泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

それぞれのオリンピック

2021-08-09 20:24:26 | エッセイ
 オリンピックが終わりました。
 私は、野球とマラソンだけは生中継を観ました。
 野球は長年の悔しさを土台にして、悲願の金メダル。選手たちが生き生きと攻めていたのが印象的。
 マラソンは、男女とも暑く、過酷なレース。女子は一山選手が8位入賞。男子は大迫選手が6位入賞。一山さんは「悔いはない」と言い、大迫さんは「100点満点」と言った。力を出し切ることが難しい中で、見事なレースでした。
 一方で、敗退した選手たちの方が圧倒的に多い。サッカー男子では久保選手が号泣。吉田キャプテンは「悔しさを積み上げるしかない」と言う。男子リレーではまさかのバトンがつながらず。鉄棒でも内村選手がまさかの落下。経験はすべて生かすことができる。今後の人間力が問われます。
 というのも、私もまたそうだから。私は長年、「文学」という競技の「小説」という種目に挑んでいる。
 8月6日に発売された集英社の「すばる」9月号に、第45回すばる文学賞の予選通過者が載っています。
 私はその日、本屋で早番でした。雑誌出しの中、おもむろに「すばる」に近づき、急いでページをめくる。
 そこに私はいなかった。
 何度も見たけどやっぱりいない。
 この現実を受け入れるのに3日はかかった。久々に降りるべき駅をうっかり通過したりして。
 読書に身が入らず、オフになっていた小説脳がフル回転。猛烈な一人反省会が自動的に始まった。
 私としては悔いはない。今できることを精一杯した。
 それでも、私より上に、少なくとも87人(予選通過者の人数)がいたということ。
 応募総数は明記されていませんが、過去の実績からすると2000名弱というところではないでしょうか。
 1800名くらいだとして、上位87名は、約5%。
 私としては、過去最高位まで押し上げることはできたと思う。でも、まだまだ、ということ。
 何が足りないのか?
 三人称を使用したこともあり、登場人物が増え、その一人一人の人物造形に時間も力もかかった。
 以前は一人称を使い、自分と登場人物のダブりが課題だった。
 今度は、多人数となったため、全体のインパクトが弱まってしまった。
 おそらく小説的な賢明な判断は、人物の一人を100枚かけるほど掘り下げるべきだったのでしょう。
 それができず、結果的に「寄せ集め」あるいは「ダイジェスト版」みたいになってしまった。
 もっとその一人に徹するべきだった。だけど、書いている最中は、そこまでの判断はできなかった。
 今でも、登場人物たちは私の中で生きています。今後、またどこかで登場してもらうかもしれない。
 それほど登場人物を愛せたのが何よりの収穫。
 足りなかったのは、小説的判断、構成力。これはもう、場数を踏むしかないのではないかと思われます。
 あと、人物をつくり上げる際、どこかから借り物の知識を当てはめている傾向がある。
 忘れてはいけいないのは、名前は後からつけられるということ。オギャーと生まれた赤ん坊に、まだ名前はついていないのと同じで。
 3月末で提出して4ヶ月。この間、小説は1行も書けていない。こんなブランクも、この10年ほどはなかったんじゃないかと思う。
 次こそが大事という感覚もずっとある。何度か書こうともしたけど出てこない。
 次、何書こうか? と自問したとき、ここにあるじゃん、という答えを聴いた。
 やっと準備はできた。私の中の雑音は消えた。書かなくてはどうにも進めなかったことは書き尽くした。
 ここからだ。
 私は、最もおいしいものを、一番最後までとっておく性質。
 寿司で言ったら、最後まで残しているのはイクラ。
 やっとイクラまでたどり着いたのだ、という感覚。
 自分の中にある、最もおいしいところを、最もおいしい形でお届けしたい。
 それだけです。考えもシンプルになった。
 多人数を書き分ける技量も言葉も足りなかった。
 今度は一人。まずはその登場人物の一人を、じっくりと描き切りたい。
 個に徹すれば天に通ずる。
 この8月で、走り始めてからちょうど10年になります。今日も14キロ走った。
 10年前も、見えないけど分厚い壁にぶち当たって苦しんだ。乗り越えさせてくれたのは走ることだった。
 それから10年。今度ははっきりと壁が見える。
 まさに写真のこのページ。プリントして机の真ん中に貼りました。
 必ずこの壁を乗り越える。
 毎日毎日、自分の小説の向上を意識し、工夫し、実作し、再び書き上げます。
 87人の予選通過者たち、おめでとう。
 確かに生きて書いているあなたたちは、私にとって負けたくないライバルであり、同時にかけがえのない同志です。
 男子マラソンでオリンピック2連覇を果たしたケニアのキプチョゲ選手の夢。これが、今回のオリンピックで一番感動しました。
「ランニングを通じて、争いのない健康な世界を作ること」
 文学を通じてだって、できる。
 自分が作家になることよりも、もっと大きな夢が私にもあることを、最高のマラソンランナーは教えてくれました。
 大丈夫。夢の種は、しっかり私の中に植っている。
 日々、言葉を大事に生きること。
 日々、夢を愛して育てること。
 今、自分にできることを、着実に積み上げていく。
 作家が誇りにできるもの。それは没になった原稿の数々。
 没原稿たちに押し上げられて、いつか必ず壁を乗り越えることができる。
 下積みは裏切らない。自分を信じて、また、何度でも、小説に挑みます。
 忘れられない夏。

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