「うでぃさんの酒」は、もう少し寒くなってくるまで飲みきらないように残しておいて、お湯割りもやってみたいと考えています。きっと相当に美味いはずです。

「うでぃさんの酒」を手に入れた日、伊良部島は快晴で風も穏やかでした。隣接する下地島では、ちょうどジャンボジェット機のパイロット訓練の真っ最中で、時間を忘れるぐらい夢中になってタッチ&ゴーの様子を間近で眺めることができました。帰宅後にデジカメの写真をMacに取り込んだら、もう恐ろしい枚数の「ジェット機とエメラルドグリーンの海」の写真が!! いい歳してかなりはしゃいでいた様子が記録されていたのでした。
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十九年めの萬座

2009年10月12日 | 泡盛
もうこのためだけにブログを続けているといっても過言ではありません。今年も無事に妻の誕生日を迎えることができ、同時に甕で寝かせ続けている萬座のチェックを行うことができました。我が家の萬座は、今年で19年ものになりました。人間なら来年は成人式を迎える歳です。

まずは厳重に封印している甕の蓋を開けて、液面をチェックです。液面の低下も浮遊物も、見当たりませんでした。次に今年は小さいカラカラが満たされる程度の量を抜いてみました。度数は調べる装置を持っていないので、この時点で何度ぐらいあるのかわかりませんが、舐めてみるとアルコール独特のピリピリ感はほとんどなくなりました。もともと男性的でスパイシーな泡盛でしたが、いい感じに枯れているのか、やわらかく芳ばしい香りに深みが増してきていて、甘みは少しおとなしくなったようです。飲み干したチブグワーをしばらく置いておけば、いつまでも嗅いでいたくなるような麦チョコっぽいミルキーないい香りを放ちます。この萬座は、豆腐ようなどの味がはっきりした濃いつまみはぶつかりそうです。むしろこの季節ならサンマの塩焼きやアジの開きのほうがしっくりきそうな気配を感じます。脂ののった焼きたてのサンマに、シークワーサーを絞って、醤油を垂らさずにいただくときに、この萬座をチビリと飲りたいものです。

昨年の反省でもあるのですが、これまでに試飲といいながら毎年少々抜きすぎたようで、甕口から液面までに隙間が広がっています。来年の20年めには、少しこの隙間を埋められたいいなぁと思っています。甕の上部は口に向かって窄まった形状になっていますが、しっかり窄まった部分まで液面が上がると甕内の上下対流がうまく行われるようになるだろうと考えています。これを実現するには、いよいよ仕次ぎとなるわけですが、さて何年ものの萬座で仕次ぎをすべきでしょうか。先人のアドバイスを頂戴しながら、1年かけて悩んでいきたいと思います。

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