自分はおもふ。

これは筆者がその日に書きたいことを書いています。
1更新ごとにまったく逆なことも書くので要注意!!

え~ん(縁)だか、悪いんだか。そんな14回目。

2004-08-09 00:12:53 | Weblog
「縁」ってなに?

古くから使っている辞書にはこのように記されている。

1.ある運命になるめぐりあわせ。
2.その事実から抜け打寸\ことのできない結びつき。
3.縁側。ぬれ縁。

である。なぜ急に「縁」という言葉が出てきたのか。

昨日ある出来事がこのようなブログを書かせていると思う。

その出来事とは、ブックマークに指定してある「気まぐれ自分革命」というブログを「ビアガーデン」のぞいていただければわかる。

ここではあえてその出来事について書くことはできない。それは「パクり」と勘違いされてしまうからだ。

だからこの出来事についてはそちらと一緒にこのブログを見てほしい。

「縁」これは、人と人との付き合いにはよく出てくる単語の一つではないだろうか。

「ここであったのも何かの『縁』だし、カラオケでも行かない?」

なんてナンパにも用いられている。

もちろん、一度としてこのことばをナンパに使ったことはない。

なぜなら、ナンパができないからだ。だから彼女もできない!(泣)

ごめんなさい。話が横道にそれそうなので、話を戻します。

その「縁」は人生の中で知り合った人全員がそのようなものではないかと考えられる。

学生時、ただ席が隣だったからそれでよく話しよく遊び悪いこともした。これも、何かの「縁」だったのかもしれない。
会社員になってから、彼氏彼女もそうだが、仕事先の同僚上司部下先輩後輩相手先もなにかの「縁」があったからこそ知り合えたのではないかと思う。

少し哲学的な話になりそうだが、このような「縁」は人と人とのつながり人とモノとのつながりすべてのつながりを一言で「縁」と言えるのではないだろうか。

だから、この「縁」をひも解いていくと自分自身がこの人(モノ)と知り合えたのは自分がこの世にいてくれた。

「両親」が知り合わないと「自分」というのが存在していないと思う。確率にすると1億1兆という確率、いやそれ以上に低いかもしれない。

もちろん「両親」がその低い確率で知り合ったとしても、自分が生まれる確率ではない。それは、自分が生まれる確率はそこから3億をかけた確率になる。

その理由はもう少しネタがなくなってからしましょう。

さて、またまた話がずれました。

戻します。

その夫婦と知り合えたのも「縁」友人と知り合えたのも「縁」やはり「縁」というのは、自分では気づいていないうちに形成されているのではないかと思う。

だからこのブログを偶然にも読んでいる人もなにか「縁」があったからではないかと思う。

だから私は声を大にしていいたい。

「縁」を大切にしてください!!

かなり長い文になってしまった。このブログを読んでいる人「私」という人物を知っている人も含め、足跡としてコメントを入れてくれれば幸いです。

では。

果たしてこのブログは、

え~ん(縁)だか「悪いん」だか。
コメント
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