泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

牧野富太郎 なぜ花は匂うか

2024-09-28 20:04:11 | 読書
 前回の「植物知識」に続いて牧野さん。「バナナの皮」についての記述は重複していましたが、他は初読みと思われます。
「植物に感謝せよ」では次のように書かれています。
「人間は生きているから食物をとらねばならぬ、人間は裸だから衣物を着けねばならぬ。人間は雨風を防ぎ寒暑をしのがねばならぬから家を建てねばならぬのでそこで始めて人間と植物との間に交渉があらねばならぬ必要が生じてくる。
 右のように植物と人生とはじつに離すことのできぬ密接な関係に置かれてある。人間は四囲の植物を征服していると言うだろうがまたこれと反対に植物は人間を征服しているといえる。そこで面白いことは植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが人間は植物がなくては生活できぬことである。そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギせねばならぬ立場にある。衣食住は人間の必要欠くべからざるものだが、その人間の要求を満足させてくれるものは植物である。人間は植物を神様だと崇拝し礼拝しそれに感謝の真心を捧ぐべきである」
 こんなにもはっきりと植物愛を語る人を他に知りません。でも、確かにそう。植物がなければ、人は呼吸すらできなくなってしまいます。
 身近に植物があれば落ち着く。それは人の本能と言えるのかもしれません。
 その植物のことを知ることがその人の人としての幅になるような気もします。人と植物は切っても切り離せませんから。
 様々な植物のことが語られています。松竹梅、椿、山茶花、スミレ、カキツバタ、浮き草、蓮、菊、イチョウ、ススキ、富士山の植物などなど。
 表題の「花はなぜ匂うか」。それは虫に花粉を運んでもらうためです。そのために様々な色も花は身につけます。風を頼りにする花は、匂わなければ目立ちもしません。
 意外に知らなかったのは「浮き草」。浮き草はどうやって増えているのか?
 分裂を繰り返していました。
 では、浮き草は冬どうしているのでしょう?
 寒くなると、浮き草は沈むのだそうです。水中でじっと耐え忍び、春になるとガスを出してまた浮き上がってくる。なんてしたたかなのでしょう。
 松がなぜめでたいのか?
 生命力が強いからです。津波でも生き延びた松があることは有名になりました。
 そして菊。私は「菊田」なのでどうしても意識してしまいます。
 菊は、花の中でも上等なのだそうです。どうしてでしょうか?
 実は、菊の花。花びらの内側部分に花がぎっしりと詰まっています。小さな花々が寄り集まって一つの大きな丸い花を作っています。そうすることで、虫が来たら一斉に受粉できるようになっていました。効率的に種ができるように進化していました。
 まだまだ無数に、植物の数ほど「へえ」があります。その一つ一つを知っていくことが楽しくないはずがありません。人の抱える孤独も植物と戯れていればいつの間にか消えてしまいます。ヘッセもガーデニングが趣味でした。
 やっぱり、植物に感謝しかないですね。

牧野富太郎 著/平凡社/2016

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海よ光れ

2024-09-07 20:30:14 | 読書
「課題図書」小学校高学年の部の中の一冊です。
 今まで課題図書を読んだことはありませんでした。もう70回になるのですね。私が学生の頃もあったはずですが、学校で取り組むことはなかったと思います。最近は店頭に出したら瞬く間に売り切れるほどなのですが。自分が学生のとき、学校からの宿題として出されていたらどうしただろう? 読み書きは好きですが、強制されたら反発したかもしれません。
 今回読む気になったのは、3・11が主題だということと、児童書を担当している同僚が「号泣した」ということで買う気になりました。
 岩手県の山田町にあった大沢小学校が舞台です。
 山田町は、釜石と宮古の間にある太平洋に面した港町。山田湾は突き出した半島に囲まれて穏やかなので養殖業が盛んでした。
 大沢小学校には二つの「海よ光れ」がありました。一つは演劇、もう一つは新聞。
 学校新聞というのがありました。内閣総理大臣賞を受賞するような細やかな配慮に満ちた、でも力強い手書きの新聞です。もちろん小学生たちが作っています。
 演劇の方は津波から逃げる話。明治の三陸大津波の教訓を後世に伝えることが主な目的のようです。
 大津波に襲われた山田町で、大沢小学校は地域の避難所となります。高台にあったので直接津波の被害は受けませんでした。大人たちが食糧を持ち寄って食事の用意をしてくれました。その姿を見て、子どもたちも何か自分たちにもできるはずだと思い、新聞を作り、学校以外の家にも配達に行きます。その他の子たちはトイレ掃除を始める。その姿を見て、低学年の子たちは「肩もみ隊」を結成し、お年寄りたちをほぐしていきます。そしてお年寄りたちも何かできることをと思い、ボロ切れを集めて雑巾を縫い上げます。その雑巾は掃除する子たちに渡されます。
 今まで当たり前にできていたことができなくなった中で、初めて自分と出会うかのように今できることの連鎖が生まれた。そんな好循環の空気を作る土台となっていたのだろうなと思うのが、先にあげた二つの「海よ光れ」でした。
 大沢小学校は廃校になりました。当時の卒業生たちはもう成人し、警察官になったり自衛官になったり看護師になったりと活躍している様子。その卒業生たちが作った「海よ光れ 号外」がこの本に挟まっています。
「感謝を忘れない」「無理ではなく難しいと言い直す」「楽しく生きる」
 それぞれが学んだことを書かれています。立派です。
 正直、立派すぎて、私は感動できませんでした。
 大沢と比べてもしょうがないのですが、それはよくわかっているのですが、犠牲者の出た地域を肌でわかっているのでどうしても。
 劇の「海よ光れ」は3・11後も実演されたそうですが、津波のシーンはカットされたそうです。「思い出させてはいけない」からと。
 重松清さんの『また次の春へ』(文春文庫)に『カレンダー』というタイトルの短編が収められています。その中で、被災地に都市部から不足しているカレンダーをボランティアで送ることになります。そこで、3月から前のカレンダーは破棄した上で送ったところ、3月から前の方が欲しかったという声が返ってきます。なぜでしょうか?
「先だけを見てがんばれ!」というメッセージを暗に送っていたからです。言い換えれば「3月から前はなかったことにしよう」と。
 過去がなくてどうして今、これからを歩いていけるでしょうか。
 耐えられないような傷にあえて塩を塗る必要はありません。だけど、その傷があればこそ、悔しくて仕方ないからこそ、乗り越えていくばねにもなります。傷にはいい面も悪い面もある。どちらか一方だけから物事を見ると、見えなくなるものがある。私は、自分の経験から、そう思っています。
 津波で、思い出の品や人々や場所を、ある日突然ごっそりと持っていかれてしまったのです。せめてカレンダーだけは、「あの日」以前も当たり前についているものが欲しかった。そうすれば、あんなこともあった、こんなこともあったと思い出せるから。
「思い出させてしまってごめんなさい」と言われ、むかっとした、という話も聞いたことがあります。思い出して当然です。何が悪いのでしょうか。むしろ、今だって一緒に生きてますから。
 そんなこんな、きれいにまとめられた「感動のノンフィクション」だからこそ、そこからこぼれ落ちるであろう様々を逆に想起させられました。私の役目は、そういう一つ一つを拾って言葉で構築していくことでもあると、改めて思わされました。
 弱音をもっと聞きたかったかな。
 そうだと子供向けにならないのでしょうか?

田沢五月 文/国土社/2023
 

 

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植物知識

2024-08-28 18:49:14 | 読書
 今年の2月に高知県の牧野植物園を訪ねましたが、牧野さんの文章に触れるのはこの本が初めてかもしれません。改めて、花とはなんだろう? 植物とはなんだろう? と思い、買っておいたこの本に手が伸びました。
 昭和24年、当時の逓信省(ていしんしょう)が『四季の花と果実』と題して刊行したものが改題され、講談社学術文庫に収められました。そのとき牧野さん、御年88歳でしょうか。95歳まで元気に生きられました。表紙の「いとざくら」も牧野さんが描かれたものです。
 身近な花と果実について、紹介されています。
 花は、ボタン、シャクヤク、スイセン、キキョウ、リンドウ、アヤメ、カキツバタ、ムラサキ、スミレ、サクラソウ、ヒマワリ、ユリ、ハナショウブ、ヒガンバナ、オキナグサ、シュウカイドウ、ドクダミ、イカリソウ。
 果実は、リンゴ、ミカン、バナナ、オランダイチゴ。
 花は生殖器だと、牧野さんは言います。そうでしょう。子孫を残すために花は咲く。この事実を汎用して、人間も男と女があるからには子を授かるのが当然で、独身者は反逆者と言います。しかし、花にも子孫を残すためでなく咲く花もある。ヒガンバナです。地下の球根が分裂して増えるためです。花は咲いても種子はできない。じゃあ、ヒガンバナはどうして咲くのでしょうね? あんなに見事に、目立つ姿で。
 ヒマワリは回らない。えっ、と思いました。もう少し調べると、茎が伸びている間は動くそうですが、立派に花が咲くともう動かないそうです。牧野さんは花をじっと観察し、動かないことを証明していました。向日葵という漢字は中国由来です。外国からの知識を鵜呑みにするなということでしょうか。
 果実は、花よりも刺激的でした。
 私たちは果実を食べているわけですが、リンゴは茎を食べていました。果実は、種として取り除いている部分です。詳しくは、茎の先端の花托で、偽果とも言われます。ナシやイチジクも同じ作りです。
 バナナは、皮を食べていました。外果皮は皮として捨てているところ。中果皮と内果皮を私たちは食べています。種の名残が真ん中に黒い粒として残っていることもあります。ちなみにバナナは10メートルにもなりますが、木ではない(果実的野菜)そうです。木の幹のように見える部分は葉が重なったもので、偽茎や仮葉と言われます。もう一つ、白い筋がありますが維管束と言って、カリウムや抗酸化成分が豊富なので食べた方がいいみたいです。
 最後にミカンはどこを食べているのでしょう?
 果実は種です。種を守るように外果皮(むいて捨てるところ)、中果皮(中の白い筋)、内果皮(袋状のもの)があり、内果皮の外側から内側に向かって毛が伸びています。その毛に果汁が蓄えられていました。なので正解は毛でした。
 毛を食っているなんて、他の食べ物であるでしょうか?
「もし万一ミカンの実の中に毛が生えなかったならば、ミカンは食えぬ果実としてだれもそれを一顧もしなかったであろうが、幸いにも果中に毛が生えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨しているのである。こうなってみると毛の価もなかなか馬鹿にできぬもので、毛頭その事実に偽りはない」
 と牧野さんも書いています。ダジャレも好きだったようで。

牧野富太郎 著/講談社学術文庫/1981

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ふたりのロッテ

2024-08-10 18:12:41 | 読書
 ケストナーの作品は「どうぶつ会議」「飛ぶ教室」「人生処方詩集」を読んだことがあります。没後50年ということで、また注目を集めています。
「ふたりのロッテ」は初読み。二人の少女が主人公というところと、ケストナーの代表作の一つに挙げられることも多いので読んでみたくなりました。
 なんでこんなに子どものことがわかるのでしょう?
 子どもは親のために病気にもなりますが、そのことが実によく描かれています。
「訳者あとがき」でわかったことですが、この作品は第二次世界大戦中に書かれています。著者のケストナーはドイツ人で、その時代ナチスが政権を握っていました。ケストナーは「危険思想の持ち主(政権に反対していたので)」とされ、ナチスから発禁処分を受け、命すら危ない状態でしたが、国内に留まり、この作品の完成に集中していました。外圧が強いだけに純度が高いと言うか、何を書くべきなのか明確になっていたのかもしれませんが、並のことではありません。現在にまで残る作品の生命力の強さを刻んでいたことに違いはありません。
 夏の、日本で言ったら林間学校でしょうか、湖のほとりにある子ども学校から物語は始まります。見た目がそっくりの女の子が出会います。一人はロッテ、一人はルイーゼ。ルイーゼは明るく陽気ですが気性が荒く、すぐに手が出るタイプ。一方のロッテは計算や料理が得意ですが感情表現は苦手。ルイーゼは、私とそっくりなロッテを見て腹を立てます。ロッテはルイーゼを見て怯えてしまいます。ロッテは夜、一人ベッドでしくしく泣くのでした。その手をルイーゼはそっと握ります。そこから二人の親密さが増していきます。
 表紙にもある二人の作戦会議。二人は何を一生懸命にノートに書いているのでしょうか?
 夏の子ども学校が終わり、それぞれが家に帰っていきます。ロッテは母と、ルイーゼは父と暮らしていました。父と母は離婚していて父母ともに、自分の子どもに姉妹がいることは黙っていました。
 そうです、ロッテとルイーゼは双子でした。そして綿密な情報交換と作戦会議の末に、ロッテはルイーゼとなって父のところへ、ルイーゼはロッテとなって母のところへ帰ったのです。
 なぜそうしたのかは、最後に明かされます。父母が子どもたちに黙っていたように、子どもたちもまた父母に入れ替わったことは決して言いません。やがて子どもたちの秘密は明かされるのですが、それは作家の構成の妙。忘れた頃にしっかりと伏線は回収されます。無駄な挿話は一切ありません。
 子どもたちは鋭い感性を持ち、人として何が間違っているのかを大人たちに全身で教えます。言語化能力はまだ発達していませんが、危険察知能力は大人よりも優れています。
 どれだけ子どもたちの訴えを感じて寄り添えるのか。ときに誤る大人の考えと行動を変えていけるのか。ロッテとルイーゼの果敢な挑戦に、父母はついに動かされました。考えを改め、家族4人のしあわせを引き寄せることができました。
 ケストナーは自分の思いを子どもに託したのではないかと思います。人殺しばかりする大人たちよりも子どもや動物の方がよっぽど信頼できる、と思ったのかもしれません。ケストナーの生きた時代に、確かに大人のヒーローは描きづらかったでしょうから。
 だからこそ胸に迫り、残るものがあります。異変は細部から起こるのだと。
 必要なのは敬意です。子どもだからといって軽視していい理由はどこにもありません。
 小さかろうが大きかろうが、一人の人間であることに違いはありません。
 夏休み、子どもたちが本屋にあふれています。敬意を持って接することができているでしょうか? 危ないとき、この本を思い出せ自分!

 エーリッヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2006
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戦争は、

2024-08-03 17:58:35 | 読書
「戦争は、」というタイトルの絵本です。
「戦争は、」で始まる短文と、戦争を表現した象徴的な絵で構成されています。
 読んで感じていくと、「戦争とは何か」が、読む人の心に形成されていく仕掛けです。大人が読んでもちろんいいのですが、子どもと一緒に読むと、いろんな質問が飛んできそうです。「知らないこと」「無垢であること」が、戦争の忍び込んでいく「余地」になります。読んで質問して対話して、「戦争は、」と自ら語れるようになることが「反戦争」を育むことにつながっていきます。
「戦争」が好むものは何でしょうか?
 逆に「戦争」が嫌うものは何でしょうか?
 この絵本を読むと、「戦争」は生き物だと感じます。
 確かにそうでしょう。どんな人にも忍び込むことができるウィルスのようなもの。
「戦争は、」で始まる短文が、読むものの想像を刺激します。
 一つだけ紹介します。私が最もずしんと来たところです。
「戦争は、物語を語れたことがない」と書かれています。山積みにされた本が燃やされそうとしています。
 何度か読むうちに、私の中にも「戦争は、」の続きが生まれました。
「戦争は、嘘で塗り固められた正義。自らの失敗を全て他人のせいにする」
 たったの79年前まで戦中だった日本が、また戦争をしない保障は、一人一人の心にしかありません。心は、それぞれの異なる物語でできている、と言ってもいいのではないでしょうか。
 一つの出版物に心を込めて世界に送り出す。受け止めた人が、私に必要だったものとして大事に自分のものとする。そのとき、新しい絵と言葉が、その人に宿ります。
 自分に宿った絵と言葉が、その人を守り、育て、または導く。自分の中にどんな世界を作っていくのか、それは実に何に接したか、何を取り入れてきたかによるでしょう。
 良くも悪くも、です。人は弱く、一人では生きられず、人からの影響を受けないわけにはいきません。
 地道な営みの継続しかないのだ、と思います。
 平和を維持するのは、当たり前に誰かがしてくれているのではなく、一人一人が意識して作っていくものだということ。平和であることはものすごく大変なことだからこそ、実現する価値があるということ。
 夏に花火があり、祭りがあるのは、死者と交わり弔うためであり、また魔除けのためでもあります。食べ物も傷みやすく、酷暑で人も疲弊しています。人が集まるイベントは自然発生的に生まれたのかもしれません。他者と何かを共有し協力すれば、生きる活力も自ずと湧いてくる。
 孤立もまた古代から続く人の抱える魔の一つ。本は、物語は、人と人を結びます。
「戦争は、」どうでしょうか?
 この夏、読んでほしい一冊の絵本です。

ジョゼ・ジョルジェ・レトリア 文/アンドレ・レトリア 絵/木下眞穂 訳/岩波書店/2024
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思い出のマーニー

2024-07-31 12:33:45 | 読書
 この本は、NHK教育番組「100分で名著」で紹介されていて知りました。
 その番組を見たわけではないのですが、お勧めしてたのが心理学者の河合俊雄さんで、なんかそれだけで気になっていました。
 河合さんは、私が大きな影響を受けた河合隼雄さんのご子息。なのでその人が大事にしてきた本なら、私にも刺さるだろうと。
 その予感はやはり当たっていました。
 ものすごく面白かったです。
 10年ほど前にジブリでも映画化されたそうです。そちらも観ていませんが観てみたくなりました。
 内容ですが、アンナという小学校高学年くらいでしょうか、女の子が主人公です。
 ある夏、海辺の町で暮らすことになりました。その一夏の忘れられない体験が描かれています。
 アンナは複雑な環境で過ごしていました。両親は若くして離婚し、母は再婚しましたが自動車事故で亡くなってしまいます。
 母の母、アンナの祖母が大事に育てていましたが、祖母も病のため亡くなってしまいます。
 孤児院に預けられ、養父母に引き取られましたが、アンナはそれまでの体験で「裏切られた感」を深めており、「ふつう」を装って心を開くことができずにいました。
 自分から何かしたいとは一切言わず、人を(自分を)信じることができません。その心構えがトラブルを引き寄せ、だからまた殻に閉じこもる。そんな鬱屈した日々でした。
 海辺の町でアンナを受け入れてくれたのはペグおばさんとサムおじさん。二人はアンナを歓待し、心配はしますが強制は一切しません。
 ふらふらと潮の引いた海を歩くアンナはマーニーと出会います。マーニーは「湿っち屋敷」に住む女の子。二人は意気投合し、ボートに乗ったり、砂浜で城を作ったりして遊びます。お互いに相手のことを知りたがり、少しずつ距離を縮め、やがて無二の親友になっていきます。
 マーニーは大きな屋敷に住み、一見恵まれているように見えましたが、海軍に所属する父はほとんど帰らず、若くて美しい母は、マーニーを粗野なばあやと召使に預けてほとんど家にはいませんでした。言ってみればネグレクト。マーニーの不幸せを、アンナは鋭く理解し、共鳴もしていました。
 マーニーは風車小屋を恐れていました。ばあやと召使に、言うことを聞かないとあそこに閉じ込めると脅かされて。そんなマーニーの恐れを解きたくて、アンナは風車小屋に行きました。しかし先にマーニーが風車小屋にいて、恐れのあまりパニックに陥っていました。なんとかアンナは救出しようとするのですが、マーニーはそのまま眠ってしまい、アンナも仕方なく風車小屋で一晩を明かしました。
 翌朝、アンナが目覚めるとマーニーはいなくなっていました。マーニーの知り合いの男子が助けに来ていました。
 アンナは怒ります。私だけを置いて行った、と。これまでも繰り返されてきた「裏切り」をまたしてもされて。
 アンナはマーニーを許せない。だけど、アンナはマーニーに会いに行きました。
 マーニーは部屋に閉じ込められ、でもそこで泣き叫んでいるのがアンナには聞こえました。アンナはマーニーを許します。
 その後、アンナは寝込んでしまい、その間にマーニーもいなくなってしまうのですが、そのマーニーを、ペグもサムもその他の人たちも見たことがないと言います。
 アンナとマーニーのことは二人だけの秘密ではあったのですが、それが本当にあったことなのか、アンナ自身もわからなくなってきていました。
「湿っち屋敷」を買って移り住んできたリンゼー家とアンナは知り合いになります。
 リンゼー家には子供が5人おり、その一人が改修工事中の屋敷からノートを見つけます。それはマーニーの日記でした。
 日記を読みながらアンナは記憶を取り戻していきます。マーニーのボートも発見されます。
 最終的にはマーニーの古くからの友人がやってきて、その後のマーニーのことを教えてくれます。
 で、マーニーとは誰だったのか、わかるわけですが、それは読んでのお楽しみということで。
 前半は、ぼやっとして「?」が多く、読みづらいと思われるかもしれません。「?」が読み進めるエンジンにもなるのですが、どうか前半で読むのを諦めないで欲しいと思います。後半、怒涛の伏線回収がありますから。それはアンナとは誰なのか、にも通じていて、全て明らかになったときのアンナの喜びは私にも伝わってうるっと来ました。
 マーニーは実在の人物です。しかし、アンナが体験したのは時を越えて、その土地の持つ力と人々の温かく支持的な関係が呼び水となって生まれたものです。アンナにはマーニーを体験する種は植っていた。でも、発芽する土と水と太陽が十分ではなかったという感じでしょうか。
 人を憎んですらいたアンナ。愛されることに飢えていたマーニー。二人は出会って、一生懸命に支え合って、アンナはマーニーの至らないところを許すことができました。
 大事にされている実感の貯金が、人の至らなさを許す元手となっていました。
 健全な自己肯定感を積み上げるのが難しくなってしまった今こそ読んで欲しい物語になりました。
 大人も、改めて、自分はどのようにして自分になれたのか、読み直す時間もあってはいいのではないでしょうか?
 マーニーは、本でもあり小説でもあるなあと思います。
 私にとってのマーニーは誰かな? どの本かな?
 そんな思いを巡らすのも楽しいです。
 またこの本が、もちろん大事なマーニーになる力を秘めています。
 この夏、お勧めです。ぜひ、お手に取ってみてください。

 ジョーン・G・ロビンソン 作/松野正子 訳/岩波少年文庫/1980
 
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椿の海の記

2024-06-29 18:50:46 | 読書
 少しずつ読み進めていました。また、ゆっくりとしか読めない本でもあります。
 石牟礼道子さんの4歳のときの体験記、なのですが、『苦海浄土』と同様に文体が独特で比類がありません。
 エッセイでもなく、あえて言えば詩と小説が混ざったもの。音楽で言えば「交響詩」でしょうか。
 とにかく4歳のときをこんなにも記憶しているのかと驚きます。
 近くにあった「娼家」のこと。そこに務める女性たちを「淫売」と呼ぶ人の「淫売」に込められた気持ちを読み、それによって大人への好悪を決めていたこと。
 一番美しいと言われていた子が殺されたこと。
「娼家」から聞こえた「おかあさーん」という声。
 自ら花魁の格好をして、道を練り歩いたこと。
 髪結さんが「トーキョー」へ行こうと試みたけれど、親に連れ戻されたこと。
 深く焼酎を飲んだ父から杯を受け、飲み、1週間に渡って吐いていたこと。そのとき、もう「不幸」を感じ取り、小川に身を投げたこと。
 数を怖がる子であったこと。数には終わりがないので。
「花のように美しい子」と自分を比べ、生まれ持った差があると知ったこと。
 家業の道作りが負債を出し、家と土地を没収されて没落したこと。
 他にもたくさんのエピソードがありますが、特に印象深いのは道子のおばあちゃんのこと。
 祖母の「おもかさま」は、長男を若くして亡くし、夫には妾を作られ、正常な意識から追い出された人でした。
「神経殿(どん)」とも呼ばれた祖母は、目の見えない人でもありましたが、夫の気配を察知すれば雪の日も裸足で家から出てしまう。道子もまたおもかさまを連れ戻しに外に出ました。
 そんな祖母に、心無い子たちから石を投げられたこともあります。
 そんな祖母を、娘二人と孫との三人でおさえ、伸び放題の髪を洗う場面も印象深いです。
「無限の共感」と言った人がいましたが、後に『苦海浄土』を描く少女は、すでに魂への憧れも芽生えていたのでしょうか。
 目に見えないけれどもいる、人よりも位の高い存在への敬意。山から山桃を取ったなら、まず山の神様にお礼を伝えなければならない。そう教えられて育てられました。
 椿の咲く海岸沿いには、たくさんの神様たちがいました。神様たちとともに生きているのが当たり前でした。
 水俣は、清らかな水が豊かに流れていました。その水資源が目当てで、「会社」は電気を発電するためにやってきたのでした。
「神様」への畏敬はいつしか「会社様」へ移っていきます。
「会社様」は、化学肥料を作るために出た水銀を、生き物にとって有毒と知りながら川に流しました。
 挙げ句の果てが、水銀の毒に侵された魚たちをドラム缶に生きたまま詰め、海岸沿いに埋めることでした。
「椿の海」は、コンクリートの下に生き埋めにされてしまいました。
 それで終わったわけでもなく、今でも被害者からの救済の申し立ては続いています。国による詳細な調査がないためでもあります。
 石牟礼さんが書いて証明して見せたのは、いくら生き埋めにしようとも、ここに生きていた世界があったということ。
「前の世界」が何であったのかを知らなければ、「今の世界」が良くなったのか悪くなったのかもわかりません。
 昔だけが良かった、という話でもないでしょう。
 電気も必要だし化学肥料も必要です。でも、だからと言って犠牲にしていい生き物や土地があるわけではありません。
 ものすごい力技の一冊と言うべきでしょうか。
 ずいぶんと「神」が軽くなってしまった現代において、錨のような重さを備えた作品です。
 共感力と記憶力と描写力の賜物。
 どこか、この本を良さを伝えられそうな箇所を探したのですが、どこか一部を切り取ってみても、どこも違う気がします。
 もうすっぽりとこの『椿の海の記』にはまり込むしかありません。
 それでいいのだと思います。

 石牟礼道子 著/河出文庫/2013
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しずかなところはどこにある?

2024-06-19 18:16:11 | 読書
 大きな耳を持ったキツネが主人公。
 キツネは、大きな音が苦手でもありました。
 穴を掘って、掘って、地中深くに静かに暮らしていました。
 住んでいる森は大きな音でいっぱいだったから。
 大きな音にいつもびくびくしている自分が見られるのを恥ずかしく思ってもいました。
 そんなある日、キツネは静かなところを探そうと勇気を出して森に出かけました。
 意外と身近なところにあるんじゃないかなあ?
 すると、見つかりました。あちらにもこちらにも。
「どくのあるベニテングタケのかさのした」
「そっととじためのおく」
「はっぱのうえでそろりとうごくガガンボ」
「よつばのクローバーがはさまれたほんのページ」
「ひとやすみしているちょうちょのしょっかくのさきっちょ」
「めがさめてしんしんとゆきのふるあさ」
 キツネは、さらに見つけた。
「おもいでのなか」
「すずらんのかおり」
「まっくらなところ」
「ひるまのひかり」
「だれかによんでもらうおはなし」
「ゆらゆらゆれるいなほ」
「やさしいことばのなか」
「ひんやりしたまどガラス」
 キツネは、さらに地中深く掘っていきました。
 すると、大きな岩にぶつかり、その上からダンプカーのとても大きな音が響いてきました。
 キツネは泣いてしまいました。大きな声をあげて。
 すると、地中のお隣から「しずかにしてくれー!」と言ってミミズが顔を出しました。
 ミミズもまた大きな音が苦手なのでした。
 そこでキツネは、地中から出て、森で叫びました。
「しずかにしてくれー! おおきなおとは もう たくさん」
 それから、森は大きな音をあまり出さなくなりました。
 大きな音が苦手だった他の生き物たちと、キツネは仲良くなりました。
 特にミミズとは友達になって、楽しくおしゃべりするようになりました。
 そんなお話です。
 この絵本を読んで、あー私にもあったなあと、思いつくままに「しずかなところ」を書き出してみました。
「打ち鳴らされたゴング」
「黒板に書き付けられたチョークからこぼれる粉」
「日記帳の空白に下された万年筆のインク」
「コーヒーから立ち上る湯気と香り」
「ピッチャーマウンドとホームベースの間」
「映画館の照明が消えるとき」
「親しくなった人とする食事」
「マラソンのゴールテープ」
「走って風になれたとき」
「開店前の本屋」
「屋根を軽々と越えていく虹」
「本を開いた人の耳」
「つやつやして甘酸っぱいリンゴのかけら」
「絵の前」
「音楽の奥」
「真夏の夜のよく冷えたスイカ」
「風に揺れるコスモスの細くしなやかな茎」
「お昼寝」
 まだまだありそうです。
「しずかなところ」は、「物理的な静寂」だけを意味しなかった。その発見が、この絵本の最大のメッセージだと思います。
「しずかなところ」は、「美しいところ」「私を感じられるところ」「大事なところ」「夢中になれるところ」「落ち着くところ」「感心するところ」でもありました。
「しずかなところ」が一つでも多く見つかると、私たちは生きやすくなります。
「しずかでないところ」で生きなければならない人たちに、この絵本は大きな支えとなってくれそうです。

 レーッタ・ニエメラ 文/島塚絵里 絵・訳/岩波書店/2024
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被災物 モノ語りは増殖する

2024-06-12 11:41:59 | 読書
 一昨年の秋、宮城県の気仙沼に行きました。そのとき、時間が足りずに行けなかった場所がありました。
 次回は必ず行く予定にしている「リアス・アーク美術館」。
 この本の新刊案内を見たとき、だから目が止まりました。そして注文していました。
 しばらく店に置いていたのですが、自分が読みたくなったので買いました。
 読むときが来たわけですが、書いている小説に「被災物」が出てきたので。
 というか、この本を読んでわかったのですが、私もまた被災物という呼び水に触発されて、小さな物語を紡ぎ出したのだと。
「被災物」とはなんでしょうか?
「被災者」という言葉があります。人が震災にあったとき、その人を被災者と呼びます。
 同じように、物が被災したとき、その物を被災物と呼ぶようにしたのです。
「瓦礫(ガレキ)」という言葉がやたらと使われました。
 人々の経験したことのない出来事や見たことのない物が現れたとき、手持ちの言葉でそれをとらえようとします。
 でも、経験したことのない出来事や物を、どうして手持ちの言葉で表現できるでしょうか?
「瓦礫」とは、手持ちの国語辞書(岩波国語辞典第8版)によれば「かわら、コンクリートのかけらや石ころなどの集まり。建物・家具などの残骸。また、役に立たないもの。価値のないつまらないもの、その集まり」とあります。
 大津波によって被災した物たちが、どうして「瓦礫」なのでしょうか? どこがつまらないものなのでしょうか?
 私も感じていました。現地に足を運び入れ、歩いて風を肌に受け、匂いを嗅ぎ、音に耳を澄ませれば、それらの一つ一つは大切な「おらほ」(気仙沼の方言で「私たち」という意味です)の「我が家」でしかありません。その人の足であったであろう車に船。生活に欠かせなかったであろう足踏みミシンや本。決して「瓦礫の山」は存在しなかった。それが存在したとするならば、よく見ること(視力があるという意味ではなく)のできない人たちの頭の中にだけ。
 リアス・アーク美術館は、被災物を収集し、展示しています。
 ただ展示しているだけではありません。収集した日時と場所とともに「モノ語り」が葉書に認められて添えられてあります。
 例えば、63ページにある「ぬいぐるみ」。

 2012•3•23 気仙沼市内の脇2丁目

 うちの子がね、大切にしてた”ぬいぐるみ”があったのね。
 それをね、すぐ帰れると思って、うちに置いてきてしまったのね……
 うちの子がね……ポンタが死んじゃったって、泣くの。あの子にとっては、たぶん親友だったんだよね……
 あれから、うちの子、変わってしまってね。新しいのを買ってやるからって、おばあちゃんが言うんだけど……いらないって、ポンタじゃなきゃダメだって言うのね。

 この「モノ語り」は、モノの持ち主が語ったものではありません。収集した学芸員が想像して書いたものです。
 この試みは「さがしています」(アーサー・ビナード作・童心社)を思い出しました。「さがしています」は、広島の原爆資料館にある「被爆物」のモノ語りを、アーサー・ビナードさんが聞き取ったもの。
「被災物」と違うのは、被災物のモノ語りは、そのモノにまつわる人間に共通する記憶が語られているところです。
「被爆物」は、その持ち主が明確なので、モノ語りは一つの形に収束していきます。「被災物」は、持ち主がはっきりせず、言ってみればみんなのものに変わっていますので、モノ語りは接した人の数ほど増殖していきます。共通しているのは「傷んでいる」ということ。人によってなのか自然によってなのかの大きな違いはありますが。
 この本は、以上のようなリアス・アーク美術館にある被災物に接した人たちの応答がまとめられたものです。
 ワークショップという形で被災物への応答は行われました。人によって触発されるモノも違います。応答の仕方も、詩だったり踊りだったり文だったりします。
 被災物に接して何が出てくるのか? それは記憶の語り直しでした。「記憶のケア」とも言われています。
 深いところに潜り込んで見つけられなくなっていた記憶の断片。それらは被災物が呼び水となって鮮やかに意識に上がってくる。
 語ったり書いたり歌ったり踊ったりして意識をなぞることでその人の生き直しが生まれる。
 さらに興味深かったのは、被災物が恵比寿につながっていくこと。
 恵比寿は七福神の一つです。あの突き出した腹に大きな耳たぶ、釣竿と鯛を持っているあの神様。
 知らなかったのですが、恵比寿様の謂れはこんな感じでした。古事記という日本の国造りの神話に登場するイザナミとイザナギの第三子(蛭子・ひるこ)は、3歳になっても歩かなかったので海に流されてしまいました。それでも蛭子は生き残り、漂着した浜の人々によって手厚く守られ、やがて祀られるようになった。蛭子は恵比寿となり、海の神となり、豊漁の神となり、転じて商売繁盛の神ともなった。
 足が悪いということで、通常恵比寿様は座っています。が、気仙沼にある恵比寿像は立っており、かつ鯛ではなく鰹を抱えています。立っている方が縁起がいいとか何とか大阪人に言いくるめられたそうです。気仙沼人の人の良さと、鰹に変更してオリジナルにしてしまう図太さが伝わってくるエピソードではあります。
 恵比寿とは、海からくるモノの総称でした。だから魚も貝も石も海藻も漂流物も水死体も被災物みんな恵比寿。
 被災物をありがたい恵比寿に近づけられるかは、被災物に接した一人一人の語りにかかっています。
 語りが生まれれば聞き手もまた生まれます。本が生まれれば読者が生まれるのと同じで。
 そこにつながりも生まれます。
 被災物のワークショップに参加した人たちは、モノ語りの流れに乗って、気仙沼へ旅に出ます。鎮魂と、今ある命を祝うために。
「被災物」に接して語ること。それはそのまま傷ついている自分を修復することにつながっているように感じました。
 その作業を、私自身が行なっているということも感じました。だからこそ読む必要に迫られました。
 この作業(私にとっては小説を書くこと)には終わりがないことも感じます。
 モノ語りは増殖していくから。増殖してつながる相手を求めるから。
 もしこの世に「傷ついたもの」がいなくなれば、その必要もなくなるのでしょうが。
 私は私に訪れたモノ語りを書き続けます。
 気仙沼に行ったら、ぜひリアス・アーク美術館へ足を運んでください。
 私も、必ず、近々、行きます。
 そしてまたモノ語りの芽を持って帰ってくるのでしょう。意識するにせよ、しないにせよ。持って帰ってくるつもりでないものもくっついてきて。
 それが現地に行く貴重さでもあるのでしょうね。

 姜(きょう)信子・山内宏泰・志賀理江子・川島秀一 他著/かたばみ書房/2024

 
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ペロー童話集

2024-05-11 18:11:31 | 読書
 この本は、花巻の林風舎で買い求めたものです。
 林風舎は、宮沢賢治の親戚の方が営まれているお店で駅のすぐ近くにあります。私も行きました。
 一階は土産物中心で、絵葉書や衣類や複製原稿やしおりや工芸品などが販売されています。私は絵葉書と「デクノボーこけし」を買いました。
 そのとき店員さんと少し雑談しました。二階がカフェで、ちょうどピアノの生演奏もしているのでぜひどうぞと言われ、二階へ。賢治の肖像画の近くで、ピアノの演奏に体を酔わせながら、ロールケーキとコーヒーをいただく、という貴重な時間を過ごしました。
 会計後、書籍もあったので見ました。宮沢賢治の記念館と似たような並びでしたが、この「ペロー童話集」は記念館にはなく、目が留まりました。
 で買うとき、店員さんに聞いてみました。「なんでこの本が置いてあるのですか?」と。
「天沢退二郎さんだからです!」
 と言われたのですが、私はすぐ合点せず、解説を待ちました。
「宮沢賢治研究の大家のお一人です」とのこと。それでああ、と納得しました。この本の訳者が天沢さんなのです。
 帰りの新幹線で早速読み始めました。
「眠りの森の美女」「赤頭巾ちゃん」「長靴をはいた猫」「サンドリヨン」「おやゆび小僧」など。
 どこかで読んだことがある、だけど少しずつ違う。
 この本は1697年にフランスで刊行されたものです。グリム童話が出るのは、そのほぼ100年後のこと。
 グリム童話は、ずいぶん前ですが読みました。その微かな記憶が、「ん?」となったようです。
 一言で言えば残酷だなあ(グリムもかなりエグいですが)。でもこのお話集には「教訓」が付いています。作者のおせっかいというか。
「教訓」あってのお話なので、「お話」と割り切ることもできます。
 例えば赤頭巾ちゃんは、誰にでもいい顔をしたために、狼に食べられてしまいます。いい人、誰にでも可愛い人では、殺されることもあるよ、というお話。
 それに「妖精」が至る所に現れるのも印象的です。「妖精」は、人の未来が見えるようです。
「人喰い鬼」も出てきます。鬼畜は、今も昔も変わらない。
「サンドリヨン」は、「シンデレラ」の原形。どんなに恵まれない環境にいても、その人の気持ちさえ折れなければ、チャンスは巡ってくる、という感じでしょうか。
「おやゆび小僧」は、飢饉で苦しむ木こりの両親によって、子供三人が森に捨てられますが、一番下の一番小さくて馬鹿にされていた子が、上の二人だけでなく最後には家族をも救うというお話。
 宮沢賢治は「グスコーブドリの伝記」で、飢えに苦しむ木こりの両親が家にわずかな食料と子供を残し、銘々に森に入って餓死する話を書いています。
 賢治はグリムやアンデルセンを愛読しており、明らかに意図的な「反=グリム」童話を作っていました。これは天沢さんの指摘で、なるほどそういうつながりか、とわかりました。
「ペロー童話集」自体も、あちらこちらで語り継がれていたお話を集めたもの。お話は語り伝えられて、少しずつ変容していく。
 花巻からこちらに戻ってから、賢治が作詞作曲の「星めぐりの歌」をよく聞いています。というか、エンドレスで頭に流れているというか。
 アイフォンで聞いていますが、実に様々な歌い方、編曲がされており、そのそれぞれが甲乙つけ難い良さを持っています。
「永久の未完成これ完成である」の具体の一つでしょう。
 あらゆる作品には、いわば「元ネタ」が存在しています。
 濃密なつながりの中でしか、新しいものは生まれない。
 新しいものが、次の新しいものを準備する。
 作品はみんなのものです。「透明に透き通って」いなければ、接した人が愛を込めることができない。
 愛が吹き出すこともない。
「お話」の原形たちを読みながら、そんなことを思いました。

 シャルル・ペロー 作/天沢退二郎 訳/岩波少年文庫/2003

 
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あやとりの記

2024-05-11 13:21:36 | 読書
 この本は、昨年熊本に行ったとき買い求めたものです。
 この本の中身をどう伝えたらいいのか、しばし想いに耽りました。
 適当な言葉を私は持っていないというか、どう言っても嘘になりそうだ、というか。
 なので著者の「あとがき」から引用します。
「九州の南の方を舞台としていますが、高速道路に副(そ)う情けない都市のあそこここにも立って、彼岸(むこう)をみつめ、”時間よ戻れ”と呪文を唱えたのです。
 どこもかしこもコンクリートで塗り固めた、近代建築の間や、谷間の跡などから、昔の時間が美しい水のように流れて来て、あのひとたちの世界が、現代の景色を透けさせながらあらわれました」
 物語の中で視点となっている「みっちん」は、5〜6歳の女の子でしょうか。著者の姿と思われます。
 みっちんの祖母と思われる「おもかさま」は、目が見えず、魂が遠くに行ってしまいがちな人。おもかさまとみっちんは仲良しです。
「萩麿」という名の馬がやってくる。萩麿を使って運送業をしているのは「仙造やん」。仙造やんは足が一本しかありません。
 仙造やんと親しくしているのは「岩殿(いわどん)」。岩殿は、火葬場の隠亡。隠亡というのは死者の火葬や埋葬を業とする人のこと。江戸時代の身分制では差別されていました。
 死人さんは燃えると温かくなる。岩殿も、思慮深く温かい人。その人柄に引き寄せられるように、二人の若者が慕っています。
 一人は「犬の仔せっちゃん」。彼女は身に纏ってるぼろの中に、犬の仔を隠している。せっちゃんは見送りの少ない死人さんをいつも気にして、花を摘んで持って来てくれる。
 もう一人は「ヒロム兄やん」。彼は巨人で片目が開かない。力持ちでちんどん屋の幟(のぼり)を持って歩いたりしている。非常に上等な挨拶を欠かさない反面、自分のことを「みみず」だと思い、銭を稼ぐのが下手な自分を嘆いている。
 みっちんの家に物乞いの親子が現れ、みっちんは小銭をその子に差し出すのですが、その子は受け取らず、小銭が雪に落ちてしまう、という場面も描かれていたりします。
 せっちゃんは、どこでもらってきたのか、子を産みます。海岸の洞穴の中で。そこには海神さまがいらっしゃると言われており、一人で産んだのではなく、海神さまに助けられたのだと言って。
 せっちゃんとヒロム兄やんには親がいません。せっちゃんは岩殿をはじめとした支援者たちによって命をつないでいます。が、いじめられることもあります。そのときの方が多いのかもしれません。
 せっちゃんを枝と言葉で痛めつけるガキ大将に向かって、みっちんは赤い小さな火の球みたいになって言ったのでした。
「神さんの罰のあたるぞう!」
 彼らは「ものいうな」を捨て台詞にしてぺっと唾を吐き、後退りしながら行ってしまいました。
「あのひとたち」は「すこし神さまになりかけて」いる人たち。
 みっちんは「魂だけになりたい」憧れを持ち、「あの衆(し)たち」や「位の美しか衆」をいつもどこかに普通に感じて共存している。
 あの衆たちは、コンクリートによって追い出されてしまったのでしょうか。
 でも、この「あやとりの記」に浸ると、現代の景色が透けてしまう。その奥に隠されてしまった昔の時間が美しい水のように流れて来る。
 何をどう読み取って、今に生かしていけるのか。それは読んだ人次第なのでしょう。
 そのままの復活や再生ではなく、現代ともあやとりをしていくものとして。
 宮沢賢治にとって岩手がイーハトーブだったように、石牟礼道子にとっては南九州がイーハトーブだった。
 ただ、石牟礼さんは、イーハトーブが破壊させられるのを見てしまった。理不尽な現代化を。
 許せなかった。どんな理屈にも屈せず、徹底的に人の側に立った。
 その人から湧き出す美しい水がおいしくない訳がありません。
 物語は、魂の飢えを満たすものだと感じています。

 石牟礼道子 作/福音館文庫/2009
 
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祖さまの草の邑

2024-03-30 14:24:59 | 読書
 石牟礼道子さんの詩集。
 タイトルは、「おやさまのくさのむら」と読みます。
 祖さまというのは、連綿と続いてきた命そのもののことかもしれません。
 生き物のそれぞれが音を持っている。
 耳を傾けることのできる人は、自然の交響曲を楽しむことができる。
 この辺りの描写は、ミヒャエル・エンデの「モモ」(岩波書店)を思い出しました。
 マイスター・ホラに連れられて、モモは「時間の花」を見ます。そこでは豊かな音楽が流れていました。
 人々は、自然の中で生きていました。
 そこに「会社(チッソ)」がやってきた。
 護岸工事をし、渚をコンクリートで固めてしまった。
 渚は、海と陸とが呼吸をするところ。
 小さな貝たちや、タコの赤ちゃんたちがたくさんいた。
 近代化の名の下に、壁を作っていったのは人間。
 電気に化学肥料にビニール。どれも欠かせなくなった。
 一方で、不要となった毒が撒き散らされた。
 自然が壊されていく。小さな生き物たちが死んでいき、その音がかき消されていった。
 石牟礼さんは聴いている。書かずにはいられない。
「のさられ」て。
「のさる」というのは、私の理解ですが、自分とは違う魂を引き受けること。
 無くなっていった生き物たち・人々の怨霊とも言える。
 そんな声なき声を拾い、代弁する。

 昨年の今頃からか、私は耳栓を使うようになりました。
 通勤のとき、休憩のとき、家にいるときもうるさければ。
「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読んだのがきっかけだったような気がします。
 耳栓をして、静寂がこんなにもありがたかったのかと、驚いた。
 それまで、騒音で随分とストレスを感じていたことを実感したものです。
 カウンセラー・詩人・小説家にも、共通しているのは「耳の良さ」でした。
 耳を守る必要性もあると自覚し、今では耳栓を携帯しています。
 そんな私が最も共感した詩を一つ、紹介します。
 本書の58ページから63ページです。
 ちなみに作品中に出てくる「おどま」とは、熊本の方言で「私たち」という意味です。

 蟇(がま)の蟇左ェ門(二)

 肥薩ざかいの山麓は
 ついこの間まで
 紫尾(しび)のおん山々と尊称されていた

 天気の良い日に渚を歩くと
 不知火海の雄大な満ち潮に映し出されて
 その霧の中に 美しい形の野ぶどうが
 映り出て 遠く
 近くに彼岸花も草いちごのたぐいも沈んで見え
 そのまんま秋になってゆく

 渚の鼻からゆるゆると見わたす
 ご先祖たちが掘りあげた由緒ある
 蟇左ェ門の穴蔵に サイレンがひっかかった
 三百万年くらい前に出来た穴蔵である

 歴史の変り目ごとに会社のサイレンと
 ガシャリとぶつかるのだ

 うをおーん うをおーん と聞こえるのは
 穴蔵で昼寝をしていた蟇蛙の声かと思われたら大まちがいだ
 蟇の長者が出てきて言うには
「ここを何と心得る 豊葦原の瑞穂の国なるぞ われらがしゅり神山 ご先祖たちが 掘って掘って掘りあげ
 百万遍も唱えごとをしたご神殿である」

 うをおーん うをおーん

 鳴いているのは 大地の魂の声であるぞ
 新しくきた会社のサイレンが毎日夕方になると
 ひゅをおーん ひゅをおーん
 と うなるが ばかを言うにもほどがある
 おどま会社のサイレンぞ
 おどま今までこの世になかったサイレンちゅうもんぞ
 首の後ろを電気のこが行き来するような
 無情な音だった
 その音は 諸々のものたちの魂をぶった切るので蟇左ェ門は
 治療してまわるのだ
 花の蕾も 夜鳴く虫たちも 大昔からあの声に育てられたのだ

 うをおーん うをおーん
 と啼かれるとそのたんびに頭をたれる
 ひょっとすると私のひいひいおじいさんかもしれないのだ
 ゆっくり屋が急げば ろくなことはない
 魂の病人たちばかりだから つける薬はない
 それ あれでゆけ

 うをおーん うをおーん

 あの声が躰中に五十ぺんばかりしみわたるとなると
 カクメイという発作が起こるかもしれない
 豊葦原の瑞穂の国とは 不知火海の渚から陸上を見わたして
 その内陸の先を見はるかしながら 四方の山々に陽が射すと 丘がいっせいにせり上がり
 稲の花が咲いているにちがいない
 なんとゆかしい香りであろうか
 近頃やって来た会社のサイレンが しゅり神山一帯のふうわりとした稜線を
 なんともヒステリックな音を出してぶちこわす
 ゆかしい香りをたてていた瑞穂の原は たちまちげんなりとして ただ首をたれているだけになってしまった
 九州山地の稲田に立てば 細長い列島の全容が見える
 稲束をかついだ人々は それ自身が香り立っている初々しい
 聴覚だった
 豊葦原とは なんと瑞々しい名前ではないか

 石牟礼道子 著/思潮社/2014

 
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なみだふるはな

2024-03-23 14:42:27 | 読書
 作家の石牟礼道子さんと写真家の藤原新也さんの対談。
 対談されたのは2011年6月13日からの3日間。熊本市の石牟礼さんの自宅で。
 この本が刊行されたのは2012年3月。東日本大震災から1年を待っていたかのように。
 昨年、熊本城マラソンに参加しましたが、泊まったホテルのすぐ近くにあった古書店・舒文堂(じょぶんどう)河島書店で入手しました。
 私もまた1年寝かせていました。
 再び3・11が巡ってきて「読もう!」と思い立ちました。
 読み進めていくうちに、閉塞感が募っていきます。
 歴史は繰り返す。水俣で起きたことが、そっくり福島でも繰り返されて。
 どのようにして水俣病を発生させた会社「チッソ」が水俣に入ったのか、石牟礼さんの語りによって解き明かされていきます。
 まずは「電気」だったそうです。
 それは会社のための電気(チッソははじめ水力発電の会社でした)ですが、付近の住民宅にも電気はやってきた。
 石牟礼宅では、豆電球の下で、正座してその瞬間を待ち侘びたとか。
 明かりが灯った瞬間の喜び。これでもう田舎じゃない、という思い。容易に「会社」への敬意が生まれるのを想像できます。
 次には「製品」を輸送するための港づくり。それに道。
 石牟礼さんの祖父は石工で、会社の港を作るために水俣の対岸にある天草からやってきた。
 石山をいくつも持ち、丁寧に石を積み重ねて道も作った。
 これからは道が大事だと、石牟礼さんは「道子」になった。
 会社が次に何を作ったかというと、化学肥料です。
 それまでは肥溜めから畑まで発酵した人の糞尿という肥料を運ばなければならなかった。しかも急な坂道を上って。腰を痛めてしまう人たちが多かった。
 そこにぱらぱらと撒くだけでいいものが出てきた。これもまた容易に脱人糞に傾くのは想像できます。
 会社が毒(メチル水銀)を吐き始めたのはその次の製品(アセトアルデヒド・酢酸や塩化ビニールの原料)の廃棄物として。工場内で爆発もあり、会社員たちも命懸けで、実際水俣病に罹った人たちもいた(当然隠されました)。
 会社は、害が出るのはわかっていた。事前に承諾書を地元の漁師たちに認めさせてもいた。
 わかっていて、1932年から1968年まで、実に34年間も公害の原因を垂れ流し続けていました。
 そのことで、健康を損なった人たちは8万人以上(国は調べていません)と言われていますが、「水俣病患者」と認められた人たちは2283人(水俣病センター相思社のホームページによります)に留まります。
 差別も発生しており、自ら申し出ることを控える人たちもいるでしょう。
 訴訟は今でも続いています。先日も、熊本地裁で、原告(被害者側)の訴えが退けられています。
 現実は、とても複雑です。
 石牟礼さんの「苦海浄土」は代表作ですが、水俣では売れないと言います。会社の恩を裏切ることのできない人たちもいます。
 会社出身の人が、水俣市の市長を務めていたこともある。
 石牟礼さんに学ぶべきは、当事者の思いをできるだけそのままに言語化し、伝え続けたこと。頭にある言葉だけでなくて、五感を使って。
 石牟礼さんがいたから、私にまで水俣の人たちは見えてきた。
 人にとって便利なものを開発する会社。ある一部を特化することで製品は生まれる。だけど、切り離されるものも必ず生まれる。人にとって都合の悪いものが。
 電気のない今これからは考えられない。
 一方で、クリーンな電気なんて本当に存在するのか、思うことも捨てない。
 対等な人同士として対話する。
 どうしてそれがそんなに難しくなってしまったのか、と思います。
 コンクリートで固めること。それが「近代化」であり「脱田舎」であり「進歩」であった時代。
 コンクリートには波が当たると「ざばーんざばーん」とただうるさいだけ、と石牟礼さんは言います。
 渚や浜、自然を生かす手作りの石垣というものがある。隙間があって、そこには生き物が住める。
 水俣と福島は未来だと思います。
 人が超えていかなければならない課題を提出した場所として。
 対話しかない。と私は思っています。
 複雑であればあるほど。もう一部の政治家(とその一味)が決めて、一方的に「説明」する時代なんかじゃない。
 白か黒かじゃない。
 複雑さを単純化するところに嘘が発生します。そしてその嘘は隠される。毒と同じで。
 花というのは、人間の中にある生命としての強さのようなものでしょうか。
 水俣病に侵されても、その人が紡いで物語る中に、花は垣間見えて、希望が光るようでした。
 当然、話に花が咲くためには、語りを聴く人がそばにいます。分断ではなく、舫(もや)い。
 舫うとは、船と船をつないだり、船を岸につなぐこと。

「知らないことは罪」そうおっしゃった方がいました。杉本栄子さん。石牟礼さんが紹介しています。
 近代は罪に満ちています。私もはっとしましたのでここに記しておきます。(134ページ15行-135ページ10行)

「道子さん、私は全部許すことにしました。チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばっかりおれば苦しゅうてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのあっとばい。痙攣も来るとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも、人を恨むなといわれて、全部許すことにした。親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽うなった。
 病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく。
 知らんちゅうことがいちばんの罪ばい。人を憎めば憎んだぶんだけ苦しかもんなあ。許すち思うたら気の軽うなった。人ば憎めばわが身もきつかろうが、自分が変わらんことには人は変わらんと父にいわれよったがやっとわかってきた。うちは家族全部、水俣病にかかっとる。漁師じゃもんで」
 こうおっしゃったのは杉本栄子さんという方ですが、亡くなってしまわれました。彼女が最後におっしゃったひとことは、「ほんとうをいえば、わたしはまだ、生きとろうごたる」というお言葉でした。

 石牟礼道子・藤原新也 著/河出書房新社/2012
 
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怪談

2024-03-09 12:01:43 | 読書
 この本が読みたくなったのは、毎日新聞の連載「没後120年・八雲を探して」を読んで。
 有名な「雪女」は、今の東京・青梅市の百姓が八雲に語った話で、意外と近いじゃんと思ったり、島根県・松江の海沿いにある自然洞窟に亡くなった子たちが集まっているという話が今でも伝わっていたり。
 その連載でも紹介されていましたが、八雲の夫人・節の話にも興味が湧きました。

 私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」と申します故、自分のものにしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。 229ページ15行-230ページ3行

 八雲は、聞いた話をただそのまま書き写していたのではありませんでした。
 換骨奪胎というのでしょうか。どこにでもあるようなちょっと不思議な言い伝えが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を経由することで、類まれな文学作品に仕上がり、今でも本屋で買うことのできる本として生きているわけですから。
 じゃあ、何が「そこら辺に転がっている話」とは違うのでしょうか?
 私が一番に感じたのは「人間臭さ」です。
 例えば「雪女」では、吹雪にさらされた少年が小屋を見つけて一命を取り留めますが、そのとき扉を開けて入ってきたのが「雪女」でした。彼女は言います。「お前はまだ若いから生かしてやろう。そのかわり、私のことを喋ったら、その命はいただくから覚えておけ!」と。どこかヤンキー的な勢いで。
 少年は青年になり、肌が雪のように白い女と出会い、結ばれ、子宝に恵まれます。幸せで、口が緩んでしまったのでしょうか。奥さんに向かって言ってしまいます。
「昔、お前のように肌の白い女と会ったことがあってね。あれは本当に酷い吹雪の夜だったよ」
 ついうっかり、わかります。心を許している人だから言えたのだということも。死ぬか生きるかのときでしたから、彼にとっても忘れられない思い出です。
「お前、しゃべっちまったね。それは私のことだよ!」
「ひー」(この辺は、私の換骨奪胎です。原文のままではありませんのでご承知ください)
 でも、雪女も長年の共同生活で情が移ったのでしょうか。まだ小さな子達を見て、こう言います。
「でもまあ子供もいることだし、命を奪うのは勘弁してやろう」
 そう言い残して、雪女は雪が溶けるように消えてしまいました。
 大事な約束を忘れるんじゃねえぞ! という強いメッセージを雪女から受け取ります。
 それは大きな地震がきたら海から離れるんだ、というような自然災害への警告とも受け取れます。
「耳なし芳一のはなし」も有名ですね。
 この話の「ミソ」はどこにあるのでしょうか?
 芳一は目が見えません。
 だから滅亡した平家の亡霊たちが語りかけたとしても、目の前にいるのは人魂だけだとはわからない。
 人魂に導かれ、墓地へ赴き、得意の平家物語を琵琶をかき鳴らしながら熱演。亡霊たちを泣かせまくります。
 芳一は、亡霊たちの引っ張り凧になってしまいました。
 それに気づいた師匠である坊さんが、芳一の全身にお経を書き、亡霊の誘いをとにかく無視するように諭します。そうしなければ、芳一もまた亡き者にされてしまうから。
 ここでもまたうっかりミス。坊さんとその弟子たちは、芳一の耳にだけお経を書き忘れていたことを見逃してしまいました。
 その夜、またやってきた亡霊。彼には、芳一の耳しか見えませんでした。仕方ないから、耳を引きちぎって持っていった。
 芳一は、ちぎられた耳から血を流し、痛みに耐え、坊さんたちが帰ってくるまで一言も喋らないで待っていた。
 発見された芳一は助かりました。その後、亡霊たちからのお誘いもありませんでした。
「耳なし芳一」は、口コミによって全国区となり、引きも切らない人気者となりました。
 目が見えないから亡霊だとわからない。その芳一を助けようとして見える人たちがバリアを張ったのに、見落としがあった。
 目で見えることだけが全てではなく、耳で聞こえることだけが全てでもない。
 平家たちだけではありません。いなくなったはずなのに現れる者たちは、他にも普通に描かれています。
 共通しているのは、強い思い。信念。執念。その人をその人たらしめている魂。存在の根源のようなもの。
 それがこの世で果たされていないと、次に行けないようです。
 逆に、切願を叶えるために、命を差し出す人も描かれています。
 生きていたときの我利私欲の妄念によって、死ねずに食人鬼と化した者もいる。
 妻が、実は柳の精だったという話もあります。木と、いかに親しんできたかが伝わってきます。
「人間臭さ」とは、「人間性の回復」でもあるのかもしれません。
 経済最優先で、効率第一だと、切り落とされるのは人間性。
 人間は、本来はもっと豊かだったんだと、豊かな物語に触れるたびに思い出します。
 心は、自然の一部だったんだよな。自然は全部つながっていて、割り切れるものではないんだよな、と。

 ラフカディオ・ハーン作 平井呈一訳/岩波文庫/1940
 
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シェイクスピアの記憶

2024-02-10 19:02:47 | 読書
「ボルヘスは旅に値する」と言われます。
 最晩年の作品を読み、訳者の丁寧な解説と著者の言葉を聞いて、その意味が私なりにわかってきました。
 著者は常々こう言っていたそうです。「書いたものよりも読んだものを誇りたい」
 さらにはこんなことも。
「私も書くことでだいぶ救われました。惨めな気持ちが癒やされました。ですから、私の書いた作品は全然文学的価値がなくても、私には大いに役に立ったんです」
 この言葉を聞いて、私も救われました。
 そうだ、そうだ。書いたものより読んだものを誇りに思う。まるでイチローみたいじゃないか。3割のヒットより7割のミスを誇りたい、というような発言を思い出して。
 ボルヘス自身、自分の降りかかった不幸を嘆いてもいます。政治的なことだったり、目が不自由になったことだったり。
 それでも彼はそれらの不幸を「人間ならだれもが経験する」ものとして受け止め、何世代にもわたって受け継がれる作品へと移し替えることができた。
 ボルヘスの作品はどれも短いですが、ものすごく濃いです。そして一目で、これは彼しか書けない作品だとわかる。誰かに似ているなんてことは全くない。
 この本に収められた最晩年の4つの作品は、初期の作品に比べてだいぶ読みやすくなったように感じました。本人も言っているように、過剰な装飾を必要としなくなったためなのでしょう。
 それでも持ち味は変わっていません。むしろ装飾が落とされた分だけ作品に入っていきやすいかもしれません。
 一つ目は「1983年8月25日」というタイトル。お気に入りのホテルでチェックインしようとすると、すでに本人が部屋に入っていた、というもの。
「本人」は、死を目前にした老いた自分。老いた自分と自分が対話し、お互いにお前は自分じゃないと言い張ったり、一番の過ちを言い合ったり。
 俺がお前を夢見ているのだと言えば、いや俺がお前を夢見ていると言い返したり。
 二つ目は「青い虎」。
「青い虎」を探してある村に来ている主人公。彼は住民たちの世話になりながら、来る日も来る日も青い虎を探している。
 ある日、彼は「青い虎」とそっくりな色の小石を見つける。高い場所にある大地の裂け目で。
 青い小石は増殖する。消えたと思ったら、また戻ってくる。
 最初は喜んでいた彼も、やがて不気味に思うようになる。今まで信じていたものすべてが青い小石には通用しないので。
 彼は乞食に青い小石を譲る。その替わり、彼が乞食から渡されたのは、恐ろしい世間だった。
 三つ目は「バラケルススの薔薇」。
 彼は灰になった薔薇を元に戻すことのできる錬金術師。一方で詐欺師呼ばわりもされていた。
 彼の元に弟子入りを志望する者が現れる。袋にたくさんの金貨と、もう一方の手には薔薇を持って。
 金貨を差し出し、さらにこの薔薇を灰にして元に戻してくれ、今見せてくれとせがむ。それを見せてくれたら弟子になると図々しい。
 バラケルススもまた弟子を求めていた。確かな信念こそが道なのだ、とか言って諭すが、弟子には伝わっていない様子。
 彼は薔薇を暖炉に投げ入れ、灰になった薔薇はもう元には戻らず、私は皆が言っているようにただの詐欺師なのだよと言う。
 弟子志望者はがっかりして失礼を詫びて、差し出した金貨を回収してすごすご退散。
 一人になったバラケルススは、おもむろに灰になった薔薇を手に取り、小さな声である言葉を唱えると薔薇は蘇る。
 最後が「シェイクスピアの記憶」。
 これは何だろうと思いますよね。
 読んでみるとそのまま、「シェイクスピアの記憶」を保持している人がいて、その人から「シェイクスピアの記憶」を譲り受ける話。
 彼はシェイクスピアの学者であり、シェイクスピアの記憶が自分に入ってきて、まるで自分がシェイクスピアになったようで興奮する。
 しかし彼は、彼だった。今、自分がどこにいるのかさえわからなくなり、自ら望んだ「シェイクスピアの記憶」を誰かに譲りたくなる。
 電話をかけまくって、これぞという人に譲ることはできた。
 それでも、「シェイクスピアの記憶」が思い浮かばなくなるまでには時間がかかり、バッハの音楽に救われることを見つける。
「我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ」と繰り返し言う彼に、私は深く共感しました。
 以上ざっくりと要約してみましたが、先にも書いたように、一行ずつが濃いので、読んだ人の今によって、様々な受け取りが開けてくると思います。
 その「開け」こそが「救い」につながっていくのではないでしょうか。
 私は、いつの間にか私ではなくなっており、やっぱり私が恋しくなって、私に還り、私を再発見する。
 不幸である私から抜け出し、だれのものでもないけど確かにある存在に触れ、私自身が夢となり、人生の主導権を投げ捨て、永遠とも言える世界とつながって、私はいつの間にか癒やされていた。
 日本のアニメにも通じるものがありそうです。パラレルワールドをリアルに感じるというか。
 だからこそ「ボルヘスは旅に値する」のです。
 彼の魅力、少しは伝わったでしょうか?
 気になった方はぜひ読んでみてください。
 きっと、今まで体験したことのない斬新な読書体験ができますよ。

 J.L.ボルヘス 作/内田兆史・鼓直 訳/岩波文庫/2023
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