泡盛なかゆくい

第一期・泡盛マイスターがお届けする、沖縄やアルコールに関する日々雑感。

泡盛なかゆくい3周年

2008年09月15日 | 泡盛
毎年のことですが、夏休みが取れないまま、今年も夏が終わろうとしています。お盆に休みが取れたのは、かれこれ12年前が最後です。ここ数年は早くても9月後半か、遅ければ10月下旬まで、まとまった休暇が取れない状況ですが、2001年頃からのハッピーマンデー制度のおかげで9月~11月は3連休が増え、カレンダー通りの生活でもなんとか乗り切れるようになりました。

そんな9月最初の3連休。近所の酒屋めぐりをしたぐらいで、特にアクティブなこともせずに過ごしていますが、気がつけば当ブログ「泡盛なかゆくい」が丸3年を迎えようとしています。このブログが始まった当初、3年も自分がブログを続けられるとは思ってもいませんでした。泡盛で言えば、やっと古酒の仲間入り。熟成感を味わうにはまだまだですが、細々とでも3年も続いてきたのは、読みにきてくださる皆様のおかげです。アクセス数とコメントは、本当に励みになります。ありがとうございます。

2005年9月から2006年9月の、最初の1年分のエントリーは、自費出版のカタチで新書を作りました。最近はブログからそのまま本にしてしまうサービスがあるのですが、せっかくDTPのスキルがあるのだからと、印刷・製本以外は完全手作業でいろいろこだわって作ったりもしました。オーダーをいただいてからの発送作業が不慣れで、とにかく急ぎでお送りするので精一杯でしたが、多くの方々にお求めいただきまして、数十冊を残して昨年末に終売となりました。もう少しだけ在庫がありますので、ぜひという方はhttp://homepage.mac.com/masuda/からご連絡いただければお応えできると思います。

そろそろ「泡盛なかゆくい」新書2冊目を作ろうかなと思ったりしています。1冊目みたいに数百冊も刷らずに、どうしても欲しいと仰る方にだけお譲りして、自分の名刺代わりにできるする分として、作るのはせいぜい数十冊程度にしようかなと思っております。もともと儲けがでない「遊び」でもありますから、部屋が在庫でいっぱいにならないぐらいがちょうどいいようです。

この3年で増えたのは酒の在庫量です。以前は棚の1スペースびっしり酒瓶が置かれていたぐらいでしたが、今や置き場がなくなって部屋の床にあふれるように置いてあります。部屋には以前、寝そべるぐらいのスペースがあったのに、今ではそれも無理になってしまいました。ちょっと反省ぎみの泡盛なかゆくい3周年でした。
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ワタシにとって泡盛とは?

2008年09月07日 | 泡盛
泡盛マイスター仲間である住職さんのブログで、あなたにとって泡盛とは?というエントリーがありまして、自分にとっての泡盛とは?をちょっと考えてみたところ、ふと答えが浮かんだので、書き残しておこうと思います。

好きになった沖縄のお酒だから、と最初は無理ぎみに飲み始めた泡盛ですが、ほどなくして古酒文化と出会いました。泡盛も歳を重ねて角がとれて丸く旨くなる、この事実は自分にとって非常に意味深い部分です。

一緒に過ごした年数だけ泡盛が旨くなり、私も人間として成熟していきたい。何年も寝かした泡盛の封を切って「旨い古酒になったな」と時の流れがもたらす熟成を感じるとき、同じだけの時間を遡って、果たして自分はどれだけの経験を積めたのか、成長を遂げているのか、を考えさせらます。できなかったことができるようになっていること。実力が足りず、あきらめ半分で棚上げしてしまっていること。いろいろ浮かんでは消え、自分という人間がいま、成し遂げられることが少しずつ形になってエッジが利き始めている部分を探すわけです。

この歳になると、家族や友人が自分の大きな支えであり、経験と勉強が生きていくための術ではありますが、1年1年で自分が著しく成長を実感するようなことはなく、どちらかと言えば、失われていく身体的な若さと独立心の芽生えを感じます。一方で、だんだん見栄やプライドみたいなものをコントロールできるようになり、ここ数年はいろんなことへの執着心や依存心が薄れていくのを感じたりしています。果たしてこれを自分の成長と呼べるのかどうかは判りませんが、人生というのはさまざまな「選択」が自分にゆだねられているのだと、実感するようになりました。

微妙に格好悪い展開になってきましたが、ここで本題。
私にとっての泡盛は「一緒に熟成を重ねる仲間」であると言えます。

私にも皆さんにも平等に訪れるのは「死」です。この歳になって、いつやってくるか判らない「死」を受け入れるために、常に自分が何らかの達成感を味わっていたいという欲が生まれました。自分がやりたいことをやり遂げているか、それによって自分は成長しているのか。しかし、立ち止まるべきタイミングでは、酒が自問自答する瞬間を与えてくれます。

誰かと一緒だったり、どんな状況であっても泡盛を飲んでいるときは、自分自身と語りあっている気持ちになります。何か嬉しいことがあったとき、何かを成し遂げたとき、自分へのご褒美に貴重な古酒を味わえば、彼らは熟成をもって応えてくれることでしょう。悲しいとき、後悔しているとき、泡盛の旨さは自分へのなぐさめになることでしょう。自分がいろいろなことに挑戦して頑張っている間、泡盛も一緒に頑張って旨くなってくれることでしょう。

また、私は泡盛のおかげで、いろんなステキな仲間たちと出会うことができました。泡盛と共にいなければ、きっと出会えなかった人たちです。ありがとう泡盛。残された時間いっぱい、限界まで旨くなりましょう、一緒に。
コメント (2)
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