牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月12日(火) 「リバイバル」 D・M・ロイドジョンズ著  いのちのことば社

2013-03-12 09:11:43 | 日記

 著者は20世紀最大の説教者の一人と言われている人物である。本書は、1859年に起こったウェールズのリバイバルからちょうど100年を経た年に行われたロイドジョンズ博士による連続説教をまとめたものである。著者はリバイバル(霊的復興)の必要性を訴えている。

 本からの引用。「私はこのことを強調する。というのは、すでに示したきたとおり、今日の状況について悟らなければならない第一のことは、その絶望的な性質だからである。それは急を要している。言い換えれば、現在の教会の問題は何かという言うと、教会はいのちを緊急に必要としているのに、それを悟っていないことである。」

 「教会のいかなる歴史書を読んでも、その読み方が大まかで、うわべだけであっても、豊かにはっきりと浮かび上がってくる原則、つまり、これらの偉大で、輝かしい、力強い時代の一つを知るたびに、そのどの場合でも、以前に通用していた何かへの回帰があるということだ。もっと踏み込んで言おう。どの輝かしい時代も、「使徒の働き」に書かれていることへの回帰のようだ。教会が復興する時はいつも、イサクが行なったことを教会が行なっているのだ。以前起こった何かに立ち返り、再発見し、古の貯蔵物を見つけるのだ。教会史の中で、この原則より著しいものを私は知らない。何世紀にもわたり、神が教会を訪れた偉大な信仰復興の話を読めば、それがいつも正確に同じ内容だったということが分かる。」

 「リバイバルとは何か。定義すると、キリスト教会の歩みの中で、並外れた祝福と活動の一時期なのだ。元来、リバイバルとは、教会で起きるもの、キリスト者、信者の間でまず起きるものである。定義上それは正しい。「リバイバル」とは、何かが「生き返る」ことであり、いのちをもって存在している何かがあることを意味する。、、、、、リバイバルの本質とは、聖霊が、多くの人が集まっている所に降りて来られることである。一つの教会全体に、多くの教会に、地域に、または国全体に臨むことである。それこそがリバイバルの意味するところである。それは聖霊の訪れ、または、たびたび使われてきた用語だが、「聖霊の注ぎ」である。、、、、、聖霊がその全地域を支配し、すべての人のいのちを満たしているのだ。これがリバイバルで起こることである。かくして、いわば、罪の大いなる自覚と、大いなる喜び、主を畏れる気持ちと大きな感謝と賛美という、相反する思いの不思議な混じり合いが見られるようになる。リバイバルでは常に、ある人がかつて、神聖なる混乱、と形容したものが見られる。ある者はうめき、罪の自覚のもとの苦しみ、他の者は、大きな救いのために神を賛美する。」

 日本に真に必要な復興は霊的な復興、すなわちリバイバルである。リバイバルとは、聖霊の注ぎであり、神の訪れである。それはまず、教会の中で、クリスチャンの間で起きなければならないものである。そうすれば、神の注がれた祝福は教会の外へ流れていく。私は人間の努力による教会成長にはあまり興味がない。生ける神が私と私たちに訪れてくださり、私たちがいのちを受け生き返り、そのいのちが地域に流れていくというリバイバルが私の求めていることである。すなわち生ける神を体験することである。聖書と教会史を読む時に確かに過去にリバイバルが起こったことを読むことができる。これには大いに励まされる。「主よ、私にもリバイバルを与えてください!」