体罰容認の風潮なくそう!! ~議事録より その②~

2015-03-30 16:00:46 | 東村山市の政治、議会
開示された議事録には
当該校長の
「体罰を容認する部活は当校には必要ない」
といった言葉が紹介されている件があります。
まさにその通りだと思います。

教育委員会の議事録には
当該部活の保護者も
勝つためには体罰も必要
との考えがあり
問題発覚後も
顧問を従来通り就任させることを求める動きもあったとか
一定の期間を置いて
復活しているのだが

部活における体罰は
当の保護者も容認し、部員たちも容認する中で起こっている。

しかし、
その体罰を観ながら苦しんでいる子も
もちろんいて
結果として退部する子もいたそうである。
される側も、見ている側も同様に傷ついたのである

大阪の見ていて止めることができなかったことを悔やんで
自殺した子どももいたわけで
当然そこに思い至らなければならない
しかし、強い部であり続けるために
厳しい指導は当然である

子どもを一番保護する者であるはずの
保護者が容認する側に回っては
子どもたちは救われない

ことの根深さを改めて痛感した。

また、ある委員が
教育の在り方を見直すべきである
子どもの人権、子どもが学ぶとはどういうことか
など具体的に考察して反省すべき
子どもをどう見るかが不足している
単なる体罰への反省ではなく
教師としての自分の姿がどうであったか
教育力を高める方向にまで迫る必要がある
と指摘したことに対し、

結果として人権教育をさらに充実させていく
というような行政側の考えが示されていたが

先の委員はそうではなく
子どもたち自身の人権を教職員側がどのようにとらえ
教育に生かしていくのか

当該教諭と学校が
深く考察すべきと指摘していたのだと思う

人権教育一般に解消しては
学校全体で、市全体で
体罰をなくそうという取り組みは成功しない
教育委員会の行政としての強いリーダーシップが求められている。

自分の学校ではないから

全小中学校の保護者からの反応も薄いと聞いている。
PTA連絡会でも
議論をしてよい課題ではないだろうか。

体罰は被害者も見ている子どもにも
大きな傷を与え
ひいては夢を失わせる結果となる
大人や教職員への不信感を増殖させる
そこに教育は成り立たない

東村山市の学校から
体罰がなくなること
絶対に許さない世論が強くなることを願ってやまない

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。