伐られても伐られても伸ばす芽は希望への力

2011-04-08 12:37:51 | 災害について


我が家の玄関先に 三つ葉アケビが新芽を伸ばしています。
数年前に、ブロック塀を隠すように育てていたのを、ツルが絡まってみっともなくなったので根際から切り取りました。

しかし、伐られても伐られても 毎年必ず新しい芽を出し蔓を伸ばすのです。
今年は 被災者のみなさんの復興を願って また蔓を仕立ててみようかと思いました。
家も 公園も 木々も失ったかに見えますが
木々は必ず芽吹くものです。
生活も 自宅も必ず再建できることを信じて 私たちも更なる支援に走り回らなければ・・・と思います。

昨日 富士見町の住宅街で 救援・復興の募金をお願いしていました。
車で通りかかった女性が、徒歩で戻ってきて、1万円を募金してくれました。
昨日の募金活動では
顔見知りの方が、募金活動を見かけてよってきてくれたのが特徴でした。

募金が身近で行われていることの大切さを痛感しました。

共産党に寄せられた募金は4億円余、直接郵便振込みで届くものと、全国津々浦々で街角で寄せていただくものがあります。
名もない多くの国民の協力の結晶です。

3億1000万円を直接 岩手、宮城、福島の県庁と 被災した市町村の役所に手渡しています。
日赤に寄せられた募金が 配分できないと報道されていましたが、一日も早く被災者に渡ってほしいと、義捐金に協力したすべての人が思っているのではないでしょうか。
政府が早く方針を出してもらいたいと思います。

被災地のみなさんは大丈夫でしょうか?

2011-04-07 23:43:42 | 災害について
今 地震がありました。

家族では 東京の我が家(東村山市)で2か3かもめているのですが
被災地は6とか言っていて
避難所のみなさんは大丈夫なのか
本当に気になります。

津波警報も出されているので
避難所は 少なくとも 前回の津波で残った地域ではあるのですが
想定外 はあり得ないということもはっきりしているので
今、とても心配です。

被災地では
避難所の方々から
お亡くなりになった方もおられると聞いて
本当に何と言ってよいかわからない気持ちでいるのに
今日 今夜の更なる地震で
ショックを受ける方々がいらっしゃるのではないかと心配になります。

被災地のみなさん
頑張って
言ってはいけないと思いつつも
頑張って下さいね!と祈るしかありませんし 祈っています。

とにかく みんなで力を合わせて頑張りましょう。

震災ごっこ?

2011-04-07 18:01:59 | 災害について
市内のある公園は
いつも多くの親子が遊んでいます。

公園の歩道側に公衆トイレがあります。
その公衆トイレと歩道との柵の間で、4歳くらいの女の子たちが3~4人で固まって遊んでいました。
仲良しが遊んでいるんだな~と反対側を歩きながら、微笑ましく感じ眺めていました。

通り過ぎたら
「震度3よ」という声が聞こえてきました。
はっと振り向くと
その女の子たちが
「震度3だから出ちゃだめ」
などと言って遊んでいたのです。

そのときは、これを遊びにするのか・・・と思って
思わず ニヤッとしながら行き過ぎました。

最近テレビを見ていたら
「声に出して言うことはトラウマを克服するのはいいことです」
と専門家が言っていました。

今回の地震は東村山市内でも大きく揺れたので
先の女の子たちもきっとお母さんと一緒に怖い思いをしたのでしょう。

学校にお母さんの付き添いなしに登校できないお子さんも居るそうで、
被災地から遠く離れた子どもたちにもケアが必要だと感じました。

桜が一気に咲き始めました

2011-04-06 17:22:41 | 自然


桜が一気に咲き始めましたね!
上の写真は 多摩北部医療センターの桜並木の咲き始めた花です。
やっぱり 桜は ソメイヨシノです。
山桜も咲き始めましたが
山桜も好きです。

奄美に 2月ごろから咲く
緋寒桜も 濃いピンクが奄美の常緑樹の多い林のなかでとてもよく映えます。

去年 福島三春町のしだれ桜を観に行きましたが
残念ながら 1分咲きで 勇壮な姿を見ることはかないませんでした。

また、去年の夏  岩手県盛岡市の 石割桜の存在を確認しました
今年できれば見に行きたいと思っていましたが
それもかなわなくなりました。

被災地のみなさんが
春を愛でることができるようになるのはいつでしょう。

昨日の新聞だったと思いますが
津波で流された松林に 1本の松の木がすっと立っている写真が掲載されていました。希望の松のように見受けられました。

シロバナタンポポ

2011-04-06 08:51:23 | 自然
4月に入り 暖かい日が続くようになりました。
多摩湖町で救援募金の活動をしていたら
あるお宅の門の前に シロバナタンポポ を見つけました。

大きな花をつけていて パッと目につく佇まいでした。

桜も あっという間に開花し
本当に春なんだな~ と思います。

東日本大震災の被災者のみなさんは
春を喜んではいられないと思うのですが
それでも 今朝のニュースで
子もたちの卒業式が 避難所となっている体育館で行われたり、
新学期が始まる様子がテレビで映されていることをみると
ほっとします。

復興に向けて 立ち上がりつつあるんだな~と言うことを感じるからです。

救援募金が 全国でとりくまれ、日本赤十字を通して集められているようですが、その配分が始められないというニュースに、何のために全国の名もない人々が必死に募金にとりくんでいるのだろうかと思います。
被害状況が確定しないからだと言うのですが、それでも当面と言うこともあるだろうにと思います。

まちなかで救援募金をしていて 真っ先に応えてくれるのが子どもたちです。
お菓子屋さんの近くでたむろしていた子どもたちが、50円も入れてくれるのを見ると、今日のお小遣いの全部だろうに・・・と感動します。
年齢的にみれば 反抗期に差し掛かったような子どもたちです。
やっぱり 子どもは純粋だと感じさせてくれます。

被災地の人々が 早く春を感じることが出来るように祈りたいと思います。

東村山市の貴重な緑を切り裂く都市計画道路完成間近

2011-04-05 12:02:08 | まちづくり



上側の写真は、青葉町にある多摩北部医療センターを貫く都市計画道路3・4・11号線です。
都市計画道路3・4・11号線の数字の意味を解説すると
はじめの数字は 道路の区分を表し、3は幹線道路であることを示しています。
次の数字は 道路の幅員を示しています。4は22m以上30m未満を示しています。
最後の数字は 一連の番号です。

3・4・11号線は 幹線道路で、幅員22m~32m(歩道含む)の道路ということになります。 
貴重な緑を切り裂くこの道路は 所沢から東村山市、東久留米、西東京をつなぎ新青梅街道に抜けるらしいです。
都の事業です。

この道路の両側には、青葉棟と桜棟という二つの老人ホームがあります。
道路計画によって、分断され、さらに二つの老人ホームを一つにして、定員も減らしました。
また、今後、都立だったものを、民間に委譲。これから民間社会福祉法人が建設を始めます。お年寄りがまた引越しを余儀なくされます。

下側の写真は、この道路の東村山側から所沢方面に向かう町並みです。
たくさんの住宅が建っていますが、この方々を立ち退かせることになります。
この地域の人たちは、住宅を買ったときにその旨説明を受けているはずなので、反対はない というのが東村山市や都の言い分です。

こうした道路を作ることで、災害のときに、ライフラインが確保できると市長は言うのですが、でも、市内には狭い幅員の道路がたくさんあり、こうした都市計画道路をいくつ作っても、狭い道路が広くなるわけではなく、
逆に、狭い道路の沿道を耐震化することに心血を注ぐほうがじ重要だと思うのですが違っているでしょうか。
防災都市東村山の向かっていくところをしっかりと見据える必要があります。

福島第一原発の事故による汚染は限りなく続いていく?

2011-04-03 20:58:02 | 原発問題について
原発事故で汚染された水が
地震によってできた亀裂から
ガンガン海に排出されていた

原発の事故は限りなく拡大していく様相で
止まる所を知らない。

一体 原発を設計した専門家も
原発を推進してきた専門家も
この事故の拡大をなぜ止められないのか

「また、〇〇で 〇〇がありました」
と報道するマスコミを見ては どこに向けたらよいかわからない怒りを覚える。
「また、〇〇で 〇〇がありました」
というマスコミは 同時に 人体にはあまり問題はないレベルであるかのような「専門家」の発言も同時に報道する
結局、テレビを見ていては 心配なのか、安心なのか全くわからない。

国民は、心配無いと言われても そんなことは信じることが出来ず
風評被害は拡大する

東京電力や原子力安全委員会は
事故の拡大を 後追いで報告するのではなく
正確な情報と対策をしっかりと出してもらいたい。

原発の事故が報道される時の写真はほとんどが米軍発表のものである。
安全保障上 写真の公表はしないと言うことらしいのだが
国民の命と国家の安全保障問題を天秤にかけるのかと言いたい

原発を推進してきた被害地域の首長は、自らの責任を重く感じているという
「重く感じている」との言葉で言い表す以上の悔悟の気持ちに押しつぶされそうになっているという。
安全神話を振りまき、今日の事態を予測して対策を求めた申し入れを無視した結果が、こうした首長さんたちに責めの気持ちを負わせたのである。
自治体ぐるみ他の自治体に避難しなければならない
故郷の地に いつ帰れるか、再び住むことが出来るのかもわからない日々が続く・・

今日救援募金をしていたら
10代に見える男性が
「僕相馬なんです。原発で被災したんだけど、仕事で上京しました」といって、財布をひっくり返して募金をしていきました。
やりきれない思いで お礼を言いました。

今日お昼 久米川駅で救援募金のお願いしました

2011-04-01 13:58:27 | 災害について
玄関先に大蛇イチゴの花が咲いていました。


今日 お昼に 久米川駅で救援募金のお願いをしました。
お天気もいいし 人通りも多く 春休みということもあり
子ども連れの市民など たくさんの方々にご協力いただきました。
協力してくださった皆さん ありがとうございました。

今日のあかはた新聞を見ていたら、
瓦礫の中から 僕のかばんだ 私の学用品だ うれしそうに見つけ出したものを掲げる子どもの笑顔がありました。
ああそうだ 我が家に 二人の娘が使っていたランドセルがある
でも新品ではないから 小学校1年生ではかわいそうだけど
高学年なら 失った自分のランドセルの代わりに使ってもらえるかもしれないと思ったり、迷惑かもしれないとも思ったり 逡巡しています。 
また、避難所では 子どもに遊びも保障してあげようと 大人たちが取り組んでいる様子も報道されていました。

両親が未だに安否のわからないお子さんが
祖父母の家に引き取られるのを拒み 「ここで帰りを待つ」と避難所にいることにこだわる記事を読みながら涙がこみ上げました。

被災状況が明らかになればなるほど
こうした悲しい現実を突きつけられるお子さんが増えることが予想されるだけにやりきれない思いです。

私も 小学校入学を前に 大火事で 家を失った経験があります。
1958年の年末 近くの市場から火が出て 父は消火に当っていたけど どんどん広がり 我が家も危なくなってずいぶん離れた祖母の家に避難。
そこも焼け出されて、小学校に避難。
結局 町の半分を焼いてしまう 大火事になりました。
救援物資の毛布などを配給された記憶があります。
あの時 火事になりさえしなければその後の苦労はなかったかもしれないと、今思うことがあります。

被災地の子どもたちには そんな思いをしてほしくない
だからこそ 政府に任せるだけではなく
私たち自身が 救援に取り組まなければならないと 思っています。

まもなく 東北にも 春の芽吹きがやってきます。
一日もはやく 春を感じることが出来るようになってほしいと願い
支援活動にとりくんでいます。